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ヤマタノヲロチ神話!その二~正体不明の化け物「ヲロチ」~

前回の続きです!!
天降ったスサノヲが河上で見つけたのは、泣いている老夫と老女と若い娘でした。

(しか)くして、問ひ(たま)ひしく、
汝等(なむちら)(たれ)ぞ」
ととひたまひき。(かれ)、その老夫(おきな)(こた)へて()ひしく、
(やつかれ)(くに)(かみ)大山津見神(おほやまつみのかみ)の子ぞ。(やつかれ)が名は足名椎(あしなづち)()ひ、()が名は手名椎(てなづち)と謂ひ、(むすめ)が名は櫛名田比売(くしなだひめ)と謂ふ」
といひき。

クシナダ姫の名前がでました!!
知ってる名前が出てくると俄然面白くなってきますね!
三人の素性は大山津見神という山の神様の子の「足名椎」と「手名椎」と、その子どもの「櫛名田比売」と分かりました。
この「足名椎」と「手名椎」という名前は、子どもの手足をいたわり撫でるという意味からきているそうです。(西郷信綱説)
なお余談ですが、「山津見」に対して海の神様は綿津見(わたつみ)といいます。
十二国記の副題の一つにも使われてますね。
山神(やまつみ)海神(わたつみ)は対で覚えると覚えやすいです。
まあ覚えてても何も得なことはないんですが!(禁句)
また、足名椎が自らを「国つ神」と名乗っているところにも注目したいですね。
国つ神とは地上(葦原中国)に住まう神々の総称です。
対して天つ神が高天原に住まう神々の総称です。
スサノヲは天つ神が住まう高天原では秩序の食い違いにより悪神の烙印を押されてしまいました。
しかし、天つ神とは別の秩序の世界に住まう国つ神にはスサノヲの行動は別の作用をもたらす可能性があります。
それでは続きを見てみましょう。
名前が分かったら今度はどうして泣いているのかを聞きます。

また問ひしく、
「汝が()(ゆゑ)(なに)ぞ」
ととひき。答へ(まを)して言ひしく、
()(むすめ)(もと)より()たりの椎女(をとめ)ありしに、これを、高志(こし)八俣(やまた)のをろち、年ごとに来て()ひき。今、そが()べき時ぞ。(かれ)、泣く」
といひき。

須「おまえはどうして泣いているのだ」
足「私の娘はもともと八人いましたが、高志のヤマタノヲロチが毎年やってきてその度に食べていきました。今、そのヲロチが来る時期なのです。だから泣いているのです」


ヤマタノヲロチの名前が出ました!
高志とは様々な説がありますが、一般的には越国(現在の福井・富山・新潟などの北陸地方)のことと解釈されています。
当時の出雲の人にとっては見たこともない遠い土地だったことでしょう。
それゆえ、ここの高志は地域としての越国というよりは、とても遠い場所という意味で使われていると考えられます。
三浦佑之さんはここから、「出雲という概念は古代においては日本海沿岸地域を広く含んでいた」と「古事記をよみなおす」で語っておられたことを以前ここでも書きました。
「概念」という言葉は少々定義が難しいのですが、名前を出すということは、行ったことはなくても名前くらいは知っていた、つまりは存在を認めていたと捉えると何となく分かったような気になります。
当時の出雲の人にとって、越国はどんなイメージだったのでしょうか。
そういえば私が埼玉にいたときに、鳥取といえば砂丘といわれました。
確かに鳥取の代表的なイメージだと思います。
そこで私が「砂丘にはラクダがいるよ」と言ったところ、凄く驚いた顔で「野生!?」と返されました。
埼玉の人にとって鳥取なんて日本ということ以外はホントにさっぱり分からない場所だったのでしょうね。
きっと野生のラクダがいてもおかしくないと思うほどに。
この人を責める権利は誰にもありません。
しかし砂丘のラクダは観光のために連れてきているだけで、野生ではありません。
あとは、砂丘を砂漠と勘違いして、将来鳥取県はその全土が砂丘に飲み込まれると本気で思っている人もいました。
残念ながら砂丘は年々減少傾向にあり(砂丘の緑化問題や海による侵食のため)将来的には逆になくなってしまうかもしれません。
両方とも中々愉快な反応でしたが、古代の出雲の人にとっては越国とはもしかしたら埼玉の人にとっての鳥取のような存在だったのかもしれませんね。
得体の知れないヲロチのような化け物がいるかもしれない、いてもおかしくないと思えるくらい遠い土地。

余計な話が多くてスミマセン。
続きにいきましょう。
足名椎から人を食べてしまう恐ろしい化け物ヲロチの話をされたスサノヲは。

(しか)くして、(スサノヲは)問ひしく、
「其の形は、如何(いか)に」
ととひき。答へて(まを)ししく、
「彼の目は、赤かがちの如くして、身一つに()つの(かしら)・八つの()有り。また、其の身に(ひかげ)()(すぎ)()ひ、其の長さは谿(たに)八谷(やたに)()八尾(やを)(わた)りて、其の腹を見れば、(ことごと)く常に(ちあ)(ただ)れたり」
とまをしき。
(ここ)に赤かがちと謂へるは、今の酸醤(ほほづき)ぞ>

須「その姿はどんなものなのだ」
足「その化け物の目は赤かがち(ほおずき)のような色で、一つの体に八つの頭と八つの尾があるのです。また、その体には蔓とヒノキや杉が生えていて、その長さは谷八つ、山八つに渡っていて、その腹を見ると、どこもみないつも血が流れてただれているのです」


何というとんでもない姿でしょうか!
ちょっともう一度整理してみましょう。
<ヤマタノヲロチの姿>
・目・・・赤かがち(ほおずき)色
・体・・・一つ(蔓とヒノキと杉木が生えている)
・頭・・・八つ
・尾・・・八つ
・腹・・・常に血が流れてただれている
・全長・・・谷八つと山八つ分

とんでもなく大きいですね。
体に木が生えていたり、谷や山をいくつも合わせたほどの長さがあるというのです。
また、体に植物が生えているのはただ大きいというだけでなく、古いということもあらわしています。
古いものにはコケが生えていたりしますね、あの感覚です。
また、民俗学では体に植物を生やしているのは森のヌシの(しるし)であるという説もあります。
ヤマタノヲロチは巨大長命であり、さらには森のヌシという高い地位も持っているのです。
ところで、私たちはすでにヲロチの正体が大蛇であることを知っています。
しかし本文ではそのことがまったく触れられていないことにお気づきでしょうか。
実はこの時点ではヲロチはまだ正体が不明なのです。
スサノヲが倒したときに初めてその正体が大蛇と判明します。
さて、これからスサノヲはこの正体不明の強大な存在に知恵を使って立ち向かうわけですが、実はその前に驚くようなことを足名椎に要求します。
それは一体・・・!?

次回に続きます。

ヤマタノヲロチ神話!その一半(古事記のちょっとイイ話)

さっきの記事で出てきた語句の補足説明。
最後にまとめて書こうかとも思ったのですが、忘れそうなので(オイ)今のうちに書いてしまいます。
これを読まなくても次の記事を読むのにはまったく支障はありませんが、読んでみるとちょっと古事記通ぶることが出来るお得記事です。(※ツッコミはセルフでお願いします)


<スサノヲが降り立った「肥の河上」の「鳥髪」というところ>
スサノヲはもともと「根の国」を目指していました。
それは母イザナミが居る場所です。
ここで、イザナミが葬られた場所の記述を見てみましょう。

「(イザナミは)出雲国と伯伎(ははき)国(=伯耆国)との堺の比婆(ひば)の山に(はぶ)りき。」

なるほど、どうやらスサノヲの目指す根の国は出雲国と伯耆国の堺あたりに入り口がありそうです。
一方「肥の河」や「鳥髪」という名前を探してみると、「出雲国風土記」にありました!(※風土記は古事記が編纂された直後に書かれた全国の地理誌です)

「出雲大川。源は伯耆と出雲と二つの国の堺なる鳥上山より出でて、(略)神門(かむと)の水海に入る。則ち、謂はゆる斐伊の川の下なり」

これを見ると、どうやら比婆(ひば)の山と鳥上山は同じような場所にありそうです。
スサノヲはただ適当に天降ったわけではなく、ちゃんと根の国を目指してやってきたわけですね。



<スサノヲが木の枝を「箸」と分かった理由>
単なる木の枝を見て即座に「箸」と見破り、河上に人がいることを悟ったスサノヲですが、どうしてこんなことが出来たのでしょうか?
これは私が書くよりも、山田永さんの文章をそのまま載せたほうが分かりやすいので下記に引用させていただきます。

(前略)おそらくこの箸は折ってあったのです。では、なぜ折ったのか。感染呪術(※持ち主の手を離れても、もとの持ち主の生命の一部がその物に宿っているという信仰。日本だけでなく世界各地でみられる)が信じられていた古代では、箸のように口につけたものは(のろ)いの道具にされかねないため、他人の手に渡ることがはばかられていました。そのため、二度と使えなくするために、折って捨てていたのです。今でも割り箸や爪楊枝を使ったあとに折る人はいませんか?理由は知らずにやっていても、『古事記』と現代の我々は、つながっているのです。



<古事記神話の中の「泣く」という行為が引き起こすこと>
スサノヲが河を上っていくと、老夫婦が若い娘を間に置いて泣いているところに出くわしました。
この「泣く」という行為。
実は古事記には他にもたくさん出てきます。
古事記で一番初めに出てくる「泣く」シーンはイザナキがイザナミを失って号泣するところです。
このイザナキの涙から「泣沢女神(なきさわめのかみ)」という神様が生まれます。
次に出てくるのはスサノヲが母に会いたいと泣き喚くシーンです。
イザナキがやってきて、結果的にスサノヲは海の支配者の任を解かれて根の国に向かうことになります。
その次に出てくるのがこの老夫婦の泣くシーンです。
泣いている夫婦のもとへスサノヲがやってきました。
また、この後の話ですが、ご存知因幡の素兎神話では、泣いているウサギの元へオホナムチ(後の大国主)が現れて怪我の治し方を教えてくれます。
もうお分かりでしょうか。
古事記神話において、「泣く」という行為は、「神を呼ぶ」行為なのです。
当時、「泣く」という行為には「異界と交わる」という考え方があったわけですね。(山田永説)

ちなみにこのあとの予定ですが、

その二~正体不明の化け物「ヲロチ」~
その三~スサノヲとクシナダの結婚とヲロチ退治~
最終回~その後の二人~

という感じで書こうと思っていますが、もしかしたら変わるかもしれません。

ヤマタノヲロチ神話!その一~スサノヲ見参!~

ついに語りますヤマタノヲロチ神話!!!
>待ってました!オロチ神話
>楽しみにしています

Rieさま!ありがとうございます!
好き勝手語っているだけですが、こういうお言葉を頂くと有頂天になってしまいます!
それではさっそくいってみます!
場面は高天原を追放されたスサノヲが出雲国に降ってくるところから。

(かれ)、(スサノヲは)()()はえて、出雲国(いずものくに)()河上(かはかみ)、名は鳥髪(とりかみ)といふ(ところ)(くだ)りき。

スサノヲは出雲国の肥の河(現在の斐伊(ひい)川)の河上に降り立ちました。
ところで、どうしてスサノヲが追放されることになったのかはここで語ったことがありますが、覚えていらっしゃる方はおられるでしょうか。
何のこと?とお思いの方は手短かにまとめましたのでこちらをどうぞ。

スサノヲは父イザナキから海を治めるようにいわれました。
しかし、母のイザナミに会いたい一心で年中泣き喚いて国を荒らしてしまいます。
イザナキに諌められますがスサノヲは聞き入れず、とうとう勘当されてしまいました。
スサノヲは母の居る根の国に行くことにするのですが、その前に姉のアマテラスにお別れの挨拶をするため、高天原に上ります。
しかし、アマテラスには高天原を奪いにきたと誤解されてとても挨拶どころではない状態。
スサノヲは身の潔白を証明する誓約(うけひ)を行って、何とかアマテラスの誤解を解きます。
誓約に勝って喜んだスサノヲは、その際の「勝ちさび」の行為を行います。
これが高天原を大いに荒らしてしまい、折角潔白を証明したにもかかわらず、結果アマテラスを天の岩屋戸に引きこもらせてしまうことになってしまいました。
神々の努力でアマテラスは再び高天原に姿を現してくれますが、アマテラスが引きこもる原因を作ってしまったスサノヲは、神々によってヒゲと爪を切られて高天原を追放されてしまったのでした。
詳しくはこのページの「スサノヲとアマテラス」に書いておりますので、こちらも見ていただけると嬉しいです。
あ、このスサノヲが高天原から降ってきたことを「天降(あまくだ)り」といいます。
現代の官僚の関連企業への「天下り」の語源となっています。
さて、高天原から降ってきたスサノヲは、この河で妙なものを見つけます。
続きを見てみましょう。

この時に、(はし)、その河より流れ下りき。ここに、須佐之男命(すさのをのみこと)、人、その河上にありと思ひて、(たづ)ねもとめ上り()けば、老夫(おきな)老女(おみな)と二人ありて、童女(をとめ)を中に置きて泣けり。

この時スサノヲは、箸が河から流れ下ってくるのを見つけた。
それ故スサノヲは、きっとこの河上に人がいるに違いないと思って訪ねていくと、そこには老夫と老女が若い娘を間に挟んで泣いていたのだった。


スサノヲとクシナダの初対面です!
河から箸が流れてくるのを見て「河上に人がいるに違いない」と察するあたりは随分聡いですよね。
ここで箸と書いてありますが、もちろん現代のような割り箸や塗り箸ではありません。
当時の箸は木の枝を削った程度のものでした。
そんな木の枝を見て、スサノヲはすぐに箸だと分かったのです。
兼倉の頭脳派ラブセンサーに引っかかるレベルの聡さです!(どうでもいい)
それにしても、この前の場面(高天原)での蛮行の限りを尽くしていたスサノヲとは随分と印象が違うと思いませんか?
あちらでは田の畝を壊したり、神殿を(くそ)で汚したり、挙句の果てには馬の皮を剥いで機織小屋に投げ込んだり(それに驚いた機織女が死んでしまう)と、本当に高天原にとっては迷惑千万な行いばかりしていましたね。
スサノヲの行動を「蛮行」としてしまう理由を西條勉さんの説に乗っ取って「高天原世界の秩序と根の国の秩序がかみ合わないため」根の国を志向するスサノヲの行動は高天原においては「蛮行」となってしまうと解釈していました。
神様は、その存在が求められる場所とそうでない場所があるようです。
一神教の全知全能の神様とはまた違う日本的な神様のイメージが見えてきます。
・・・余計な話が多くてスミマセン。
でももう一つだけ!
この「ハシ」という音は「繋ぎ結びつけるもの」につけられたようです。
「橋」は川の向こう側とこちら側を、「箸」は口と食べ物を結び付けています。
そういうわけで、ここで「箸」という道具が使われたのは、その後のスサノヲとクシナダを結びつけるための伏線的な役割があると考えると、古事記が俄然面白くなってくるわけですね!(山田永説)
古事記のこういう「仕掛け」は他にもたくさん出てきますので、乞うご期待!

長くなってしまったので続きは次の記事で。

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