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本歌取りと万葉集~斉藤茂吉と本歌取り~

拍手をくださったお方本当にありがとうございます!!
生きててよかった・・・!
連休中結局予定を立てられずに四日間ただゴロゴロして過ごしてしまったという痛恨の連休でした。
何もしないのも悔しかったので、RDGをちまちま読んでいて、5巻まで読み切りました。
連休唯一の収穫です。
6巻はまたゆっくりペースで読んでいこうと思います。


さて、それでは長らく間が空いてしまいましたが、本歌取り語り最終回、斉藤茂吉と万葉集の本歌取りについて!
まずは本歌となった万葉歌から

うらうらに 照れる春日(はるひ)に 雲雀(ひばり)あがり
  (こころ)悲しも 独りしおもへば
(巻十九-4292 大伴家持)

歌意:うららかに照っている春の日の中に、ひばりの声が空高く舞い上がって、この心は悲しみに深く沈むばかりだ。ひとり物思いにふけっていると。(青木生子)

これ、万葉歌なんですよ、信じられますか?
万葉歌といえばみんなイメージするのが「素朴」「純粋」「牧歌的」「いい意味で単純」などなどだと思いますが、この歌はそんなイメージからは遠くかけ離れています。
春の日が差し込み美しいひばりの声が響き渡っているという自然の明るさという上の句と、それとは真逆の作者の鬱屈した暗い真情を読み込んだ下の句は、なぜか不思議なほど自然に繋がり、それどころか互いが互いをよりいっそう引き立てているように感じます。


詳しい説明は後程行います。
それでは上記の歌を本歌とした、斉藤茂吉さんの本歌取りの歌をご覧ください。

うらうらと (てん)雲雀(ひばり)は ()きのぼり
  雪(はだ)らなる 山に雲ゐず
(歌集「赤光(しゃっこう)」より)


斉藤茂吉さんの初期の歌集「赤光(しゃっこう)」に収録されている五十九首の連作「死にたまふ母」の中の一首です。
この歌は、死んだ母親を火葬した夜が明けた情景を詠んでいます。
作者の深い悲しみとは関係なく、長閑な春の空には雲雀が鳴き、白い残雪もようやく小さくなった遠くの連山は雲もなく美しい姿を惜しみなく晒している、まさに万葉歌の美しい自然が引き立てる深い悲しみが見事に詠み込まれています。


実は、始めにご紹介させていただいた万葉歌は家持さんの作です。
いろんな万葉紹介本に春愁(しゅんしゅう)絶唱(ぜっしょう)三首」として他の二首と共に、家持さんの作品の中で最高傑作として紹介されています。
家持さんが三十五歳の時の歌です。
初めての大任であった越中国司を無事に果たし、ようやく待ちこがれた故郷の奈良に帰ってきた時、都は藤原氏の支配が確立してしまっておりました。
名門の大伴氏といえどもまったく身動きの取れない、絶望的な政治状況になっていたのです。
越中国司時代には、聖武天皇から直々に頼りにしていると言葉を掛けられて感動したこともあった「荻原作品と万葉集~海行かば~」参照のに、この落差。
家持さんは大伴氏全体を率いる立場にあったはず(たぶん)なので、一族からの期待や失望などを一手に背負わなければならなかっただろうことを思うと、その心労はどれほどのことだったか。ああ、家持さん・・・。


いろいろな思いがたくさん詰め込まれている万葉集。
後の世に多くの人びとが心魅かれ、その思いを表す方法の一つが、この「本歌取り」だったのだと思います。


さて、それでは最後におまけとして、万葉歌から万葉歌への本歌取りっぽい歌を紹介して終わりたいと思います。
万葉歌人たちもやはり先人の歌は勉強していたはず!
まずは先に詠まれた歌の方から

桜田へ (たづ)鳴き渡る
 年魚市潟(あゆちがた) (しほ)()にけらし (たづ)鳴き渡る

歌意:桜田の方へ鶴が鳴いて渡っていく、年魚市潟の潮が引いたようだ。桜田の方へあれ鶴が鳴いて渡っていく。(木俣修)

年魚市潟は今の愛知県の語源になっているということは以前語ったことがありましたね。(参照:「時代は東海だ!in愛知」
詠んだのは高市黒人(たけちのくろひと)という役人で、柿本人麻呂と同時代に生きた人です。
非常に単純な情景を詠んだ歌ですが、同じ言葉を繰り返している所にどこか不思議な余韻が籠っていて、それがまるで鶴の声や羽音が残響しているような気にさせられる、実に味わい深い歌です。


それでは本歌取りしたっぽい歌。

若の浦に 潮満ち来れば (かた)()
   葦辺(あしへ)をさして (たづ)鳴き渡る

歌意:和歌の浦に潮が満ちて来たので、干潟が無くなり、岸辺の葦の生えている辺りをさし鶴が鳴きながら飛んでゆく。(稲岡耕二)

これはさっきの黒人や人麻呂の時代より一つ次の世代の山部赤人が詠んだ歌です。
赤人といえば「田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」で有名ですね。
今回取り上げた歌は、はっきり黒人の本歌取り的な意識があったかどうかは定かではありませんが、ともに旅の中で詠んだ歌(※場所は違います)なので、万葉集の中でどことなく共鳴しているような気がしてしまうのです。



では、これにて本歌取りと万葉集の語りを終わります!
また何か面白そうな題材を見つけたら追加で語るかもしれません。
その時はまたお付き合いいただけたら嬉しいです!

本歌取りと万葉集~良寛と本歌取り~

拍手ありがとうございますフォオオオオオオウ!
単パチや2連パチや5連パチや10連パチなど大変ありがたいことです!!!
もしかして世の中万葉集とか本歌取りとかに関心を持っておられる方けっこうおられるんじゃないですか・・・!?(調子に乗った兼倉)
この勢いで続きです!


今回は万葉集が編まれた奈良時代からはぐっと下って江戸時代後期の僧である良寛(りょうかん)さんをご紹介したいと思います。
まず簡単に良寛さんの人となりを見てみましょう。

良寛がめざしたのは、仏法が人びとの中へと直接に柔らかい形で入っていくその現場に立とうということである。
子どもを仏さまと見て、徹底して一緒に遊ぶという態度もそうであるが、托鉢に回る家の老人に回る家の老人にお灸をすえてあげたり、マッサージをしたりと介護にも意を尽くした。
時には老婆の愚痴をも、とことん聴いて慰めるという無畏施(むいせ)(不安を解消する)の布施行もつとめている。
(角川ビギナーズ・クラシック「良寛」より)

素敵なエピソードだと思いました。
良寛さんの書は今もたくさん残されているそうです。
優れた作品性のみならず、彼の人柄がいかに愛され続けているかということを表しているように思えてなりません。

さあ、そんな良寛さんの作品を見てみましょう。
今回は先に良寛さんの歌を載せて、そのあと本歌となった万葉歌を見てみます。
それではご覧ください。

(かすみ)立つ ながき春日を
 子供らと 手まりつきつつ この日暮らしつ

歌意:うららかに霞の立つ長い春の一日、子どもたちと手まりをついて楽しく過ごしたことだなあ。

一応歌意を載せましたが、江戸時代後半ともなればその必要がないくらい現代語に近いですね。
良寛さんの人となりが非常によく表れている歌だと思います。
この前に載っている長歌も、読むと思わず頬が緩んでしまうような子どもたちへの愛情にあふれた歌です。


では、上の歌の本歌となった万葉歌を見てみましょう。
二首あるので続けて載せます。

霞立つ 長き春日を
 かざせれど いやなつかしき 梅の花かも

歌意:霞の立つ長い春の一日中、髪にさしているけれど、ますます離しがたい気持ちだ、この梅の花は。(伊藤博)

春の雨に ありけるものを
 立ち(かく)り (いも)家道(いへぢ)に この日暮らしつ

歌意:こまかく降り続く春の雨であったのに、物陰で雨やどりして、あの子の家に行く道中で、この長い春の一日を過ごしてしまった。

始めの歌は「梅花の宴」(梅の花を見ながら歌を詠みかわす宴)の最後に収録されている歌です。
宴はもう終わるというのに「なつかしき」(離しがたい)と詠んでいるところがとても心にくいですね!
宴のトリとしてはこれ以上ないくらい素晴らしい歌ではないでしょうか。

次の歌は作者未詳の歌で、大した雨でもなかったのに雨やどりなんかしてしまって、愛しいあの娘に逢いにいけなかったことを後悔している歌です。
「この日暮らしつ」の語が非常に恨めし気に聞こえてきます。

しかし良寛さんはこの「この日暮らしつ」を全く逆の大変満足した気持ちで歌い換えていて、そんなところが面白いです。
「霞立つ 長き春日を」の部分も、万葉歌の方では貴族たちの優雅な宴の情景ですが、良寛さんはどこにでもある庶民の生活の一コマとして普遍の情愛を込めて歌っています。


もう一つ良寛さんの歌。

月よみの 光を待ちて かへりませ
  山路は栗の いがの多きに

歌意:月が出て明るくなってからお帰りになったらどうですか。夜の山路は栗のイガも多くて危ないことでしょうから。

良寛さんの庵を訪れた親しい友人に、その帰りを引き留めようと詠んだ歌です。
万葉集からの本歌取りであることも去ることながら、歌で引き止めるという行為そのものがすごく万葉っぽいです!フォウ!
相手ももちろん万葉集のことは熟知している人で、二人が万葉集の世界を自由に楽しんでいるところが想像されます。(羨ましい・・・!)

この歌の本歌となった万葉集はいったいどんな歌なのかというと

月読の 光に来ませ
 あしひきの 山き(へな)りて 遠からなくに

歌意:お月様の光をたよりにおいでになって下さいませ。山が立ちはだかって遠いというわけでもないのに。(伊藤博)

詠んだのは湯原王という皇族(天智天皇の孫)です。
男性ですが、この歌は女性の立場で詠んだといわれることが多いです。
とても美しく繊細な歌が得意なお方で、この歌も月の清らかな光に恋人たちの一夜の逢瀬がなんと映えることでしょう。



いかがでしたでしょうか。
良寛さんと万葉集の親和性は何と高いのか。と私は一人でニヤニヤしています。
次回はいよいよ最後です。
大正から昭和初期に活躍した斉藤茂吉さんと、今回のシリーズのまとめというか、オマケ的な話題を書いて終わりたいと思います。

本歌取りと万葉集~源実朝と本歌取り~

2連パチと10連パチをくださった方々本当にありがとうございます!!
本歌取り面白いぜフォオオオオオオオオウ!という気持ちで進んでおります!
あ、日曜日に行ってきた金閣寺は大変すばらしかったです!
金箔はやっぱりすごく見栄えがするなあと思いつつ、奈良の大仏の在りし日の姿を妄想していたにわか古代ファンの私でした。

それでは今日は鎌倉幕府第三代将軍「源実朝」さんの本歌取りを見てみたいと思います。
源実朝さんは前回取り上げた藤原定家さんに学んだ本格派の歌人です。
なお、今回から歌へのコメントを3行以内と制約して書いてみます。
少しは見やすくなっていることを祈りつつ。


まずは本歌となった万葉歌の方。

明日よりは 春菜摘まむと
  ()めし野に 昨日も今日も 雪は降りつつ
(巻八-1427 山部赤人)

歌意:明日からは若菜を摘もうとしめを結っておいた野に、昨日も今日も雪が降っている。(木俣修)

目の前に広がる「野」という風景を詠んでいながら「昨日」「今日」「明日」という言葉を織り交ぜて、その時間的な広がりをも表しています。
「空間的な広がり」と「時間的な広がり」を一つの歌で詠み上げているのはすごいと思いました!



それではこの歌を本歌取りした源実朝さんの歌です。

春は先ず 若菜摘まむと
 ()めおきし 野辺とも見えず 雪の降れれば

歌意:春になったら若菜を摘もうと決めておいた野原なのに、雪がこんなに降り積もって、まるで別世界のようになってしまった。

本歌と言葉の上では近い歌ですが、「野辺とも見えず」というところがこの歌のオリジナリティーの核になっているところでしょうか。
本歌の「時間的な広がり」に対して、野原が様変わりしてしまった目の前の光景への純粋な驚きが打ち出されていますね。
この潔い感じが武士という気がするのですが、どうでしょう。


次は作者不明の歌。

逢坂を うち出でて見れば
  淡海(あふみ)の海 白木綿花(しらゆふばな)に 波立ち渡る
(巻十三-3238)

歌意:逢坂の峠をうち出でて見ると、おお、近江の海、その海には、白木綿花のように波がしきりに立ちわたっている。(伊藤博)

「淡海の海」とはもちろん琵琶湖のことですね。
琵琶湖のゆったりとした波に白い花が映えて、すがすがしい光景。
この歌は奈良から近江へと旅をしていた人が詠んだ歌なので、旅の疲れを吹き飛ばす感動的な風景に写っていたことでしょう。


ではこの歌を本歌とした実朝さんの歌。

箱根路を わが越えくれば
 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ

歌意:箱根路を越えて来ると、目の前に伊豆の海が大きく広がっているではないか。そして沖の小島には波の寄せるのが遥かに見える。

箱根は東海道の難所です。
苦労して山を越えてきたら、パッと目の前に広がる伊豆の海はどれほど素晴らしかったことか。
山中と違って遠くまで見晴るかせる開けた風景の解放感が遠くに見える「沖の小島に 波の寄る見ゆ」から伝わってきます。


次の歌は万葉集の中でも私がちょっと意識している歌です。

伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波
  (かしこ)き人に 恋ひわたるかも
(巻四-600)

歌意:伊勢の海の磯をとどろかしてうち寄せる波、その波のように恐れ多いお方に私は恋い続けているのです。(伊藤博)

返事もくれない大伴家持に笠女郎が一方的に送り続けた29首の内の一首です。
家持さん、もしやわざと放置して面白い歌を贈らせたのでは・・・と勘ぐってしまいたくなるくらい彼女の歌は面白いです。
名門大伴家の嫡男で身分も気位も高い家持さんの態度を神の住まう伊勢の海の磯をとどろかせる波に例えた独創的かつ最高に的確な表現は、彼女の家持さんへの思いがもはや崇拝の域に達しているのか逆に強烈な当てつけを意味しているのか、私をいつも楽しく悩ませてくれます。


それではこれを本歌とした実朝さんの歌。

大海の 磯もとどろに 寄する波
    割れて砕けて 裂けて散るかも

歌意:大海の荒磯をとどろかせて波が打ち寄せている。激しく岩にぶつかった波は、おお、大きく割れて砕けて、裂けて最後はしぶきになって散ってゆく。

実朝さんといえばこの歌!というくらい有名な歌だそうです。
上三句はまさに本歌取りそのものなのに、その後の大波が磯に寄せる壮絶な描写が歌全体をまったく新しい印象に生まれ変わらせています。
ちなみにこの歌の本歌となっている歌は他にも巻七-1239や巻十二-2894が指摘されています。


いかがでしたでしょうか。
万葉集の素朴さや平安時代の雅さとは打って変わって、中世武士の荒々しさや潔さがとても興味深いと思いました。(次の瞬間兼倉の指はAmazonで「金槐和歌集」を検索していた)


次は江戸時代まで下って、子供好きの僧として有名な「良寛」さんの歌をご紹介します。
そのあと現代歌人「斉藤茂吉」さんをご紹介して、このシリーズを終わりにしようと思います。
あともう少し、お付き合いいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。

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Re:当サイトは11歳になりました
2021/12/09 20:35 兼倉(管理人)
Re:当サイトは11歳になりました
2021/11/27 12:01 りえ
Re:お返事です!
2021/05/09 13:07 兼倉(管理人)