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東北に行ってきました(初日)

まずはお返事!
りんこさん>熱き旅行レポート、楽しみに待っています
励ましのお言葉ありがとうございます!
早速始めます!

11月2~3日にかけて、宮城県と岩手県に行ってきたので、自分の備忘録として簡単に記録を残しておこうと思います。

<11月1日夜行列車にて出鳥>(※鳥取を出ることを「出鳥(しゅっちょう)」帰ってくることを「帰鳥(きちょう)」県外の人が鳥取にやって来ることを「来鳥(らいちょう)」という慣習があります)
サンライズ出雲にてドキドキの東北旅行へ出発です。
気合を入れてちょっと高いシングルの切符を取りました!(このワクワクっぷり)

<11月2日東北旅行一日目>

切符を激写。
切符の写真を撮るという行動から抑えきれない興奮状態がにじみ出ています。
東北新幹線「こまち」にて仙台を経由して、多賀城最寄駅の「多賀城駅」へ。
駅に到着した私は己の興奮にまかせるまま、駅の建物や周辺を激写しまくりながら、りえさんを待っていました。
ちなみに↓これも駅で撮影。


家持さんが!!!
見つけるまで存在を完全に忘れていました。
そうでした、多賀城は家持さん最期の場所でした。
今回は薄紅天女関連史跡旅行の気持ちが強くてモゴモゴ(言い訳)
家持さんは種々の偉人たちと違って死後までいろいろあるので、いまいち多賀城の「最後」とか「最期」のイメージが薄くなっています(私の中で)。
折角だから、いつか家持さんが死後に島流しになった島根県の隠岐の島にも行ってみたいですね!(関連史跡があるのかどうかは知らないのですが)

その後りえさんや娘さんと合流して一路岩手県の「達谷窟(たっこくのいわや)」へ。





切り立った崖に埋まるようにして建てられた毘沙門堂。
鳥取県民の私としては三徳山(みとくさん)の投げ入れ堂を思い出しました。
※参考画像(ウィキペディアより)

※投げ入れ堂は非常に危険な場所にあるので個人で登ることは禁止されていた気がします。
※また、季節によっては登ること自体が禁止されていたはずなので、もし行ってみたいとお考えの方がおられましたらご注意ください。






阿高がアベウチフチに初めて面会した岩屋はこんな場所だったかもしれないと思うと胸が熱くなります!(毘沙門堂は蝦夷とは関係ありませんが、場所、ということで)

それにしても、ここの岩壁は非常にもろそうに見えます。





こんなもろい岩を崩れないようにいろいろ工夫して、千数百年も持ちこたえさせているのかと思ったら驚きです。
毘沙門堂自体は火事で何度か焼けているようですが、仏像は火事の際に持ち出したりしているのでそれなりの年月を経たもののようです。
毘沙門堂内は厳かな雰囲気に包まれていました。(堂内は撮影禁止でした)

ここで阿高は蝦夷と大和の狭間で苦悩していたかもしれない……(静かに興奮)


大狼になって暴れ狂う阿高まで妄想し終えたところで、次はりえさんのご厚意によるご提案により、中尊寺金色堂を見に行くことに。
私には人生初の金色堂!!!
実はちょっと前の「100分de名著」の「おくのほそ道」を試聴していた私。
奥州藤原氏の盛衰を「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだ芭蕉が、「五月雨の 降り残してや 光堂(ひかりどう)」と詠んだというエピソードが紹介されていて、ものすごく感動していたのでした。(※本当にこの順番で詠まれたのかどうかは分かりませんが、おくのほそ道ではこの順で掲載されているようです)
諸行無常は世の常だけれど、そんな中からほんのわずかに後世に残っていく(残されていく)ものがあるというのは、やはり歴史好きになって日が浅い私といえども心を動かされずにはいられないわけです。



中尊寺では今まさに紅葉真っ盛りで、三連休の中日ということもあってかたくさんの人でにぎわっていました。
また、途中では神楽も行われていて、とても珍しいものを見ることができてとても充実していました。



金色堂自体は撮影禁止でしたが、名前の通りそのすべてを光に覆われた姿に私は言葉を失いました。
これが、奥州藤原氏の栄華の痕跡……芭蕉が光堂と詠んだ姿……小学生の時に社会で習った国宝……まさか、まさか本物を見られる日がこようとは……(震)
感動の勢いで図録を2冊、キーホルダー1つを購入し、大変楽しい一日となりました。


さて、長くなったので、翌日のレポは次の記事に回します。
次は家持さんの歌碑、松島、多賀城に行きます。

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