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お返事です・その79

萩野さま

うひゃああ!なんて律儀なお方でしょうか!
萩野さまあああ!!!
益々惚れてしまいます!!(迷惑)
あ、先ほどの記事では御もてなしもせず申し訳ございませんでした(汗)
今更ですが、私からはどうぞこれを・・・つ[抹茶ゼリー]<始め名前を見たときは、あまり美味しそうじゃないなぁと思ってたんですが、実際食べてみてびっくり!もの凄く美味しくて天にも昇る気持ちでした!(大げさ)

>「忘れない」というのは、死者に対してはその人生を背負うという意味もありますが、生きている者に対しては、確かに決別の言葉と取ることができるんですよね。

前にUPした話のテーマと同じ視点で書いているわけですが、さらにちょっと掘り下げた感じの内容を目指したものです。
前に言ってた「別の解釈」のものではなく、あくまでもあの話の解釈のままで書いています。
この視点を思いついた当時は、原作の「阿高編」と「苑上編」を対比させることに今よりも多少強くこだわっていて、阿高と鈴の台詞や立場を重ねて、そこから読み取れるものを探していたり、逆に相反する部分を象徴的に捉えていたりしていたので、ああいう解釈で書いてみたのでした。
私の中では薄紅天女の解釈を試みた中では一番始めで、一番原始的な視点です。
・・・形にするまでにちょっと時間が掛かってしまったわけですが^^;
阿高が「忘れない」と言ったことと、鈴が「忘れない」と言ったことは、言葉こそ同じですが、だからこそ本質的には相反する解釈が一層際立つ台詞だと思いました。
三部作や風神ではそれぞれ人が死んで、残された側がそれを背負って生きていくわけですが、その中でも阿高は最もギリギリまで「残る」側ではなく「死んでいく」側に立場が傾いていて、だからこそより一層どちらの立場の気持ちも理解できるのではないかなぁと推察しているのですが、まぁ阿高はあまり考え深い性質ではないので、どこまで分かっているかは疑問ですね^^;
でも頭で考えるだけでは到達できない境地には行っているので、理屈ではない何かが彼の中に生まれているかもしれないとも思っています。

>でも阿高は戻ってきてすぐにはその意味に気付いてない気がしていたので、きっとこんな風に鈴の言葉について思いを巡らせているんだろうな~とにやにやしながら(気持ち悪いですね、すみません)拝読しました。

その鈍さが阿高です。(断言)
しかし決して阿高は愚かではありません。
「鈍さ」は裏返せば周りに影響を受けない「強い意志」にも繋がります。
阿高自身もそれを上手く活かしている節はあるし(競べ馬とか)、周りもそれをよく理解して認めてくれているので、阿高の愛すべき個性の一つとなっているのでしょう。
逆に苑上の性質は周りから「眉をひそめ」られていて、唯一「すこやか」「活力」と肯定的に捉えてくれていた祖母も早くに亡くしてしまい、誰も彼女自身を認めてくれる人がいなかったことは、苑上自身をどれほど強く圧迫し、追い詰めていったのだろうかと思うと、とても心が痛みます。
周りに認めてもらえなければ、自分も自分を認めることなんてできませんね。
お陰で苑上は自分が女であることをまず否定して、そうとは知らずに自分を母親代わりに求める、つまりは女の苑上を求める弟も同様に否定的に感じてしまい、本来は愛すべき対象であるはずの弟を愛すことが出来ない自分を更に否定的に捉えて自己嫌悪に陥るという負のループに囚われています。
この辺りが前半の刹那的ではあっても充実していた阿高の描写とは凄く対照的で、一層苑上の追い詰められた心境が際立って感じられます。
こんなに正反対な生き方をしてきていながら、阿高と苑上は「孤独感」という共通の痛みを持ち続けてきたといのも、また読者としては興味深いというか、荻原先生の巧妙さに頭が上がらない思いがするというところでもありますね。
ホント荻原先生は・・・神だ・・・!
読めば読むほど、当たり前かもしれませんが、まさにお互いのために誂えられたかのような二人が出会って結ばれるという物語の美しさと巧妙さに感動を覚えます。
薄紅天女はサイコーだ・・・ハァ(万感の思いを込めたため息)

いつも以上に物凄く長々と語ってしまいました。
いやはやお恥ずかしい・・・(今さら)
語るだけではなくて、創作物として何かの形に出来たら一番理想的なんですがね^^;
無駄話ばかりでスミマセンでした。
出来ましたらこれに懲りずにまた気軽に構ってやって頂けると凄く凄く嬉しいです!
萩野さまのまたのお越しを心よりお待ちしております!

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