夕暮れ時。 いつもの時間。 約束の時間。 机に突っ伏して、その扉が開くのを待っている。 取引き(中) あれから幾日が過ぎただろう。 あの日のことは、まるで昨日のことのように思えるけれど。 彼女と取引をした。 初めて触れた彼女は驚くほどやわらかく、かわいらしかった。 そして、この手によく馴染んだ。 怯えていたけれど、嫌とは言わなかった。 しかし、あの日以来彼女には一度も触れていない。 なぜ。 「芹沢・・・」 なぜ彼女に触れないのか。 それは分かりきったこと。 劣情より慈しみの感情が勝ってしまったからだ。 「もっと、嫌がってくれればよかったのに」 どうしてもっと抵抗しなかった。 どうして俺を罵らなかった。 平手のひとつくらいは覚悟してたのに。 そうすれば。 (俺は遠慮なく悪役になれたのに) 知ってしまった。 気づいてしまった。 彼女のやさしさがどれほど深いか。 あんなに身体中を強張らせていたのに、とうとうこちらが手を引くまで我慢した。 (やさしすぎるんだよ、お前は・・・) 一方的な取引を持ちかけて、彼女の答えも聞かなかった。 なのに彼女は不満のひとつもこぼさなかった。 あれ以来人前では昔の友達然としながら過ごしている。 お互いに違和感はない、はず。 もうずっと5年も続けてきたことなのだから当たり前だ。 それは問題ない。 問題なのは、二人きりになった時。 こうして放課後少し遅くなった時や、昼休みに屋上で一緒に飯を食う時、芹沢は一瞬こちらを警戒するような目になる時がある。 その怯えたような視線。 そんな風に見てほしかったわけじゃない。 明らかに逆効果だった。 分かっていたけれど。 (くそっ・・・) せっかく思いが通じたというのに、これまで以上の距離を感じる。 (もっと欲しいと思うのは俺だけなのか。もっと知りたい。もっと触れたい。だけどお前が途中で泣きそうな顔をするから、それ以上先に進めない・・・っ) どうしてそんなに無欲でいられる? それとも。 (・・・言いたくない、けど) 彼女に確かめなければならないことが、ひとつだけあった。 しかし、どうしても言いたくはなかった。 あまりにも情けなさ過ぎて。 もし、そうだとしたら取り返しがつかない。 友達同士に戻りたいといわれるよりももっと。 (お前が恋をしていたのは、もしかして・・・) ガラリと扉が開いた。 「あの、敬ちゃん・・・遅くなって、ごめんね」 あの日と同じ夕暮れ時。 オレンジ色のやわらかい光が美しく照らすその姿。 「気にすんなよこのくらい。じゃ、帰ろうか」 怯えた視線から逃げるように外へ出た。 ⇒ back |