「阿高、まだかかるのですか?」 電車を乗り換えてからいくつか駅を過ぎたあたりで少女は阿高に問いただした。 阿高の表情は相変わらず感情に乏しい。 少女には彼が何を考えているのかさっぱり分からなかった。 「もうすぐだよ。乗り換えはもうしない」 東武野田線はのどかな場所を走っている。 駅の周りは住宅地が密集していてそれなりに賑やかに見えるが、駅と駅の間には程よく田園風景も広がっている。 少女は思い切って阿高に聞いてみた。 「阿高、馬のいるところにいくのですよね?」 阿高が少女を見返した。 少女は自信満々に聞いたのだが、驚いたことに阿高は首を縦に振らなかった。 「馬のいないところに行くのですか!?」 少女は思わず大きな声を出してしまい、ここがどこかを思い出してすぐに口を押えた。 少女は知っていた。 この世は大きく分けて二種類の場所がある。 馬がいる場所と馬がいない場所だ。 馬のいない場所に阿高が馴染みがあるはずはない。 阿高の頭の中の地図は馬がいる場所を中心に作成されている。 「馬なら田島牧場にいけばいつでも会えるだろ」 阿高は当たり前のように言ったが、少女には大変衝撃的な発言だった。 少女は阿高を精一杯の力で見つめた。 (阿高は何を考えているのかしら) 電車は東武野田線を西に向かって走っていた。 「大宮かなあ」 藤太が自信なさげにつぶやいた。 「この路線ならそのくらいよね」 千種もしぶしぶうなずいたが、やはりその表情は納得していない。 二人は話し合った。 「大宮で何をするつもりなんだろう」 「大宮の…『そごう』でウィンドウショッピング…なんて」 「阿高がウィンドウショッピング…?」 「考えられないわね」 「うん。似合わない」 「でも野田線でデート先になりそうな駅なんて大宮駅の他にはないわよね」 「そうだね…大宮駅からのりかえて京浜線で東京に行くとか?」 「それなら伊勢崎線を逆方向に乗って北千住を目指した方が早いわ」 「だよね。じゃあ京浜線の新大宮駅で降りて『さいたまスーパーアリーナ』…でも面白そうなイベントがあるなんて特に聞いてないけどな…映画観賞とか?」 「わざわざこれだけ移動しなくてももっと近場に映画館くらいあるわ。…本当に、何が目的なのかしら?」 「さっぱり分からないな。阿高のやつ、何を考えているんだ」 二人の話し合いが暗礁に乗り上げたところで電車は北大宮駅に停車した。 次がいよいよ終点の大宮駅だ。 まだ悩んでいる藤太の隣で、ふと前の車両を窺った千種がいきなり立ち上がった。 「どうしたんだ、千種」 「藤太、二人が降りたわ!早く!」 「なんだって!」 阿高に促されて少女が降り立った駅は「北大宮駅」という駅だった。 とても小さな駅で人の姿もあまりない。 狭い改札を出ると、密集した住宅の間を細い道が縫うように走っていた。 阿高はそのうちの一本を迷わず進んでいく。 少女ははぐれないように阿高のすぐ後ろを注意深くついていく。 10〜15分くらい歩いただろうか。 少し大きめの道路に出たと思ったら、向かい側に住宅地には似つかわしくない大きな森が現れた。 少女ははっと隣に立つ青年を見上げた。 「阿高、まさかここは」 阿高はニヤリと笑った。 「やっと気付いたのか。遅いぞ」 得意そうに阿高は鼻を鳴らした。 「前におまえが来たいと言っていたからな。折角だから連れてきてやった。馬は関係なかっただろう」 その言葉を聞いて少女は感激した。 そこは古代武蔵国の一ノ宮(または三ノ宮)と称される「氷川神社」だった。 少女は知っていた。 この神社は昔から、この地域一帯から広い信仰を集めている立派な神社だった。 そして、古代において年に二回春と秋の祭りでは、当時の男女の貴重な出会いの場所ともなっていたのだ。 遥か昔の男と女が恋の言葉を交わし合ったというロマンスは、少女をいたく興奮させた。 そんな場所に、ぜひ一度訪れてみたい。 できれば、好きな人と。 「どうしてデートが神社なんだ!」 「・・・いいんじゃない。鈴ちゃん、とても嬉しそうよ」 藤太の視線の先では、まるで散歩に連れ出された子犬のようにウキウキとはしゃぎまわる少女と、その後ろを満足そうに付いて歩く阿高の姿があった。 ふと、少女が立ち止まって持っていたカバンを探って何かを取り出した。 小さなもので、藤太たちがいるところからはよく見えない。 少女はそれを阿高に差し出した。 千種が、あ、と声を出した。 「あれ、きっと馬のキーホルダーだわ!」 「え、もしかしてあのときのキーホルダーか?」 藤太は以前見た形を思い出してみた。 あれは千種と一緒に民俗工芸か何かの施設に行ったときに作ったものだったはずだ。 少女が「馬」と主張するので、藤太はとりあえず「とてもかわいくて前衛的な馬だね」と褒めた記憶がある。 少女はそれを素直に喜んで、お気に入りのカバンの中にいつも入れていた。 それを、少女は阿高に捧げようとしているのだ。 二人は何度かの押し問答をしていたが、結局阿高が受け取った。 (阿高、あれが馬だってちゃんと分かったのかな…) (鈴ちゃん、あんなに大事にしていたものをあげるなんてよほど今日が嬉しかったのね) 藤太は阿高に疑惑を、千種は鈴に感動を覚えていた。 特に千種は後日少女にキーホルダーの代わりとして馬のぬいぐるみを縫ってやろうとここで決意した。 「…ねえ藤太、二人はもう大丈夫じゃないかしら」 「ああ、そうだね」 阿高と少女は神社を参拝し、仲良く茅の輪をくぐっていた。 藤太と千種は二人に気付かれないようにそっとその場を離れた。 朝に握ったおにぎりを公園で仲良く食べてしばらく散歩した後、阿高と少女は帰路に着いた。 ここまで何もかもが順調だったが、ここにきてほんの少しのトラブルが起こった。 「遅延か…」 駅では一定の間隔で遅延案内のアナウンスが流れていた。 それによると、人身事故のため電車が遅延しているらしい。 「まあ、急いで帰る用事も無いしな」 「そうですね」 深く考えず二人は駅のホームで時間をつぶしていた。 暫く待つと、ようやく電車がやってきた。 二人はその様子に言葉を失った。 電車は全車両にはち切れんばかりの人が乗車していたのだ。 「・・・おい」 「これは・・・次を待ったほうがいいでしょうか」 少女の提案を、阿高は少し考えて首を振った。 「待ってもどうせ同じだ。この時間帯以降はたぶん帰宅ラッシュになる。二人くらいなら何とか乗れるだろう」 「そうですね」 阿高と少女は何とか少しでも隙間のある入り口を探して滑り込んだ。 ドアが閉まる。 阿高はドアに両腕を突いて何とかそこに少女一人分の隙間を作ってやった。 パンパンの車両は重そうな車体をゆっくりと動かし始めた。 「大丈夫か」 「ええ、ありがとう阿高」 そう言って顔を上げた少女は、はっとしてすぐに顔を下げた。 阿高も何となくいつも以上に近い距離に落ち着かない気持ちになった。 もう少し離れたかったが、この乗車率では二人が乗り込めただけでも奇跡に思えるほどだったので、阿高は窓の外を眺めて気を紛らわそうと努力した。 いくつかの駅をそうして何とかやり過ごしていた二人だったが、しかし、ここでそんな二人の内心をあざ笑うかのように、電車が大きく揺れた。 「うお!」 「きゃっ」 バランスを崩して阿高は腕をずらしてしまい、少女は背にしていたはずの出入り口に人がなだれ込んできた。 必然的に二人の間に保たれていた僅かな隙間は消滅し、阿高と少女は正面から密着した。 阿高は焦った。 阿高自身なぜ焦っているのか分からなかったが、とにかく焦った。 「おい、もっと離れろよ」 「これ以上後ろに下がれないの」 少女も焦っているようだったが、二人ともこの状況をどうすることもできなかった。 阿高は思った、やわらかい、と。 (違うぞ。これは馬だ。子馬だ。ちょっといつもよりやわらかくて匂いが甘いだけの子馬だ。子馬め、くそ、やわらかいな。いや、子馬だ) 阿高なりの理性だ。 許してやってほしい。 電車はほとんど人が減らないまま駅に止まってはまた出発してゆく。 阿高には停車時や出発時の微妙に働く慣性の法則も曲者だった。 とにかく子馬がいけない。 子馬がやわらかい。 子馬の髪の毛がくすぐったい。 子馬がちょっといいにおい。 子馬の胸が・・・子馬に胸は無い。 (春日部駅はまだか) 阿高の焦りは頂点に達しつつあった。 何しろこの子馬はしょっちゅうふらふらして離れそうになるのだ。 まったく、迷子になったらどうするんだ。 抱きしめておいたほうがいいんじゃないのか。 (そうだ、迷子になって困るのはおれだ。離れないようにしっかり腰を・・・) 阿高が子馬の細腰に腕を伸ばした。 「阿高、やっと春日部駅です」 「え!?」 驚く阿高の声とともに、大量の人がホームに流れた。 二人はほとんど押し出されるようにして乗り換えの春日部駅のホームに下りた。 肩で息をしながら少女が阿高を見上げた。 「阿高、大丈夫でしたか」 「あのくらい何ともない」 何ともなかったらしい。 「おまえこそ随分疲れているように見えるけど、大丈夫なのか」 「まあ!わたくしだってこのくらい平気です!」 人の波が階段に殺到しているのを尻目に、二人は夕暮れ時のホームで笑っていた。 一番星だけが、夕日に隠されている二人の頬にさした朱を見抜いていた。 ← -------------------------------------- 初現パロ薄紅でした! 大変ノリノリで書いていることがおそらく文面から如実に伝わっているのではないかと思われますが、本当に楽しかったです。 りんこさま、リクエストありがとうございました! 戻る |