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【補足】荻原作品と万葉集~「空色勾玉」山吹の…(前編)

29日に拍手をくださったお方ありがとうございます!
好きなことばっかり書いてますが、ご容赦ください!
誰のためにもなりませんが、私が楽しくて有頂天で書いています!(知ってます)
でも良ければお付き合いいただけたらすごくうれしいです。よろしくお願いします。


それでは書きます。
・・・ちなみに、これとその次の「現代語訳いろいろ」をほぼ完成のところまで書いて一回ミスで全部消えたものを打ち直したものです(号泣)

・高市皇子は十市皇女をどう想っていたのか

この二人の間柄は公的には「戦勝側の総指揮官」「戦敗側の総大将の正妃」であり、異母姉弟であるということしか伝わっていませんが、昔から

「二人は恋仲であった」または「高市皇子が十市皇女に片思いしていた」

という推測が絶えません。
この二人に関する歌は、十市皇女の死に際して高市皇子が詠んだこの「山吹の~」を含む三首の挽歌のみです。
同じく逆境の中の二人である穂積皇子と但馬皇女の歌はたくさんの恋歌が残されているのに対して、非常に少ない情報量です。
さらに、高市皇子の母は地方豪族の娘ですが、十市皇女の母は額田王であり皇族です。
つまり、高市皇子よりも十市皇女の方が高貴な血筋なのです。
古代では父親の血筋がいかに良くても、母親の血筋に大きく影響を受けてしまいます。
この時代は藤原氏の台頭とともにそれが少しずつ崩れ始めている時代でもありますが、それでもまだまだ大きな障害なのです。
このように、もし二人が本当に恋中にあったとしたら、尋常ではない逆境の中にあることになります。
ここでもう一度高市皇子が詠んだ歌を見てみます。

山吹の 立ちよそひたる 山清水
  汲みに行かめど 道の知らなく

オギワラーとしては稚羽矢が狭也を黄泉の国まで追っていったシーンを想像したくなるような、非常にこころ揺さぶられる歌だと思うのですが、いかかですか?
高市皇子はこれ以上ないくらい複雑な関係にある十市皇女をどんな思いで見ていたのか。
その死を悼んで、さまざまな目がある中でこの挽歌を堂々と(少なくとも万葉集に採録されるくらいには知れ渡るほどあけっぴろげに)歌い上げたその心境はどんなものだったのか。
大変妄想しがいのある二人だと思っています。


・「山吹の~」の現代語訳いろいろ

この一年間で結構な冊数の本を集めたので、その中からいろんな人の訳を抜き出してみようと思います!
人によって結構個性があるのでとても面白いです。

伊藤(はく)
黄色い山吹が咲き匂っている山の清水、その清水を汲みに行きたいと思うけれど、どう行ってよいのか道がわからない。
まずは伊藤博さん。
下の記事ではこの伊藤博さんの訳を載せましたが、この訳はある程度原文に忠実な訳ですね。

梶川信行
山吹の花がその周りを彩っている山の清水を、汲みに行きたいと思うが、その道がわからない。
伊藤博さんと同様梶川さんもかなり原文そのままの訳のようです。

斉藤茂吉
山吹の花が、美しくほとりに咲いている山の泉の水を、汲みに行こうとするが、どう通って行ったら好いか、その道が分からない。
万葉ファンの間では有名なんですが、現代詩人の斉藤茂吉さんは万葉集の勉強家としても非常に大きな功績を残しておられます。

中西進
山吹の花が美しく飾っている山の泉を酌みに行って蘇らせたいと思うのだが、道を知らぬことよ。
今を時めく万葉学者の中西さんの訳です。
「蘇らせたい」と書いておられるところが他の方と違いますね。
原文にはない表現を補って、ちょっと突っ込んだ内容で書いておられます。

久松潜一
生命の花を求めて山吹の立派に咲いている山の清水をくみにゆこうとしても道をどう参っていいかわからない。
久松さんの訳もちょっと独特ですね。
「生命の花」とはいったい何なのでしょうか。オギワラー的には松虫草かもしれません。
久松さんは多くの方が主張する「黄泉」の説の「黄」を引き出すための「山吹」を別の解釈として捉えておられます。次の記事でもう少し詳しく書きます。

植田裕子
山吹の花咲く 静かな泉
眠れる君に 水を汲んであげよう
けれど それはどこにあるのだろう

これは「超訳」とされている訳なので、原文からある程度自由になって書かれた訳ですが、自由になってはいても元の歌の感性を壊さず私たちに優しく色づけて渡してくれているように思います。


とりあえず、長くなってしまったので今日はここまでとさせていただきます。
・万葉研究者さんたちの意見いろいろ
は、次の記事で書きます。

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