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「萬葉のいのち」を読んでいます

「愚者の賦」を読み終わって、次の「萬葉のいのち」を読んでいます。

※スミマセン!下で書いた「萬葉のこころ」はこの本の中の一小節の副題でした!図書の名前は正しくは「萬葉のいのち」でした!お詫びして訂正いたします!※この間から間違いすぎだ私・・・ううう、ごめんなさい

「愚者の賦」は全体を通して伊藤先生の万葉集に対する思いがひしひしと伝わってくる名著でした!
古代文学に対して殆ど知識の無い状態で読みましたが、物凄く興味を持ってしまいました。
さすが伊藤先生!さすが日本古典文学!楽しそう過ぎる!!
ぜひ私も仲間に入れてください!という気持ちになりました。(←おこがましくも)
これからますます万葉集および関連文献の探求に勤しみたいと思います。

そして現在読んでいる「萬葉のいのち」ですが、これは「愚者の賦」よりも更に万葉集の内容についての詳しいお話が書かれています。
その中で大変興味を持ったのが、「かなし」という言葉の説明の部分。
現代日本では「かなしい」といえばもちろん「悲しい」です。
古代でも「悲しい」という表現がされていました。
今月の始めの頃に書いた家持の挽歌にもこの表現がありましたが、意味は現代と同じです。

「ま幸くと いいてしものを 白雲に 立ちたなびくと 聞けば悲しも」

の「悲し」です。
ただ、古代は現代と違って、もうひとつの「かなし」がありました。
それが皆様よくご存知の「愛し」ですよ!
現代では「いとし」といいますが、古代では「かなし」と読みました。
意味は現代とは少し違って愛しいというより「かわいい」というような意味合いで使われていたようです。(というか私はそう習いました)
拍手コメントから頂いた阿苑的萌えを連想してしまう東歌の

「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの子の ここだ愛(かな)しき」

はまさに代表格ですね!
で。
「萬葉のいのち」の中でこの言葉が取り上げられておりましたよ。
また、同じように恋人に対する思いを表す言葉に「恋し」というのがありますが、これと「愛(かな)し」は明確な使い分けがあるそうです。
先に顕著に分かる例を挙げますので、ご覧下さい。

「愛(かな)し」の例
――高麗錦(こまにしき) 紐解き放(さ)けて 寝(ぬ)るがへに あどせろとかも あやに愛(かな)しき
※訳※高麗製の錦のようなこの子の紐を解き放って寝ているその上にも、さらにどうしろというのか、かわいくって堪らない

ちょww藤太自重ww
藤千の歌ではありません。東歌の一つです。藤千っぽい
続けていってみます。

「恋し」の例
――秋の夜の 月かも君は 雲隠り しましく見ねば ここだ恋しき
※訳※秋の夜の月のような貴女。月が雲に隠れてしまったかのように(貴女の姿が)少しでも見えないとひどく恋しいのです。

もうお分かりいただけたでしょうか。
「萬葉のいのち」の言葉を引用します。

 「愛(かな)し」は肉体的な愛情、いわゆる性愛を表わすことばであって、その点、男女が離れているときの精神的な愛情を示す「恋し」とは対照的であった。

ほほう。先生はかなり直接的な表現をなさってますが、つまり「愛(かな)し」はスキンシップを伴う場合の言葉なわけですね。
で、こうも書かれていました。

 ところが、この「愛し」は萬葉集においてかたよりがある。総数四十数例。そのうち四十例近くが東歌や防人歌、すなわち東国人の歌に集中する。

これを読んで思わず「ちょww東国の人イチャつき過ぎwww」ってツッコミ入れたのは仕方ないですよね!
反対に「恋し」=離れている恋人を思う表現は、東国の人は殆ど使っていないそうです。
好きになったら即アタックですか!
古代東国の人はまるで藤太の様ではないですか!
そして恋が成就したらしたでスキンシップしまくりというわけですね、分かります。
もし本当にそんな風土だとしたら、阿高のような性格は相当浮いてたでしょうね。
でも阿高も東国の男の血が流れているわけだから、鈴と一緒になってからはそれまでの反動があったりなかったりあったりあはははははは!(壊)
風神の草十郎の豹変も納得ですね。
草十郎のチュー好きは東国の男の血が流れている証ですね!ひゃっほー!伊藤先生は萌を分かっていらっしゃる!(誤解)


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更新しました。
ギャグは書くのが大変楽しいですね!
そしてギャグは阿高悲惨オチが一番たのsがほがほがほ!
というかいつも以上に山もオチもそもそも意味も無い話でスミマセンでした!
次はもう少し・・・何とかオチくらいはある話にしたいです。(希望)

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