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間違えてたー!!

昨日記事で書いた講演の場所を間違えていました!!
正確には「島根県民会館大会議室(3F)」でした・・・。
間違えたため20分遅刻(30分余裕を持って出ていたのでこのくらいの遅刻で済みました)で後ろからこっそり入らせていただきました。
とはいえ始めの部分は概説だったので結構聞き流していられて一安心。
そして終わりの20分がかなり面白かったです。
まず、出雲国風土記が二回作られた(一回作ってもう一回作り直した)説があるなんて知りませんでした!!
そうだったんだ!
確かに他の国の風土記と違ってかなり地元視点の風土記になってますよね。
作り直していたとしたら納得のクオリティーと思いました。
・・・まぁ証拠がないので確かなこととは言い難いですが、中々気になる説です。
風土記製作指令(笑)が出されて(713年)から、完成までに20年も掛かってますし(733年)、この間に何があったか妄想するのは大変楽しいですね。
それから、他国の風土記の成立年予測について。
出雲国風土記以外の現存する風土記4つは成立年については分かっていませんが、各々の「天皇」の扱いについて注目するとある程度絞ることが出来るのではないかとのことです。
現在の天皇が確定しているのは、古代に関してはそもそも日本書紀が元になっているわけですが、常陸国風土記には日本書紀には天皇とされていない「倭武天皇(=ヤマトタケル命)」と「息長帯比売天皇(おきながたらしひめのすめらのみこと=神功皇后)」の記載があり(さらにヤマトタケル命の妃の一人の弟橘姫に使われている敬語は皇后に使われる敬語になっている)、播磨国風土記では「聖徳天皇(=聖徳太子)」の記載があるそうです。
風土記はあくまでも公文書であり、国に正式に提出するものなので、間違いがあった場合は受理されないはず。
と、いうことは、常陸国風土記と播磨国風土記はまだ天皇が確定していない(=日本書紀が出来ていない)713~719年の間に作られたのではないだろうか?
そして、それぞれが天皇かそうでないかを明確に分けて記載している肥前国風土記と豊後国風土記は721年以降(=日本書紀が編纂されて以降=間違った記載では受理されない時代)に成立したと考えられるという説があるそうです。
これは中々信憑性があるような気がしますね!面白い!(有名な説だったらすみません、勉強不足でした)

この他にも色々と興味深い説がたくさん紹介されていて大変面白かったです。
また行きたいですね!

さて、ちょっと早いですが今週日曜の更新をしてしまいます。
今回は無題ものを3つ。
質より量ということで(痛)
無題ものは気ままで書きやすいのでつい色々と書いてしまいます。
もっとちゃんと話を練る才能と気力が欲しいなぁ!(無茶)

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