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薄紅時代考証

私が薄紅天女の創作をするにあたっての時代考証は、正直かなりアバウトです。
参考にしているのは奈良時代~平安時代の中期までです。
文献的には万葉集・各国風土記および風土記逸文・日本霊異記・続日本紀・日本後紀が主ですが、場合によって平安文学作品も参照してます。
無題2を書いたとき、この時代の暖房器具を調べてみたのですが(あんな短いのでも調べてたんです実は)結局分からず、枕草子の「冬はつとめて。(中略)火桶の火もしろき灰がちになりてわろし」から「火桶」を採用しました。
しかし宮中の暖房器具が果たして地方郡司の館にあったのかどうか。
そもそも地方の豪族の生活はどの程度の豊かさだったのか。
そのあたりも良く分からないので、この時代に存在していた(っぽい)ものは大体阿高たちも使っていたとかなり大ざっぱに考えて書いています。
寝具にしても(これも調べていた)、奈良時代は筵(むしろ)を何枚も敷いたもの(畳の起源)の上に着ていたものを掛けて寝ていたという記載を見たのですが、この筵も裕福な階級のもので、庶民は床に直に寝ていたとの事です。
原作には衾(ふすま)という掛け布団のようなもの(?)が出ていたので、掛け布団としてはそれを採用。原作重視ですから!
しかし敷布団の有無ですが、鈴は多分畳(もどき)で寝ていた(なんといっても内親王だったわけだし)はずだと思うのですが、竹芝ではどうなのか。
まぁ阿高が筵くらい調達してくれるよね!鈴のためだもんね!と思っているので脳内では二人は畳の上に寝ていますが、自信がないのでそのあたりの記載は極力避ける方向でいきたいです。(卑怯)
また、薄紅時代の習慣などに関しては、ほぼ都合により無視しているものが多いです。
最たるものは「通い婚」の風習。
阿高や鈴は別にしても、藤太や千種はこの習慣を日常的に許容していてもおかしくないかなと思うのですが(藤太は恋多き男だったわけだし、千種は一人娘=家持娘なので大変魅力的なはず)、藤太はともかく、千種は無しの方向で考えています。
千種は藤太が初めてですよ!(いろんな意味で黙らっしゃい
あとは、馬の扱いですが、この時代の馬は大変貴重な財産でとても価値が高いものなんですが、原作では郡司筋の阿高や藤太だけではなく茂里や広梨も結構気軽に馬を使っているようです。
武蔵では自宅に自家用車の如く割と自由に使える馬が何頭かいたのでしょうか。
牧にいる馬は焼印でどこの牧に属すか分かるようになっているのですが、牧から逃げ出した馬を盗んで、もとの焼印よりも大きな焼印を上から押すという犯罪行為が行われることもあったということなのですが(これは後に焼印の大きさを公に決めてしまうことで解消されます)、これはやはり馬というものが大変価値のあるものであった証でもあるんだと思うのですが、どうなんでしょうか。
阿高は原作で馬が武蔵人にとってどれだけ身近かを鈴に語っているシーンがありますが、商品価値に関しては特に何も触れられていません。
やはり薄紅的には中央へ献上するのとは別に、気軽に使える馬があったと解釈しても差し支えなさそうです。・・・間違ってるかもしれないけど、でもこれはあくまでもファンタジーだから!(合言葉)

・・・ちょっとした話でも考証がひっかかって中々進まなかったり、逆に当時の風俗から着想を得て話を書いたりするのが時代物(というと私の場合は大げさですが←なんせファンタジーなので)の醍醐味ですね。

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