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出雲という場所

古代史にハマる前は、出雲は出雲大社のイメージしかありませんでした。
小さな子どもがそうそう気軽に行ける場所でもなかったので(距離的に)、象徴的な印象しかなかったのです。
出雲大社は縁結びの神様がいて、神社もとても大きくて、有名で、何となく凄い(笑)みたいな気持ちを持ってました。
もちろん地元の人間ではないのでいつも心にあるわけではないですが、それでもどこか「遠くに住むいとこ」のようなどこか近い不思議な感覚を持ち続けていました。
今はもうほぼ毎月くらい(一時期は週一くらい←)行っているので、そんな不思議感覚は当然薄れてしまったのですが、思い出してみると何となく心がざわつくような妙にそわそわした感覚を持ちます。
・・・うまく表現できませんが。

なぜ突然こんなことを語っているのかというと(いやいつも唐突に適当なことを語ってますが)、「古事記を読みなおす」で、以下のような記述を読んだからです。

ヤマトの支配者たちが、出雲におびえ続けるようにみえるのは、やはり出雲という世界が実体をもって存在していたからではないかと思えてなりません。(中略)人の世の物語になっても、出雲という世界はとくべつな場所、とくべつな神がいますところと考えられていたことを示しているでしょう。それは、遠い記憶として、先祖たちが制圧し統一した地上世界の、そこに刻印された負い目とも言える出来事が、何か異変があると思い出されるということかもしれません。(中略)異常に直面した時にも、出雲と出雲につながる神々がわけもなく思い出されてしまう。それは、ヤマトの側にとって触れたくはない過去であったがゆえにいつも、浮かび上がってしまうのです。(中略)ここにあるのは、まさに人間たちの物語なのです。そうでありながら、出雲という消し去ることのできない刻印をしるし続けて古事記の物語は語り継がれていきます。(P.153~154)

※始めの太字の「出雲という世界が実体をもって存在していた」というのは、実は少し前までは「出雲」というのは地名こそ残っているけれど、古事記が編纂された当時としては地名としての出雲ではなく、神話の中や政治的意図によるヤマトと対立する架空の国であるという意見が大半を占めていたのです。
それが近年「荒神谷遺跡」という古代史を根幹から覆す大発見によって、それまで否定的な態度を取られている意見であった「出雲王国」の実在説(もちろん古事記や日本書紀が全部事実というわけではないですが)が一気に形勢逆転して今や古代史を読み解く上では無視できない大きな論となっていることに由来するものとも思われます。※

この記述を読んで、まず昔の自分の中の出雲はどうだったかなと思い出してみたのでした。
しかし、世界史などの「勝った者が正義」的な思想(もともと歴史は勝った者がその正当性を根拠付けるために記すものだった部分もある)とは少し違う感性があるのではと思いました。
世界史は日本史と違ってもっとスケールに富んだ話(為政者は基本的に日本とは比べ物にならないくらい絢爛豪華でありながら残虐性も桁外れ)が多いような印象がありますが、日本はどこか地味というと語弊がありますが、負けたものの影をいつまでも感じ続けている、そしてその感性を民俗としてもどこかに受け継いでいるような気持ちにもなりました。
だいたい、とうに制圧した民の神を、勝った側がいつまでも祭り続けるということ自体が異常であるはずなのに、どこかでそれを肯定的に感じるという矛盾を内包しているのが日本史の興味深さであり面白さの一つである気がします。
※現在出雲大社(大国主命)を祭っている宮司の一族「千家国造」家は、実は大国主の子孫ではなく、天穂日命(アマテラスの息子)の子孫です。(恥ずかしながら古代史をやるまで知りませんでした。出雲が源流の人だと思いこんでました。ていうか国造家自体がいまだに続いていること自体にびっくりでした!)
アマテラスの系統(天津神)が大国主命(国津神の最高神)を代々祭っています。
「千家国造」家の歴史自体は、これはこれでかなり燃え滾る妄想がありますが(創作はしませんが)、それはまた別の機会に語れたら語るかもしれません。因みに江戸時代辺りが大変楽しそう。(聞いてません)

出雲ってやっぱ楽しいな!(いつもそんな結論)

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