Entry

万葉神話:名コンビ!オホナムチとスクナヒコナ

いきますよ!
万葉人が思い描いた神話時代とは!

昨日も書いたとおり、実は万葉時代に語られていた神話は、今に伝わる古事記や日本書紀の神話とかなり違いがあるようなのです。
その証拠に、万葉集に収められている歌に「イザナキ」「イザナミ」の名前が入った歌は一首も無いのです。
ここで語ったこともあるとおり、この二柱の神は日本を始めに造った神様です。
なのに、当時の人々はこの二柱の神様の名前を歌に詠んでいない。
ではどんな神様の名前を詠んでいるのかというと・・・

大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの いましけむ 志都しつ石室いはやは 幾代いくよぬらむ
(巻三・355 生石村主真人)

<訳>大国主命や少彦名命が住んでおいでになったという志都の岩室は、いったいどのくらい年代を経ているのであろうか。


大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの 神こそば 名付けそめけめ 名のみを 名児山とひて が恋の 千重ちへ一重ひとへも 慰めなくに
(巻六・963 大伴坂上郎女)

<訳>この名児山の名は、神代の昔、大国主命と少彦名命がはじめて名付けられた由緒深い名だということであるけれども、心がなごむという、名児山という名を背負っているばかりで、私の苦しい恋心の、千のうちの一つさえも慰めてはくれないではないか。


大汝おほなむち 少御神すくなみかみの 作らしし 妹背いもせの山を 見らくしよしも
(巻七・1247 柿本人麻呂歌集)

<訳>その大昔、大国主命と少彦名命の二柱の神がお作りになった、いもの山、ああ、この山を見るのは、何ともいえずすばらしい。


大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く・・・(略)
(巻十八・4106 大伴家持)

<訳>大国主命と少彦名命が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは「父母は見ると尊いし、・・・(略)



以上をご覧になってお分かりでしょうか。
なんと、万葉集では

国土を造ったのは「オホナムチ(※後の大国主)」と「スクナヒコナ」ということになっているのです!!

「イザナキ」「イザナミ」じゃないの!?
えーーー!!?

歌によると、この二神はその昔、

一緒に暮らしていたり、
山の名前をつけたり、
山自体を作っちゃったり

してたらしいですよ!
びっくりですよね!
今では、古事記のみならず、絵本や色んな小説でも国土を造ったのは「イザナキ」「イザナミ」ということになっていますし、認知度も「オホナムチ」と「スクナヒコナ」に比べると断然「イザナキ」「イザナミ」の方が上です。
私は神話を勉強し始めるまで「オホナムチ」や「スクナヒコナ」という名前をまったく知りませんでしたし、大国主に別名があるなんて思いもしませんでした。
ところが、上記の歌を見ると、どうやらこの時代は「オホナムチ」や「スクナヒコナ」の方が広く親しまれていたようです。
この二柱の神様は古事記にも、もちろん出てきます。
しかし、古事記では国土を造ったのはご存知の通り「イザナキ」と「イザナミ」です。
それでは、古事記が書かれた当時、神話世界の名コンビとして親しまれていた「オホナムチ」と「スクナヒコナ」は、古事記の内では一体どのように書かれているのでしょうか?

次回は大国主と少彦名の出会いから書きたいと思います!

Comment

Post Your Comment

  • コメントを入力して投稿ボタンを押してください。
投稿フォーム
Name
Mail
URL
Comment
Deleate Key