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オホナムチとスクナヒコナの出会い(後編)

さてさて!
台風に負けず続きいきますよ!
前回スクナヒコナの正体が分かった大国主(オホナムチ)。
運命の出会いの行方は・・・!?

かれしかくして、神産巣日かむむすひのおやのみことに(大国主が)まをげしかば、答へてらししく、

「此は、まことが子ぞ。子の中に、我が手俣たなまたよりくきし子ぞ。かれなむち

葦原あしはら色許男しこをみこと兄弟はらからりて、其の国を作り堅めむ

とのらしき。


前回カカシの久延毘古くえびこによって正体不明の神様は神産巣日神の子「スクナヒコナ」と判明しました。
大国主はスクナヒコナを連れて高天原の神産巣日神のところへ上っていきます。
そこで神産巣日神は「これは確かに私の子だ。手から零れ落ちてしまった子だよ」と答えます。
子どもが手から零れ落ちるって!
よっぽど神産巣日神が大きいのかスクナヒコナが小さいのか。
一応定説では後者が専らですが、人によっては「オホナムチ」と「スクナヒコナ」のセットの名前というだけで、身体の大きさによる名前ではない、といっている人もいます。
三国志に出てくる有名な美人姉妹「大喬」と「小喬」も「姉」と「妹」という意味の大小ですから、分かる気もします。
で。
神産巣日神はさらに凄いことを言いますよ。

「折角だからお前(スクナヒコナ)は葦原あしはら色許男しこをみこと(大国主の別名)と兄弟になって、一緒に国造りをしなさい」

物凄いことをついでみたいにさらっと言いましたよ!!
国造りってあれです!
イザナキとイザナミが途中までやってたやつですよ!
イザナミの死によって中断していましたが、それの続きをやりなさいって言われてるんですよ!
ひーえー。
大国主は既にこの前の段階でスサノヲから国造りをしろと命令されているのですが、スクナヒコナまで加わることになりました。
イザナキとイザナミは夫婦だったので、国土や神様を「出産」という形で、国造りをしていましたが、それではこのでこぼこコンビは一体どんな国造りをするのでしょうか!?
かなり気になりますよ!
続きを見てみましょう!

故爾かれそれより、おほあな牟遅むぢ少名毘古那すくなびこな二柱ふたはしらの神、相並あいともに此の国を作り堅めき。
しかくしてのちは、其の少名毘古那神は、常世国とこよのくにわたりき。

オホナムチとスクナヒコナは二柱で共に国造りをした。
その後スクナヒコナは常世の国に渡った。


( ゚Д゚)「・・・」
二行・・・だと・・・?

信じられないことにオホナムチとスクナヒコナの活躍は二行で終わりました。
イザナキとイザナミの国造りはあんなに長々と書いていたのに!
実は古事記にはこれだけの記述しかないのですが、万葉集や風土記には色々な記述が残っています。
次の記事でその一部をご紹介しますね。
では、最後の締めです。

故、其の少名毘古那神をあらはまをしし所謂いはゆ久延毘古くえびこは、今には山田の「そほど(=カカシ)」ぞ。此の神は、足はかねども、ことごとあめしたの事を知れる神ぞ。

ここ!
久延毘古の紹介部分ですが、本当に格好いいですね!
特に最後が痺れる!
「この神は歩けないが、世界中のことを何でも知っている神である」
格好いいなぁもう!
この続きは、この間語った大物主の話へと続いていきます。

と、いうわけで。
万葉時代ではかなり広く親しまれていたと思われるオホナムチとスクナヒコナですが、古事記ではその二神の活躍は殆ど描かれていないという意外な事実が分かりました。
実をいうと、今回のこの話を書くことを思い立ったきっかけは、西條勉さんの本の記述を読んだからでした。
以下にその内容を引用します。

古典ライブラリー
「古代の読み方」神話と声/文字
著:西條勉

「スクナヒコナの忘却」

(古事記の中で)オホナムヂ(オホクニヌシ)が出雲の三穂崎にいると、蛾のぬいぐるみを着て、カガイモの殻に乗りながら波頭を伝ってやってくる神が登場する。名前を聞いても答えないので、付き従う神たちに尋ねたところ、誰も知らない、という。そこにヒキガエルが現れて案山子かかしならしっているはずだというので、案山子に聞いたところ、ようやく、それがスクナヒコナであると分かる――というくだりがある。
 この場面はとてもユーモラスに語られている。読者は語り口の面白さに乗せられて、なるほど、そんなへんてこな神なら誰だって知らないはずだ、とついつい納得させられてしまうところである。けれども、ちょっと考えてみてほしい――スクナヒコナは、それほど無名の神だったのだろうか。この神のことを「皆、知らず」というのは、いささか腑に落ちないところがあるのではないだろうか。というのも、この神は、古事記が作られた頃は、おそらくもっともポピュラーな神だったはずだからである。「播磨はりま国風土記」や「出雲国風土記」、それに逸文の「伊予国風土記」などで、オホナムチ・スクナヒコナのコンビが活躍することはよく知られており、また、「万葉集」にもこの二柱の神を詠み込む歌がある。(略)
 オホナムチ・スクナヒコナを創成神とする神話は、当時の民衆にとってかなり馴染み深いものであったはずなのである。ところが、古事記では誰も知らないまったくの無名の神になっている。いったい、これはどういうことなのであろうか。
 まず、よく言われることだが、古事記の神話が民間神話をそのまま書き取っているわけではない、という事実が確認できる。しかも、それはたまたま生じたズレといったものではないようだ。「皆、知らず」という言い方には、なにか民間神話を故意に無視したい底意が見え隠れする。そもそも、オホクニヌシがスクナヒコナのことを知らないというのが不審であろう。民間神話で、この二神はいつも行動を共にしていたのである。そこで、あらためて記紀の神話を鳥瞰してみると、そこでは<オホナムチ・スクナヒコナの神代>という観念そのものが否定されていることに気づく。記紀神話でこれに相当するのは、いうまでもなく<イザナキ・イザナミの神代>である。ところが、この神話が広く民間のあいだに流布していたという証拠はどこにもないのだ。たぶん、そんな神話は存在しなかったであろう。<イザナキ・イザナミの国土創成>は記紀のなかではじめて作り出された神話で、伝承的な基盤などはまったくなかったと見て間違いない。
 そうすると、古事記にスクナヒコナを無名の神とするのは、イザナキ・イザナミを創成神に仕立て上げるために、どうしても必要な措置であったことが分かるのである。つまり、「皆、知らず」という言い方の裏には、この著名な神を意図的に無視しようとする書き手の意図が隠されていたわけである。しかも、オホナムチさえもしらないとすることで二神のコンビを解消させ、民間の創成神話を巧みにバラしてしまったのだ。その結果、スクナヒコナは正真正銘、無名の神になりさがってしまった。かつてあれほど広く親しまれていたのに、今では、日本神話に関心を抱いて古事記を卒論に選択する学生ですら、スクナヒコナのことを知っているものはほとんどいない有り様である。そのかわり、イザナキ・イザナミの二神は、老若男女を問わず、圧倒的な知名度を誇る。書き手の意図はまんまと成功したわけである。

はー!
なるほどなるほど。
全てを鵜呑みにするのは若干危険なような気もするのですが、だからといって、私のような神話初心者の凡人には反論の余地もありません。
さて、古事記のオホナムチとスクナヒコナの話はこれで終わりです。
次回はこの二柱の神の補足。
いろんな国の「風土記」に足跡を残すオホナムチとスクナヒコナの活躍を見てみたいと思います。

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