【後編その一】「藤太」でなければならなかったこと、「苑上」でなければならなかったこと
- 2012/01/25 08:06
- Category: 薄紅天女>妄想語り
まとまりのない呟きみたいになってきててすみません。
続きです。
藤太はずっと阿高に孤独を忘れさせることで救っていましたが、それも限界がきてしまいます。
それは藤太の秘密がきっかけでした。
阿高はずっと藤太と一緒にいることで、孤独であることを忘れていましたが、それは自分と藤太がまったく違う人間ということに阿高自身が目を逸らして、自分と藤太は一心同体であるかのように錯覚していたからこそ、出来たことではないかと思います。(孤独を知らないで朗らかに生きる藤太に阿高は自分を重ねていた?)
しかし、藤太は阿高の知らない秘密を知っていました。
阿高は今までずっと自分は藤太のことは何でも分かると思っていました。
しかしこれにより、藤太は阿高とはまったく違う人間だった(よく考えれば当たり前のことですが)と思い知らされました。
・・・ちょっととっぴな考え方でしょうか。
もう少し詳しく書いてみます。
原作中、阿高は何度か藤太と自分が違うことを気にしている箇所があります。
恋が出来ないこと、容姿が違うことなど。
けれど、そういうことを気にしても、あまり深く考えようとはしていません。
そういう考え(「心にしこりがある」状態?)に陥るたびに、藤太が気づいてひっぱり戻してくれたからではないかと思います。
衾にもぐりこむころには、阿高の胸のつかえは消え去っていた。
今までどおり、藤太のすることについていこうとしみじみ思った。(新書p.25)
こういうことが、きっとそれまで飽きるほど繰り返されてきていたのだろうと想像します。
考えてみれば、阿高にとっては藤太や父親と同じであること(似ていること)は竹芝(武蔵)人と同じであること、そして母親似であることはそうではないこと(=武蔵では孤独)に繋がっていたかもしれません。
一生懸命、自分はここの仲間であると信じたかった阿高の心を思うと胸が締め付けられる気がします。
ちなみに藤太の方についても少し。
藤太は阿高と違って大勢の人に囲まれて孤独を知らずに生きてきました。
でも孤独を知らずに恵まれすぎていたからこそ、失うことに対する恐怖心は人一倍だったのではないかと推測しています。
藤太が阿高といることは、一方的に阿高を救うだけではないと思います。
藤太もまた、阿高が必要としてくれることで、そういう恐怖心から縁遠くいられた。
それが、ふとしたきっかけで離れていってしまった。
誰かを失うという体験したことのない恐怖に、藤太はきっと耐えられなかった。
藤太も阿高とは別の理由で、阿高を自分と同じに思っていたはずなんです。
無条件に一生一緒にいられると信じて疑わなかった。
そういう阿高が離れていってしまったことで、このとき藤太も阿高が自分とは別の人間であり、失う可能性があるのだと自覚してしまったことでしょう。
二人は陸奥の地で再会します。
その時の藤太が阿高に言った台詞を見てみます。
「阿高。それがおまえのためになのかどうか、正直にいえばわからないよ」(新書p.193)
この言葉はきっと武蔵にいたころの藤太には言えなかった、思いもしなかった言葉だと思います。
自分と阿高が別の人間だと初めて自覚して、それに戸惑いながら一生懸命に語りかけているのでしょう。
「だけどおれは、追ってこないではいられなかった。おまえにいてほしいんだ。おれたち武蔵の仲間の中に、竹芝のおれたちの家にいてほしい。たとえおまえがおれのことを見限っても、ほかのどんなものになっても、おれは願うのをやめないだろう。今までおれが気づかなかったのは、おれたちはけっして双子じゃないということだ。生まれついてひとつのように、当然の顔をしてそばにいてはならなかったんだ。だから今からたのむよ。おまえの思いをおれに分けてくれ」(新書p.193)
藤太はお互いにお互いが「双子」ではなく、ただの他人であり、ともに居られることの奇跡に感謝することと、これからもともに居るためには努力が必要だということを学びました。
阿高としては、お互いが別の人間であっても、仲間として求められることはどんなに嬉しかったことでしょうか。
違っていても、それでも一緒にいたいと望んでも許されることを、藤太は命を賭けて阿高に伝えてくれたと思います。(よかったね阿高!)
これは苑上のように阿高と本質的なところで同じ部分を持っている人間では意味がなかったことです。
藤太だったからこそ、阿高と本質的に違う人間が、「違っていてもいいんだよ」と言ってくれることが大きな意味を持っているわけです。
ここで、阿高は自分が一人の人間であるという自覚を持つとともに、自分のために命を賭けてくれた藤太の勇気に応えたいと思ったのではないでしょうか。
雷の力という巨大なものへ立ち向かう強い意志と勇気は、きっとこのときの藤太のお陰で持つことが出来たと思います。
前編で書いていた
・藤太と苑上の何が阿高に己を取りもどさせたのか⇒阿高が孤独に打ち勝つための武器になったもの
・己を取りもどした阿高が得たもの。
は、それぞれ
・藤太の信頼と勇気
・一人の人間としての自覚と困難に立ち向かう勇気
ということになると思います。
これが、阿高にとって『「藤太」でなければならなかったこと』のとりあえずの結論とさせてください。
この後苑上の方も書きます。
後編なのに「その一」とか書いててホントスミマセン・・・。
行き当たりばったりなのがバレバレですね。