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阿高の孤独(伊勢阿高への伏線を半分捏造なのを承知の上で考察してみる試み:その弐)

<お読みいただく前の注意>
・半分どころかほぼ全部が捏造状態です。
・内容が内容なのであまり明るい話題ではありません。
・人によっては拒否反応が起こるかもしれません。
・この日記の記述をお読みいただかなくても当サイトの展示物をお読みいただく上では何の支障もありません。
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続き
前に初期の苑上の精神状態について考察したのですが、これはその対となるような(意図的ではないので全然繋がってませんが)阿高の精神状態についての考察です。
阿高は元々内にずっと孤独感を抱えていました。
人が当たり前に持っているはずの両親を、阿高は二人とも知らずに育っています。
藤太の父と母を自分の両親として、分け隔てなく育てられはしましたが、やはり本当の両親を持っていないということは、阿高にとって僅かながらでもプレッシャーやストレスを与えていたと思います。
白鳥異伝の小倶那にも通じるところがありますが、彼もまた、両親を知らずに育ち、のちに出会った母親を、その過ちを知りながらも拒絶することが出来ません。
「(前略)~ぼくは憎むわけにはいかない。~(後略)」(白鳥異伝文庫下p.251)と言っています。
それ程親というものの存在は子にとって大きいということでしょう。
少なくとも、善悪・好悪の判断を超える存在であることは確かなようです。
そのような大きな存在を持たずに育った阿高の孤独感はやはり小さくは無かったことと思います。
特に周りが父親や母親の話を殆どしなかったこともあり(阿高も聞けなかった)、その面影を追うことすら出来なかった阿高の心の闇は周りが思う以上に根の深いものになっていたことでしょう。
苑上が(だれがそばにいようと、たとえ藤太のような人がそばにいようと、この人は孤独なのに違いない・・・・・・)と思ったのは、この阿高の奥底にある孤独感の一端を感じ取ったからだと思われます。
阿高の孤独感の根は「人知を超えた雷の力」そのものではなく、阿高のもともとの出生にあり、これが雷の力(=他人と違うもの)とあいまって、阿高の孤独感をさらに強調する結果となっています。
個人的には、物語の中でこの雷の力は阿高が幼いころから感じていた他人との違い(からくる孤独感)とどこかで融合していったのでは、とも思いました。
自分は他人とは違っているから、このような受け入れがたいものを持っているのも道理である、みたいな・・・いや、でもこれはちょっと思い込みが過ぎるかも・・・うむむ。
このような幼い頃から少しずつ溜まっていた孤独感は一度藤太の裏切り(誤解ですが)によって爆発します。
しかしそれを藤太は阿高を命を懸けて取りもどしたことで、再度阿高の信頼をも同時に取りもどします。
最後の決戦の場面で苑上が阿高に死ぬことすらともにと望んだこととも対比できる部分かと思います。
この時の藤太と苑上の状況を並べてみます。

<藤太>
その一(文庫上p.283)
「わかったよ。みんなを逃がそう」
藤太はついにいった。
「ただし、おれはおまえについていくぞ。おまえがもどったら、これからは離れないと誓ったんだからな。おまえにできることをしろよ。おれは二度とおまえをひとりぼっちにしない。それが、おれにできることだ」
阿高はだまって藤太の方に身を寄せた。しばらくそうしてからつぶやいた。
「ものを考えることができないけものになっても、藤太の匂いは覚えていた。すまない、藤太・・・・・・そばにいてくれ」
その二(文庫上p.286)
「弱気になるな。何をいわれようと、おれから離れようなどと思うんじゃない。約束だろう」
阿高は口の中でつぶやいた。
「藤太。いくらなんでも、いっしょに死んでくれとはいえないよ」
「試しにいってみろよ」
「ばかいえ。藤太には待っている人がいる」
泣き出しそうな声で阿高がいった、(後略)

<苑上>
その一(文庫下p.281-282)
「(前略)だから、今度はあなたに何かをしてあげたい」
「おれに?」
阿高はとまどった様子でつぶやいた。苑上は真剣にうなずいた。
「役には立たないかもしれない。でも、怨霊を倒すためにあなたがすべてを捨てるなら、わたくしも捨ててかまわない。皇の側にも、あなたにむくいる者がいなくてはならないと思うの。あなたの行くところに、わたくしもいっしょに最後までついていく」
「そんなのは本当に役に立たない」
ぶっきらぼうに阿高はいった。苑上は思わずむっとした。
「一人にしないといっているのよ。わたくしはあなた一人に負わせたくないの。たとえ役に立たなくても、そういう者がいるかいないかでは違うでしょう」
(中略)
「そらそうとしないで。わたくしは本気なのだから。あなたがだれのもとにも帰るつもりがないから、わたくしはついていこうというのよ」
「わかったよ」
今度は阿高も声をあらためた。にらんでいる苑上を見つめ返していたが、静かにいった。
「それが望みなら、ついてこいよ」
その二(p.302、304)
「わたくしをつれていって。わたくしもそこへ行くから」
苑上がいうと、黒馬は首をかしげ、横目で苑上を見た。
「おまえ、死にに行くつもりでそういっていたのか」
「約束したでしょう。あなたがそう考えていることくらい、知っていたもの」
阿高は少しだまってから、ふいに柔らかい声でいった。
「これ以上迷子になるなよ。もういいんだ」
「もういいって、どういうこと」
(中略)
「どうかつれていって。わたくしには、ほかに行くところはないの」
黒馬の柔らかな鼻先が涙にぬれたほおに感じられた。そのなぐさめの感触につかのま身をゆだねていると、風のような阿高のささやきが聞こえた。
「そんなことはない。鈴は人を幸せにする力を持っている。その力があれば、行くところがないはずはないよ。元気を出すんだ、きっとおまえが必要になる者がいる」
思わず目を上げると、黒馬の絹のような瞳は、かつてないほどやさしい光を浮かべて苑上を見ていた。そして、そのやさしさを浮かべたまま、苑上の腕から身をふりほどいた。

苑上のほうの引用が長いのは別に愛の差ではありません。私の技術の問題です。(痛)
てか、引用していて、「すまない、藤太・・・・・・そばにいてくれ」のあたりはかなりぐっときてしまったわけですが!!(おおお!阿高!)
この台詞だけでも阿高がどれだけ藤太に依存しているか分かるというものですね。
強い思いは強い力を生みますが、それに捉われすぎると逆に枷にもなります。
この強い思いが、藤太が怪我をした時に、阿高に死を選ばせる要因になってしまうのは致し方ないことだったと思います。
で、死が目前に迫った上記二つの場面(その二の方)、ここまで依存している藤太ですら、そして行き場所が無いといっている苑上ですら、阿高は「待っている人がいる」「きっとおまえが必要になる者がいる」という同じ理由で突き放します。
それはまるで自分が必要とされていないような言い方で、聞いてるこっちが悲しいを通り越して腹が立つような、でも阿高をそこまで追い込んでしまう運命に胸が締め付けられるような心地になります。ううう・・・阿高・・・。
自分を無条件で受け入れてくれる存在(親)の不在とそれに対する周囲のタブー視は、阿高の中で確実に暗い影を落としていたんだろうと思います。
やさしい人たちや笑い合える仲間たちに囲まれていても、どこかがほんの少し満たされないまま生きていて、それが彼の不安定さ(喧嘩っ早い)や辛い時に一歩引いた状態(辛くても打ち明けようとしなかったり、自分の状態に鈍感だったり)に繋がっているように感じました。
因みに、藤太が前半で阿高のことを「見られることに慣れた貴人のよう(文庫上p.76)」と評する部分があり、これも普通に読めば「さすが小倶那の血筋!」とか「チキサニ女神を受け継いでいるんだな!」とか、あとはこの後の物語の主人公の器を感じたりするわけですが(スミマセン、私はもともとそう思ってたんですが、もしかしてあまり一般的じゃないのでしょうか?)これも「見られることに慣れた」⇒「周囲の視線に頓着しない」⇒「自分に関心が無い」⇒「孤独(孤立)感」という考えも出来るような・・・いや、これはこじつけか。むむ。
そして、阿高は物語が進む中で、藤太と苑上の二人から命をかけて共にいたいと望まれたことで、やっと自分の気持ちをひとつところにおくことができたのではないでしょうか。
親が子を産み、守り育てるのは生半可なことではなく、それこそ命がけの思いがあってこそのことで、それを阿高はこの二人から得たことにより、ようやく長年満たされていなかった部分が埋まり、一人前の人間という自覚をもてたのではないかと思います。
自分も人と同じく、愛され、望まれた人間だったと自覚することが出来たわけです。(私の中ではそういうことになっています)
そして、そのような状態になったからこそ、苑上の「もどってきて」の声に素直に応じることが出来ました。
阿高よかったね!ホントによかったね!



あれです、なんか書いてるうちに阿高(自分で捏造してる部分)にどんどん引き摺られていって自分がダメージを受けるという(何してんだ)
阿高は相当辛かったんだなぁ・・・とかいろいろ考えました。
苑上は苑上でこちらもまた物凄い極限状態まで追い込まれてしまうわけだし。
おおお。ふ、二人とも幸せになれっ

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