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日向神話~天孫降臨~(番外編:ナマコを切り裂くウズメ)

続きです!
先ずは以前書いていた古事記の現代語訳から載せます。

<ナマコを切り裂くアメノウズメ>

三浦版

さて、アメノウズメは、サルタビコをお送りして阿耶訶に帰り到るとすぐに海に出ての、伊勢の海にいる(ひれ)の広くて大きな(うお)も、鰭の狭くて小さな魚も、ことごとくにひと処に追い集めての、

「お前たちは、天つ神の御子にお仕えいたすか」

と問うた時に、もろもろの魚はみな、「お仕えいたします」と言うたのに、ナマコだけは何も申さなんだ。
するとの、アメノウズメは、ナマコに向こうて、

「こやつの口は、なにも答えない口」

と言うて、懐に入れた紐飾りのついた小刀で、そのナマコの口を切り裂いてしもうた。
それで今でもナマコの口は横に裂けておるのじゃ。
そんなわけでの、その後も、世々に変わらず、島の速贄(はやにえ)御門(みかど)に奉るおりには、猿女の君どもにおすそ分けが与えられることになったのじゃ。
ちと、話が横道にそれたかのう。


福永版

一方、アメノウズメノ命は、サルタビコノ神を伊勢の国に送って着くと、海に住む魚という魚を、鰭の広いのも鰭の狭いのもすっかり集めて、こう尋ねた。

「お前たちは、天神(あまつかみ)の御子にお仕えしますか?」

その時、魚どもはいっせいに答えた。

「みなみな、お仕えいたしましょう」

ところが、海鼠(なまこ)だけは、返事をしなかった。
そこでアメノウズメノ命が海鼠に言うには、

「この口は、答のできない口なんですか?」

こう言って、紐のついた小刀でその口を割いてしまった。
それゆえ、今でも海鼠の口は割けている。
このように、ウズメノ命が魚どもに誓わせたことがあるので、代々、のちの志摩である島の国(今の伊勢半島の先端あたり)から、海でとれた初物(はつもの)を朝廷に献上する時に、その初物を、子孫の猿女の君などに下されるのである。


中村版

仰せを受けた天宇受売命は、猿田毘古神を送ってから戻ってきて、海の魚の大・小すべてを追い集めて、問い尋ねて、

「おまえたちは、天つ神のご子孫にお仕え申し上げるか」

と言った時に、多くの魚がみな「お仕え致します」と申した中に、海鼠だけは申さない。
そこで天宇受売命は海鼠に、

「この口なのだな、返事をしない口は」

と言って、紐のついた小刀で海鼠の口を裂いた。
だから、今でも海鼠の口は裂けているのである。
こういうわけで、天皇の御世に至ってもずっと、志摩の海産物の特急便を献る時に、猿女君らにご下賜(かし)になるのである。


この話の「お仕えする」というのは、ニニギにつき従って何かするという意味ではありません。
魚たちはみんな「食べ物」としてお仕えするという意味です。
つまりは食べられてしまうということですね。
ここで他の魚たちはみんな挙って(内心どうかはわかりませんが)「お仕えする」と言っているのに、ナマコだけが何もいいません。
それに怒ったウズメがナマコの口を切り裂いてしまうという話です。

この話は二つの起源が語られていますね。
・ナマコの口が裂けている理由
・志摩の海産物が天皇に奉られるときに猿女の君の一族に下賜されるようになった理由


一体どうしてこの二つの起源が語られているのか。
一つ前の記事の猿田毘古の話でもそうでしたが、ここでもやっぱりなんだか疑問が残ります。
これに関しては山田永さんの「古事記講義」に面白そうな意見が載っていたので引用させていただきます。

私は、愛知県の知多半島の常滑市に住んでいます。
伊勢湾は目の前の身近な海だから少々自慢げにいうと、そりゃあ魚の豊富な所です。
そして、知多半島といえばコノワタ!
ナマコの腸(はらわた)を塩辛にしたもので、日本三大珍味(らしい)の一つです。
やはり萬葉集には、「御食[みけ]つ国 志摩」「御饌[みけ]つ国 神風の伊勢の国」など、伊勢湾の魚のことが歌われています。
「御食つ国」とは朝廷へ食物を献上する国のことで、宮内庁御用達の魚介類は伊勢・志摩が(ほかには淡路島も)有名だったようです。

(略)倭国(海なし県の奈良)では、魚介類は貴重な食材だったにちがいありません。
西郷信綱氏『古事記注釈』第二巻は、志摩国のそれが朝廷への献上品だったことを平安時代の文献から紹介しています。
その中にはナマコのこと(正確にいえば、生ではなく煮たイリコ)ものっています。ご参照ください。

どうも、古事記本文から離れたところでの解説ばかりになってしまいました。
ついでにもう一つ。
倭国の人にとって、魚介類の中でもとりわけナマコは入手がむずかしかったにちがいありません。
それが最後のナマコの話ではないでしょうか。
裂けた口を不思議に思ったとしても、その起源をここで説くのは古事記という書物にとってあまり有益とは思えません。
ひょっとすると、なかなか朝廷へ献上してこない理由を、「お仕えします」と答えるナマコが少ないからだとみなしていたのかもしれません。
その口を小刀で切ったのがアメノウズメなのだから、その子孫である猿女の君は、まれにナマコが献上された時はおこぼれを頂戴することができたのだといっているように思われます。


伊勢湾はのしアワビでも有名ですよね!
確かこれは伊勢神宮への御神饌になっていたような気がします。
古くからおいしい魚介類が豊富なことで有名だった土地ならではの起源説話といえるのかもしれません。

それにしても、ウズメは古事記において本当にクローズアップされてますね。
ニニギに付き従って天降ってきた神様の中でこれほど詳しく書かれているのは彼女だけです。
他の神様に関してはその逸話が散逸してしまっていたのか、それとも稗田阿礼が自分のご先祖様の由来を特別に語ったのか、真相は闇の中です。


さて、とりあえずこれで猿田毘古とウズメの話はひと段落です。
次回は「猿」の名前について少し補足してからニニギの結婚話を書こうと思います。

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