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創作は中途半端な知識でやった方がいい

本たくさん買ったり読んだりいろんな講座に参加したり現地に旅行に行ったり博物館や遺跡を訪ねたりしまくりだったここ4年程を経て感じたのは、

知識は中途半端な時が一番飢えた妄想が楽しめる。

と、いうことかもしれません。
知識を詰め込みすぎると、どうしても創作してる段階で矛盾点がたくさん見つかってしまって、ストーリーを作ることができなくなってしまうんです。
そして何より、私の中での創作の動機の一つが、その世界への自分の興味関心を、自ら全力で盛り上げる、という部分があるようなんですね。
なので、中途半端でもとても楽しいイメージができたら、あとは勝手にその世界へハマりこんでいくことができるようになります。
ハマりこんでいる段階で、創作したものの矛盾点や新たな事実が分かったら、結構ぐはぁ!ってなるんですけど、でもものすごく楽しんで創作していた気持ちだけは消えないので、結局よりいっそう深みにハマっていくんです。

人によっては、創作はある程度正確な知識を得た上での「成果」として書く場合も多いでしょう。
それもいいと思います。

要は、自分がどれほど楽しめるか、それだけだという気がします。

もちろん読む立場に立てば、あまり矛盾点が多すぎるとちょっとがっかりするかもしれませんが、その矛盾点がストーリー上の重要なものでなければ、私はあまり気にしません。

書きたいと思ったらその気持ちが冷えてしまう前に書いてほしいです!



<二次創作ばっかりしていた私が一次創作を書いたこと>

上に書いている話題と繋がるような繋がらないような話。
私が初めて一次創作をしたのは、りえさんの声掛けで作られた官能部部誌への寄稿作品でした。
万葉集を題材に取りましたが、それは万葉集に助けてもらおうと思ったからでした。
それまで一次創作など一度もやったこともなかったし、そもそもやろうと思ったこともありませんでした。
二次創作と一次創作の動機や欲求は、この時の私にとっては、あまりにもかけ離れたものでした。
それゆえ、一次創作をさあやってみようと思った時、方法が全く分からなかったのです。
何もかもが白紙の状態から何かを作るということの恐ろしさというか、心もとなさというか、とにかく筆が進まないわけで。
キャラクターから作るのか?ストーリーから作るのか?設定から作るのか?
私がそれまでやっていた二次創作にはこの過程はまったく存在していませんでした。
キャラクターは始めから存在しているし、ストーリーも自分で書くのはスピンオフや行間の想像程度で起承転結なんか存在していなかったし、設定も自分が思いついたネタの補助的なものだけだし。
そもそも私にとって完全にオリジナルの話というのは、教科書か市販の本に載ってるものという意識も、この時までかなり根強くありました。
約2週間ほどの間あれこれ試行錯誤をし、結論として0から話を作るのは今の私には無理だと分かりました。
分かってはいましたが、ちょっと残念でした。
この、ちょっと残念、が後々結構大きな意味を持ってくるのですが、この時は潔く諦めて、今自分の中で、1になりきらなくてもちょっとでも何かすでにあるもので創作することにしました。
諦めた途端、「万葉集に助けてもらおう」と一瞬で思い至りました。
キャラクターの候補はいろいろありましたが、初めての創作はちょっと特別な気持ちがあったので、素直に一番好きな人に登場してもらうことにしました。
それからは怒涛のように書いては捨て、捨てては書き、の繰り返しでした。
この間わたしの人生の中では一度も経験したことが無いような途切れることのない高揚感の中にありました。
今思い返しても不思議で面白い経験でした。
何とか書き上げることができたのは、締切当日の朝でした(まだ推敲してませんでしたが)。
このころはずっと早起きして仕事に行くまでに集中して書いていました。
この方法はすごく私に合っていました。
自由な時間が多い夜よりも、タイムリミットがある朝の方が、集中しやすかったんです。
仕事が終わった後、日が落ちる前に地元の関連史跡へ車を飛ばして、現地に備え付けられた東屋から、落ちる夕日をぼんやり眺めていました。
締切に間に合わなかったら私の書きたいという気持ちはその程度だったと潔く諦めようと心に決めていたので、それが当日の朝にちょうど書き終えたというのは、大げさですが、何だか奇跡みたいに思えました。
書き上がる当日まで、部誌に寄稿する意思があるということは、りえさんにも、サイトの雑記でも、まったく伝えませんでした。
一次創作をするということに迷いがあったのが一番の理由なのですが、最終的に書き上げられたのは、間に合わなかったら私が没頭して過ごした数か月が完全になかったことになるんだという虚無感への恐れも、原動力の一つだったように思います。

初めてやった一次創作は、間違いだらけの恥しい出来でしたが、本当にとても楽しかったです。
そして今私が万葉集にかける情熱は、あの時の高揚感が未だに抜けきらないからという気がします。
それを考えると、返す返すも私にとっては非常に大きな意味を持つ経験です。
きっかけをくださったりえさんや、盛り上げておられた他のお方々には、心から感謝しています。
いつか和奏さんとお話しさせていただいたときに、和奏さんに「歴史創作は実在の人物を扱う所が一次創作というより1.5次創作みたいなイメージがあって、それに親しみやすさがあるかもしれない」と言われて、今も結構真面目にそんな気がすると思っています。

長々と書きましたが、結論はこれです。

中途半端な知識でも、たとえ間違ってしまっても、
書(描)きたいことがあるなら、書(描)いてしまえばいいと思います!

ジャンルによっては自称古参()みたいな人もいて、そういう人ほど無責任なことを押し付けて来るけれど、気にしなくていいと思うんです。
出来上がったものは、ものすごく不出来に思えるかもしれませんが、大丈夫です。
この上なく不出来なのに、なぜかちょっと愛しいと思えます。

知識も技術も、一朝一夕で得られるものではありません。
努力だけではなく、その人の生活環境にも大きく左右されます。
それでも、表現したい、という気持ちがあれば、とりあえずやってみてほしいです。立ち止まらないで。



誰に向けて書いたわけでもありませんが、なんとなく。



これは深夜に書いたものなので、日中に読み返したらそのまま闇に葬るかもしれません。
私はなぜこんなに熱く語っているのか。