Entry

お返事です・その122&ありがとうございます!!!!!!!!!!

紺屋きぬさま

ようこそおいでくださいましたきぬさま!!
前の記事で勘違いお礼をしてしまいましたが、記念に(何の)残しておきます(笑)
あ、これをどうぞ!つ[仁多米]<奥出雲のお米です。旅館で出たのですが、こんなにおいしいお米は初めて食べました・・・

>>携帯の待ち受け
>一瞬咽た後、私の脳裏を過ぎったのは、
>「…あの絵はけっこう彩度高めだった気がするが、待受にして眩しくなかっただろうか?」
>と、
>「がっつりチューしてる絵を描いてなくてよかった!!(もし携帯を落としたときの兼倉さんの名誉的な意味で)たぶんセーフ!…セーフか?」
>…でした(笑)
>そこまで喜んでいただけたなら、描いた私もうれしいです~


昨日勝手に私の携帯で時間を確認しようとした友達にガッツリ見られました\(^p^)/
苦笑しながら「人生楽しそうだね・・・」って言われました!(オタ充的な意味で)
もちろんだ!っていうか勝手に見るな!という会話で盛り上がってました。
がっつりチューも是非拝見したいですが、もし見られたのがそれだったらさすがに私もハンドルさばきを誤って一足先に闇御津波の女神の元へ下っていたかもしれません。
いやそれでも見たいですと申し上げますが!
藤千フィーバー的には眩しい輝きを放っておられますが、待ち受け画像としては私が長時間ニヤつきながら眺めていて電池残量を危うくするくらい目に優しい感じです。
そういうわけで、無理にとは申せませんが、いつの日か荻原先生作品カップリングの待ち受け画像配布などしていただけないだろうかと切に願っております。(ボソッ)

>ところで、「平清盛」と「平将門」の区別がついていない人間ここにもいます…同じく高校のとき日本史選択しなかった弊害がここに。
>不勉強恥ずかしい、日本史勉強しないと!と思っていますが、服装史関連の本で変なところで引っかかってるという。


おお!きぬさまもですか!
結構難しいですよね(T_T)
将門は武士の地位向上の走りになった人のようです。
10世紀初頭の人物で、京都の朝廷に対抗して独自に天皇に即位して「新皇」を自称したり、その二ヵ月後にあっさり討ち取られたりしています。
中学時代に平安中期におこった瀬戸内の藤原純友の乱とセットで覚えさせられたような記憶がうっすらと・・・。
しかしこれが何でセットで出てきたのかとかそもそも将門は一体何がしたかったのかとかはまったく覚えてません。
清盛はまさしく風神秘抄に出てくる彼です。
平安末期の13世紀に大いに力を奮った方で、「平氏にあらずんば人にあらず」というフレーズがたぶん教科書に出てきていたと思いますが、平家の全盛期を築いたお方です。
「平家物語」は清盛の父親である重盛の時代から始まっているみたいです。
服飾関係は私も服の名称とか着方とか付属品とかいろいろ気になっていますが、今のところ全力アバウトです。
奈良時代や平安時代を扱う一次創作(イラスト系)のサイトさんでは

装束の知識と着方
平安文様素材集

というサイトを参考にしておられる方もいらっしゃいましたので、よろしければどうぞ。(すでにご存知かもしれませんが^^;)
こういう細かいところがきちんと掬えている文章とかイラストは、やっぱり憧れます。そして同時に自分のアバウトさに嫌気がさします・・・。
向上心に繋がる間は諦めずに頑張りたいです。

コメント本当にありがとうございました。
是非またお気軽にかまってやってくださいませ!
きぬさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!

0時台に怒涛の10連パチを下さった方ありがとうございます!!!!!!!!!!
温泉友達加入宣言ですね!!(勝手に)
ぜひ一緒に玉造温泉に行きましょう!!
そして勾玉作りや神社めぐりを堪能しましょう!!
もう本当に出雲は滾りまくってしょうがない場所です!!
誰か本当に神話好きの人で私と一緒に出雲めぐりをしてくれないものか・・・と結構本気で思っています。
立候補お待ちしています。
拍手ありがとうございました!!!!!!!!!!