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東日本大震災から一年

今日で一年ですね。
去年の今日のことをまるで昨日のことのように覚えています。
当時仕事をしていたら突然傍にいた上司が「今揺れてる?」と言いました。
「気のせいじゃないですか?」と私は答えました。「ぶら下げてあるものも揺れてませんし」
「ああそうか」上司もそれで納得しました。
日常によくある会話でした。
一年どころか次の瞬間には忘れてしまうような、取り留めのないもののはずでした。
直後に鳴った電話に出た上司が、不思議そうな顔で私を見ました。
「社長がテレビを見ろって言ってる」
二人で二階の休憩室にあるテレビを見るために階段へ向かいました。
当時一階の事務所には私以外にも職員はいましたが、席を立ったのは私と上司だけで、他の人はそ知らぬ顔で仕事を続けていました。
上司がアナログテレビの電源を入れました。
左端に見慣れたアナログ放送終了予告の大きな文字が映りました。
しかし画面いっぱいに映し出された光景は、あまりにも壮絶でした。
上司と私は言葉を失いました。

あの日を堺に、日本人なら誰でも何かしらの価値観の変化があったのではないかと思います。
始めのうちは不謹慎という言葉に萎縮していた人たちも、少しずつ自分のやり方で復興への支援を行い始めているようです。
例えばプロ野球とか、例えばサッカーとか、例えば歌手とか、他にもたくさんのその道のプロといわれる人たち。
この人たちは特にその非難の矢面にさらされてきたかもしれません。
きっと誰よりも自分たちのやるべきことを真剣に疑ったり迷ったりした否定したりしていたかもしれません。
もしかしたら今もその悩みの渦中にいる人たちもいるかもしれません。
でもそんな中で、何人ものプロたちが画面や舞台を通して自分たちが培ってきた力で勇気づけるという勇気を選んだのを私たちはテレビやネットや新聞などを通して知りました。
そうやってニュースになるほどのプロ中のプロの人たちは、きっとこれまでも数え切れないほどの挫折を人知れず繰り返して、今の場所に立っているんでしょうか。
私には想像もできないけれど、そうやって何度も何度も苦しんで、それでもその先にあるものを目ざすことが諦めきれなかった人たちの見せてくれる今の最高の姿、その「元気」は、たとえ種類は違ってもどん底の苦しみの中にいながら一生懸命光を求めている人たちの心には、伝染するのかもしれないと思いました。
苦しみの果てに光を手にしたその姿は、どんなにか輝かしいことでしょう。
苦しみを知る人ほど、その光はまぶしく映るはずです。
苦しみを知っている人は、やっぱり他人の苦しみにも敏感に気づくんです。
そしてその人がどんなに努力してそこにいるのかも。

物資や金銭で被災地の人たちの手を直接引いたり背中を直接押したりするのも大事。
頑張っている背中を見せて、その人たちが歩き出す希望や元気や勇気という目標を示すのも大事。
そして、やっぱりプロの人たちはプロと呼ばれるだけあって「美しい」んですよね。
その「美しさ」に心洗われたり、一時現実を忘れさせてもらったりして癒してもらうのも大事ですね。