「・・・射手?」

既に日中の神事の殆どが終わって、人の姿が疎らになってきている時刻だった。
日も随分と西に傾いている。
もうまもなく夕闇が迫ってくるだろう。
阿高は鈴と二人で境内の脇の掃除をしていた。
頼まれたわけではなく、このあと「夜」の場所へ二人で行くためにあえて二人で行動していたのだった。
本来であれば男女別々に行き、その場で出会うわけで、鈴もはじめはそのつもりでいたのだが、阿高がそれを頑なに拒んだため、こうして共にその場へ赴くことにしたのであった。
鈴は今日はいつもとは違って晴れの日のために拵えた美しい薄紅の衣に身を包んでいる。
しかし、そろそろ向かおうかと阿高が考えていた時、思いがけず声を掛けてきた者があった。

「阿高、お前が適任だと皆の意見が一致したんだ」

顔見知りの男だった。
阿高より十ほど上で、小さい頃からよく面倒を見てくれていた者だ。
しかしそんな男からの頼みでも、阿高は困惑した。

「あの大弓は射るための物じゃない筈だ」

男は阿高に社へ奉納されている飾り大弓を射てもらいたいと言ってきたのだ。
飾り大弓は通常の弓より遥かに大きなものだ。
しかもごてごてと飾りがつけられているので、まともには射ることができないだろうことは予想に難くない。
だが男は諦めなかった。

「この間都から戻ってきた者が、都でそのような神事を見たと言っていたんだ。随分迫力があって盛り上がっていたそうだ。なあ阿高、見てみたいと思わないか。都の者に出来て、坂東の男に出来ぬはずはないだろう。おまえの弓の腕は先の春祭りで実証済だ。坂東の男の中の男と見込んで、おまえに頼んでいるんだ」
「だが・・・」
「阿高、見てみたいわ」

そこまで黙って聞いていた鈴が男の話に興味を持ったらしく、阿高の後ろから身を乗り出してはしゃいだ。

「おい、鈴」
「お、ほら見ろ阿高、おまえの嫁さんも乗り気じゃないか。ここで断ったら男じゃないぞ」

男は鈴の台詞に調子付いて阿高を煽る。
阿高はげんなりしたが、既に断ることが出来る雰囲気ではないことは明白だった。
阿高は覚悟を決める。

「しょうがない。行ってやるか」
「阿高ならきっと成功させられるわ。わたくしとても楽しみ」
「おまえはまったく・・・」

阿高の台詞に男と鈴は手を打って喜んだ。

「では阿高、時刻は酉の正刻。場所は拝殿前の広場だ。くれぐれも遅れないようにな」

そう言い残すと、男は意気揚々と去っていった。





拝殿前。
弓を引く前に阿高は妻の前に立って、真剣な顔をしていた。

「いいか、絶対にここを動くなよ」
「分かったわ」
「それから、知らない奴についていくなよ」
「分かったわ」
「何かあったら大声を出すんだぞ」
「分かったわ」
「よし」

妻に言い含めて、阿高はいよいよ拝殿を仰ぎ見た。
拝殿にはすでに件の大弓が立てかけられていた。
それは遠目から見ても通常のものと比べて優に倍はありそうな長さだった。
持ち手の部分も随分太い。

(本当にあれが引けるのかよ)

阿高はさきほどまでは随分気楽に思っていたが、それでも本物を前にすると、妻の前で無様な姿は見せたくないという思いも湧いてきた。
もう一度妻に向き直る。

「少し遅れてしまうな」
「・・・『夜』のこと?」
「ああ」

言って、阿高は軽く妻を撫でた。

「必ず連れていってやるから、大人しく待ってろよ」
「分かったわ」

満面の笑みの妻を見て覚悟を決めた。

(さて、さっさと終わらせるか)

そのまま迷うことなく大弓へと足を向けた。