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藤千と阿苑

今日でサイト開設から丁度八ヶ月が過ぎました。
一年の三分の二ですよ!
あと四ヶ月で一年経つわけですね。
感慨深いものです。
前にも書いたかもしれませんが、開設当初はおそらく四~五ヶ月くらいでネタ切れするからそれ以降は月一くらいにペースダウンしますとお知らせでもしようかなぁとか思ってました。
ところが八ヶ月も続けられてしまって誰より私が一番びっくりしてます(オイ)
サイトとしてネット上で公開するようになって、ご覧いただいた方からご反応を頂けるようになったことが一番大きいような気がします。
ひとりでこそこそやってる時もそれなりに楽しんではいましたが、やっぱり誰かに見てもらえると思いながら書く方が励みになります。
ある程度のプレッシャーはもちろん感じたりはしますが、それが楽しいと思える内はまだまだ続けていきたいと思いますので、今後ともお付き合いいただけましたら幸いです。


と、前置きはこのくらいにして。
折角の夫婦の日なので薄紅妄想語りでも。
昨日あんなこと書いてたくせにね!
しょうがないのですよ!
だって薄紅が萌えすぎるからあああ!!!(落ち着け)
以下、藤千と阿苑の夫婦の類似点についての妄想です。
かなり思い込みが激しい上に勝手な決めつけに近い内容になりますので(自覚はあるんです…)、苦手な方はお気を付け下さい。

続き

以前藤太と鈴、阿高と千種は似ているところがあると確か書いたような気がするんですが、今回は藤太と千種、そして阿高と鈴が似ているところについての妄想考察です。
誠に勝手なことながら、最近藤太と千種はその根底で「人間好き」なんじゃないかなぁと思い至りました。
きっかけは今書いている藤千の祭り話の後編について考えている時だったんですが、一旦この方向に向かいかけて、「いかんいかん、これでは主線がずれる」と気付いて削除したわけだったんですが、それでも一度思いついてしまったことはそう簡単に頭から離れてくれなくて、今に至るまで頭の片隅でぐるぐるしているという感じです。
藤太についてはは原作からも人懐っこい描写がたくさん出てくるので分かりやすいですね。
千種はどうかというと、確かに機織り小屋でずっと年頃の娘たちとは離れて生活していたわけですが、千種はそもそも郷の人たちから尊敬を集めていたり、一人っ子ということもあるでしょうが、親がわざわざ娘のために立派な機織り小屋を建ててやったりして、千種自身がそのことをよく分かっていると思うのです。
その期待に応えようとして、彼女は必死に努力したことでしょう。
それこそ国司にまで見止められる布を織れる腕前になるほどに。
もともとの素質もあったでしょうが、それでもやはり生半可な努力では到底達成できないことだと思います。
自分をある程度犠牲にしてでも誰かのために尽くすことを千種なりのやる気だったり喜びなんかに感じることができるようになっていたのではないかと勝手に考えているのですが、どうでしょうか。
その結果として千種の性格は、綾音やその友達の頼みを無下に断れなかったり、仲違いしている郷の人間と知りつつも怪我をして迷ってしまった藤太と阿高を匿ったりすることに繋がっているような気がする…というのはこじ付けかもしれませんね(^_^;)
藤太は千種のそういう損得勘定のない優しさみたいなところに直観的に惹かれた(自分もそうだから直観的に気づく)とかだったらもう堪らなく萌え盛りますが!(まぁすでに萌え盛って久しいですが)

一方阿高と鈴はそれとは対照的に「孤独感」が共通点かと思います。
それぞれ本編でたくさん描写がありますし、さらにここで私自身何度か語っているような気がするので細かい部分は省きますが、阿高はその出生から、鈴はその身分から、それぞれ普通の子どもとは質の違う埋めようのない孤独感をずっと背負ってきていました。
それゆえに、それと相反するようにずっと心を預けられるものを必死に求めていたような気がします。
阿高ははじめそれが「藤太」だったし、鈴は「皇」だったわけですが、お互いそれができなくなって(阿高は藤太の裏切り[誤解ですが]によって、鈴は皇の闇に気づくことによって)、最終的に一緒に死ぬ直前の世界まで行ったとき、お互いにお互い(の孤独だった心)を見つけることができて(それまでは自分のことで精いっぱいだった←特に阿高が)、最後は大団円となるわけです。(いや、私の中での勝手な解釈ですが)

そういうわけで、藤千の「人間好き」と、阿苑の「孤独感」はお互い対照的ですがどちらも相手を求める(恋をする?)理由の何割かの部分を占めているんじゃないかと思っています。

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