(後編)木梨之軽王と軽大郎女(禁断の兄妹愛)・その3!本文ファイナル!
- 2011/09/26 04:56
- Category: 趣味>古事記
これでホントに終わりです!
兄と別れていることに堪えられなくなった妹が、ついに伊予に渡ります。
故 、後 に亦 、恋 ひ慕 ふに堪 へずして、追ひ往 きし時に、歌ひて曰はく、
君が往 き日 長くなりぬ随分日にちが過ぎた
造木 の<枕詞>迎 へを行 かむ迎えにいきます
待つには待たじもう待ちません
この歌・・・どこかで見たような・・・と思ったらこれでした!
君が行き 日け長くなりぬ 山尋ね
迎へか行かむ 待ちにか待たむ 巻2-85
万葉集に載っている磐姫の歌とそっくりじゃないか!!
どうしてこんなところに!?と思って万葉集の該当箇所を見てみたら・・・
右の一首の歌は、古事記と
と出てました。
類聚歌林というのは、万葉集が作られた当時には存在していたと思われる歌集のひとつです。
万葉集はいろいろな歌集からも歌が集められていて、万葉集の磐姫の歌はこの類聚歌林からとられたようです。
それはともかくとして、万葉集を作った人も、ちょっと疑問に思っていたようですね。
万葉集には一応この後、日本書紀の記述を参照していました。
日本書紀では前にちょっと書いたとおり磐姫は浮気した仁徳天皇を許さずに死ぬまで山城から帰ろうとしなかったというオチになってまして、この歌もそのオチにのっとって書かれたものなので古事記には載っていません。
さらに木梨之軽王と軽大郎女の話も日本書紀では、伊予に流されたのは兄ではなく軽大郎女の方ということになってました。
兄はまがりなりにも皇太子なので流すわけにはいかない、というのが理由だったようです。
今更ですが、やっぱり古事記と日本書紀はかなり違いがありますね。
また、万葉集のこの記述が、万葉集の著者は古事記と日本書紀を読んでいたということになるわけで。(後の世の誰かによって追加されたものでないとすればですが)
このあたりも結構気持ちがたぎるポイントだったりします。
ついでにもうひとつ。
古事記が書かれた奈良時代ではミヤツコギ(
ニハトコはスイカズラ科の落葉低木で、枝葉が向かい合っているので「やまたづ」を、「迎ふ」を導く枕詞に用いたのだそうです。なるほどー!
では続き。
最後まで一気にいきます!
故、追ひ
到 りし時に、待ち懐 きて、歌ひて曰はく、
隠 り国 の<枕詞>泊瀬 の山の
大峰 には大きな峰には幡 張 り立 て旗を立て
さ小峰 には小さい峰には幡 張 り立 て
おほをにし(同じ山の)大小の峰のように仲定 めたる 思ひ妻 あはれ
槻弓 の臥 やる臥 やりも(病で)臥している時も
梓 弓起 てり起 てりも起きている時も
後 も取り見る後々まで見取りたい 思ひ妻あはれ
又歌ひて曰はく
隠 り国 の泊瀬 の河 の
上 つ瀬に斎 杙 清めた杙を打ち
下 つ瀬に真 杙 聖なる杙を打ち
斎 杙 には 鏡を懸 け
真 杙 には真 玉 立派な玉を懸け
真玉なす吾 が思 ふ妹 そのような玉のように大事に思う妻
鏡なす吾 が思 ふ妻 有りと言はばこそよ
家 にも行 かめ 国をも偲 はめ如此 歌ひて、即 ち共に自 ら死にき。
(山に囲まれて隠った処の)泊瀬の山
大きな峰に 旗を立て
小さな峰に 旗を立て
(そうしてひとつの山の中に寄り添いあっている)大小の峰のように 仲を思い定めたいとしい妻よ ああ
(槻弓を横に伏せて置くように)臥せている時も
(梓弓を立てかけておくように)起きている時も
行く末をずっと見守りたい いとしい妻よ ああ
(山に囲まれて隠った処の)泊瀬河の
上流には
下流には 同じ聖なる杙を打ち立て
清めの杙には 鏡を取り掛け
聖なる杙には 玉を取り掛ける
その立派で美しい玉のように 私が大事に思う妻よ
その澄んで明らかな鏡のように 私が大事に思う妻よ
おまえがそこにいると言うからこそ
家に行きもするし 国を偲びもするのに
このように歌って、共に死んでしまった。
うわああああ!
し、死んでしまった・・・!(いや、知ってたけども)
悲恋はやっぱりやり切れませんね・・・。
なまじ大碓と明姫に重ねていただけにちょっとキツイですよ・・・。
あぁぁぁ(ため息)
歌も佳境ということでかなり対比やら美麗字句やらが使われて雰囲気を盛り上げてますね。
これが人々の前で歌い踊って演じられていた場はどんな感じだったんでしょうか。(参加してみたい・・・)(無理だけど)
で。
実はここの歌はかなりいろいろな人が「場面にそぐわない」とか「意味を取りかねる」とかいっていて、訳もかなり無理やり場面に合わせているような印象です。
泊瀬は今の奈良県桜井市初瀬に比定されていて、葬送儀礼の象徴的な場所です。
四国に流された木梨之軽王が奈良の地名を歌うのは、自分たちの死を覚悟した気持ちの現れでしょうか。
ちなみに「木梨」という名前は「
また、「おほをにし」ですが、「
さて、木梨之軽王と軽大郎女(衣通郎女)の話はこれで終わりです。
次回は前回の磐姫にもどって、飛ばしてしまっていたエピソードをご紹介いたします。
磐姫の話の中では一番痛快なお話になってます。
別名「口子臣の受難編」!(勝手に命名)