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因幡の素兎神話~兄たちは大国主に国を譲ることになりました。その理由は…~

うおおおおおおおおお!!!
遂にこの日がやってきた!
因幡に住んでいる私が、「因幡の素兎神話」を語るよ!(※別に何かあるわけではない)
オトツキさま、早速のコメントありがとうございます!!この記事の最後に返信を載せております!
また、他2名の方からご期待と思しき拍手(内1名、情熱の全チェック)を頂きました!
ありがとうございます!!!
どうぞよろしくお願いします!!

さて、本文に入る前に私が白兎のことを「素兎」と書いているのに違和感を感じていらっしゃる方がおられるかもしれませんので、そのご説明を。
今「因幡の白兎」と呼ばれている兎は実は古事記では「素兎」という表記をされています。
「白兎」という表記はありません。
今回の語りはあくまで「古事記の神話」について語ろうと思っているので、表記を古事記に合わせて「因幡の素兎」とすることにしました。
これは以前古事記の「素兎」が「白兎」になるまで (別窓)を語ったことがあったので、ご興味がございましたらご参照ください。

さあ、それでは早速入ります!

(かれ)、この大国主神兄弟(あにおと)は、八十神(やそがみ)(いま)しき。
(しか)れども、(みな)、国をば大国主神に()りき。
避りし所以(ゆゑ)は、・・・・・・

ところで、大国主神にはたくさんの兄弟神(八十神)がいた。
しかし、皆、国を大国主神に譲った。
譲った理由は・・・


まずは導入部分!
この神話の直前には以前語ったスサノヲの「ヤマタノヲロチ神話」が入っています。
古事記によると大国主神はスサノヲから数えて六世の孫にあたるということで、ここから新たな時代が語られているわけです。
大国主神の兄たち(八十神)が、大国主神に国を譲るに到った過程が、このあと長々と書かれています。
ところで、実は上で「避りし所以(ゆゑ)は、」の続きから、いきなり「因幡の素兎」神話が始まります。
この文章の繋がり方が、すごく奇妙な感じなんです。
どう奇妙なのかというと、フライングして現代文で書いてみるとこんな感じ。

皆、国を大国主神に譲った。譲った理由は、八十神がそれぞれ因幡の()(かみ)比売(ひめ)と結婚したいと思って一緒に因幡へ向かっていた時、大穴牟遅神には袋を背負わせて従者として率いてきた。気多の岬に着た時、裸の兎が伏せっていた。八十神は兎に・・・

ね!なんか文章がですよね!
「譲った理由は、」という主語に対応する述語が「率いてきた。」では、すごく違和感があります。
それではどれが「譲った理由は、」に対応する述語なのかというと、それはここには無いのです。
この「譲った理由は、」の後に続く膨大な文が全部理由になっているんです。
これはいわゆる「ねじれの文」というものだそうで、現代には無い古事記独特の言い回しです。
どうしてこんなことが起こるのか?ということですが、いろんな説があるようです。
私としては「これは古事記によく出てくる表現方法なので、当時はねじれ(不自然)とは考えられていなかった(説:山田永)」というのが一番分かりやすかったです。
よく考えてみると、古事記の時代は句読点は存在しません。
読み下し文にするにあたって、後の人が勝手に「、」や「。」を付けたに過ぎないのです。
つまり、古事記を書いた人(たぶん太安万侶さん)はこんなところで文章を区切るつもりは無かったわけですね。
もっといえば、古事記時代は今と違って日本語をそのまま表す方法がありませんでした。(※古事記は万葉集と同じく漢字だけを使って書かれています)
そんな中で、日本独特の神話や歴史を書こうとしたため、日本語として素直に読むには違和感がある文章になったのかもしれません。
この時代は日本語の書き言葉が成長していく過渡期に当たっていたといえるでしょう。
そんな先人たちの苦慮の跡をこの「ねじれの文」が伝えてくれていると思えば、なかなか萌える気がしますね!フォウ!

いきなり長々と語ってしまいました!(ひっ)
次にいきます!
「因幡の素兎」の一番始めのシーンです。
ちょっと長めに引用しますが、とても簡単なのでぜひ読んでみてください!

その八十神、(おのおの)稲羽(いなば)()(かみ)比売(ひめ)()はむと(おも)ふ心有りて、共に稲羽に行きし時に、大穴(おほあな)牟遅(むぢ)神に袋を(おほ)せて、従者(ともびと)として、()()きき。
ここに、気多(けた)(さき)に到りし時に、(あかはだ)(うさぎ)()せりき。
(しか)くして、八十神、その兎に()ひて()ひしく、

(なむち)()まくは、この海塩(うしほ)()み、風の吹くに(あた)りて、高き山の尾上(をのへ)に伏せれ」

といひき。
(かれ)、その兎、八十神の(をしへ)(したが)ひて、伏せりき。
爾くして、その塩の乾く(まにま)に、その身の皮、(ことごと)く風に吹き裂かえき。

痛あああああああああああ!!!
読む度私はこのシーンが痛そうで痛そうで堪りません。
兎よ、そんな明らかに痛そうなアドバイスにどうして素直に従ったんだ。
このシーン、基本的には八十神たちが兎をイジメたシーンと解釈されることが多いですね。
確かにそうのようにも読めるのですが、山田永さんは「海水で洗うことも風で傷口を乾かすことも治療の一種です。いじめではありません。問題は、その治療方法が正しかったかどうかなのです」という解釈をなさっています。
とても面白い解釈だと思います!
あ、ところで「大国主神」の名前ですが、この「因幡の素兎」神話では「大穴牟遅神」と出てきます。
読み方は様々で「おおあなむぢ」「おおなむち」「おおなむぢ」などなど。
私が読んだ本の中で一番多いのはこの中では「おおなむち」のようですが、皆様どうぞお好きな名前でお読みください。
本当にどう読むのかは分かっていませんので。
で。
なぜ大国主神が別の名前で出てくるのかというと、これにも大変たくさんの解釈があるのですが、とりあえずここでは
「大国主神」は成長した後の名前
「大穴牟遅神」は成長する前の名前

くらいに思っておいてください。
ところで、この「大穴牟遅神」という名前、万葉集がお好きな方の中にはピンときた方もいらっしゃるのでは?
大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代より~」「大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそば~」「大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の いましけむ~」などで始まる歌がいくつも載ってますね。
万葉時代の名コンビ!オホナムチとスクナヒコナ!
これについても以前語っているのでご興味がある方はご参照ください。

さて、兎は現在兄たちのアドバイスに従ったため怪我が悪化しております。
兎「助けて誰かー!うわあん!(号泣)」
そこへやってきたのは兄たちの荷物持ちをさせられていた大穴牟遅神です。
というところで次回へ!(因幡の素兎神話【後編】)


オトツキさま

ようこそお越しくださいましたオトツキさま!!
お待ちしておりました!!
粗茶ですが・・・つ[そば茶]<余談ですが、上の語りはBGMで「What's the justice?」を聴きながら書いていました。定期的に聴きたくなります。「誰がために」も好きですが、どちらかというと白黒版の「あか~いマーフーラ~ なぁび~か~せて~♪」の方がより一層好きです。

>私は、「いなばの白うさぎ」は昔話で読みました。しかもですね、大昔、我が家にあった童謡関係のレコードに「大黒様」が入ってたんですよ(他は「うさぎとカメ」「桃太郎」「浦島太郎」などなど。)。幼い私は、これを飽きることなく聞き続けていたので、「大黒様」がどういった方なのかはハッキリとはわからなかったものの、「いなばの白うさぎ」のストーリーはちゃんと頭に入りました。どんな歌か興味がおありでしたら、「童謡 大黒様」で検索してください。私は今も歌えます♪

おおおお!!!
まさか県外の方でこの歌をご存知のお方がいらっしゃったとは!
鳥取県ではデパートのみやげ物売り場で毎日流れております。
ついでに映像もいっしょに流れていますが、兄たちのブサメン(しこお)ぶりと大国主のイケメン(ますらお)ぶりが大変顕著に描かれています。
鳥取にお越しの機会がございましたらぜひご覧ください。

>追伸です。自分の持ってたっぽいレコードの音源が検索できました。http://www.youtube.com/watch?v=wQ4nO7VNW4Q
です。あぁ、懐かしい(涙)。昔はこういうのが普通に売ってたんですね。童謡として聞く機会がちゃんとありましたので。(最後に「オオクニヌシ」とは言ってるのですが、子供にはその神様がイマイチわかりませんでしたが。)


なんと!ユーチューブに!
懐かしいです!
私も小さい頃はレコードを聞いていた世代です。
今の子どもたちはレコードはおろかカセットテープすら知らないんでしょうね・・・。VHSも。
媒体は変わっても、歌や伝承は受け継いでいってほしいものです。

拍手を下さった方々もありがとうございました!!
勇気を貰いました!!
ぜひ一緒に古事記で盛り上がりましょうね!
拍手ありがとうございました!!