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小説と家持さん

先日消費税対策と称して大量の本を買った私でしたが、その中に家持さんが登場する小説も複数購入しておりました。
家持さんが主人公のものから脇役のものまで様々です。
まだパラパラ見ただけできちんと読んだものは少ないですが、それぞれの印象として、家持さんの妻・大嬢への対応が天と地ほど差があって驚いています。

一番冷たい家持さんは、大嬢が越中に連れていってと泣きながらお願いしても、正直なところ、顔を見るだけでうっとうしい・・・という理由で断ったりしてます。酷すぎる・・・!
この小説では家持さんと大嬢の贈答歌はすべて「恋歌の練習」という一言で片づけられています。
ちょっと待ってもらおうか。それは納得いかないよ私は。
夫婦になってからも贈答歌あるのに、どうして練習なんですか。なんの練習のつもりなんですか。
家持さんに冷たくされた大嬢は、家持さんが越中に赴任中に昔の恋人の大伴古麻呂と不倫して身籠るとか・・・まあこれは百歩譲って作家の創作の範囲内(歴史的に大きな矛盾をきたしていない範囲)と思ってもいいですが。
その後、家持さんが万葉集作りのやる気を失っているという理由で大嬢は自殺します。
無かったことにしようと思いますこの小説。(超展開すぎてついていけそうにないのですが、一応最後まで読む予定です)

かと思いきや、別の作品では越中で別れ別れの間家持さんは大嬢が恋しくてたまらなくてたくさん歌を贈るのですが、大嬢から返歌がほとんどこなくて、休暇(←この時代の国守に休暇…?)で奈良に帰った時に

「どうしてほとんど返事をくれないのか」
「ごめんなさい、私は歌が苦手だから書かなかったのです」
「なら仕方ない」

それでいいのですか家持さん!?
妻に可愛く謝られて瞬時に許す現金な家持さんは、これはこれで衝撃的でした。

あとは、越中で招かれた宴で若い遊行女婦(うかれめ)に舞を断られたことに腹を立てた家持さんが彼女の家はどこかと尋ねるのですが、先輩の遊行女婦に「慣れない場で緊張しているのです。どうか許してやってください」とたしなめられたのに対して「おまえが言わなくても、私はそれを知ることができるのだよ」とか堂々と職権乱用する悪党っぷりをみせつけてくれました。
でもこの家持さん、それが妙に似合っていて私はこのセリフに一瞬ときめいてしまった・・・。
チョイ悪家持さん、いいかもしれない(新たな扉)

とはいえ、「大伴家持」という人物像は全体的には落ち着いていて思慮分別のある知識人(ちょっと疲れている)という感じの描かれ方が多そうです。

さて、次もまた万葉関連の語りを考えています。
万葉集は万葉時代に編纂されたものですが、調べてみると、その後の時代の人たちにいろんな場面でちょっとずつ影響を与え続けているようです。

「本歌取りと万葉集」

という内容でちょっと書いてみる予定です。
またまったりとお付き合いいただけると嬉しいです。