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「愚者の賦」を読んでいます

また↓の記事を流すために書き込み。(恥ずかしいなら書かなきゃいいのに)

昨日借りてきた本でまず「愚者の賦」から読んでいます。
万葉学者伊藤博(いとうはく)さんのエッセイテイストの本のようです。
万葉集の内容自体に関するものから、日常生活の中で万葉集が関わったエピソード的なものまで色々入っています。
万葉集という文学自体にももちろん興味はありますが、それを研究している方の人となりを知るのもとても楽しいです。
あぁ、こんな人が万葉集や古代史を研究しているんだな、好きなんだな、と思えるのが嬉しいのです。
まるで同じ趣味の友達が隣にいるような・・・というと偉大な学者先生に対して失礼極まりないことですが。^^;

ちなみに、こういった本は前から大好きと公言している考古学者の森浩一先生や、専門である数学分野の先生方の本もよく読んでます。
その中で共通して言えることは、「学問に対して愛情や誇りを持っているだけでなく、常に畏敬の念をも持って接していらっしゃる」ということだと知りました。
もちろん各先生方が著された学術書自体からもその感情は伝わってくるのですが、こうして日常生活が垣間見える文章を目にするとそれがより鮮明で顕著に現されていると感じます。
学問は分野を問わず、やりこんでいけばいくほどそれがだんだん自分の手の中に入っていくような感覚に陥ることがありますが、本物の学者の方というのは、自分の学問に対して決して驕ることなく、慎ましく、そして厳しく接していらっしゃるのだと思いました。・・・というか、そういう態度の人が好きということなんですが。
中にはエンターテイメント性を重視して自分の思い込みに突っ走ってしまっている本も見かけます。
エンターテイメント自体が悪いとは思ってません。
やはり「面白い!」「楽しい!」と思うことがそもそも学問を始めるきっかけになると思うので。
私も始めはそんな本も多く読んでいました(やっぱり面白いので)。
しかし少ないながらも何冊かの本を読んでいく中で、少しずつ気付くようになるのです。
根拠の脆弱さや論の強引さ、思い込みによる多角的視点の欠如(=客観的視点がない)やそれに伴う排他的態度など。
それを意図的に使っている方も稀に見かけますが、そうで無い場合もやはり無いとは言い切れないようです。
持論を疑うこと、別の観点から見つめること、そして何より学問と先達に対して敬虔な態度で臨むことが、学問をする上で何よりも大事なんだとつくづく感じる毎日です。