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終わり間近

読書モードに入ると途端に日記の頻度が落ちる兼倉です。
もし万が一この日記の更新を気にしてくださっている奇特で心優しいお方がおられましたら大変申し訳ございません!(いや、思い込みだとは思ってますが、ね、念のために!)
本を読むのは大変好きなのですが、読む速度が非常に遅いため中々進めません。
昔、私の本を読む速度があまりにも遅いため、友達から「お前が京極を読破するのは一生無理だ」とからかわれたことがあります。よ、余計なお世話だ!(実際読んだことは無いですが)

で、「愚者の賦」をまだ読んでいます。
やっと終わりが見えてきました。
あとがきまで含めて全部で299ページですが、現在261ページまで読み終わりました。
あとちょっと!

※因みに下の記事で「Ⅰ随筆」としていたのは「Ⅰ随想」の誤りでした。
後ほど修正しておきます。
あしからずご了承下さい。※

今読んでいる内容と致しましては「Ⅱ書評」を終えて「Ⅲ講演」の全3項目中2項目めまでを読み終えました。
まず「Ⅱ書評」についてですが、大方は前の記事で書いているので省略するとして、全体を通してかなり兼倉殺しの章でした!
だって紹介されてる本全部欲しくなってしまうんですもの!(兼倉破産フラグ)
どんなに辛口でこき下ろされていようとも(←ホントに結構凄い批評がされているものもある)、興味を持たされてしまうのは流石は伊藤節と言ったところでしょうか。
伊藤先生はホント罪なお方だ・・・!
お金が貯まったら少しずつ集めたいと思います。
また、本書の中で以下のようなことを述べられていて、はっとさせられました。

――「批評」は常に生産性に参与するものでなければならぬ。そのためには批評は「肯定」の精神を根底に置くべきである。「ある対象を批判することは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、そのあるがままの性質を、積極的に肯定することである」とは小林秀雄の言葉であるが、味わうべきものがある。

この文章を念頭において見返してみると、先生がかなりキツイことを書いておられるものは、少なくともその当時それを書いた人が「生きていた」場合に限られていたことに気付きます。
優しい書き方をされている書の殆どは、著作者の方が既に鬼籍に入っておられました。(一人例外もおられましたが、それはその文章を発表された場に拠るものと思われます。=批評よりも宣伝を目的とするような場)
考えすぎといわれればそれまでかもしれませんが、私はここに伊藤先生の学問に対する厳しさと先達に対する畏敬(恭敬?)の姿勢を感じました。
普通生きている人に対しては誰しも筆を緩めてしまうものだと思います。
逆に死人にくちなしではないですが、すでに亡くなられている方に関しては多少の私見を披露したところで、相手から文句を言われる恐れも無いはずなのです。
それを伊藤先生はなさらなかった。
相手の更なる向上と、その先の学問の発展をひたすらに願って、あえて忌憚ない意見を述べられたのでしょう。
普段相手との衝突を避けて可もなく不可もなくの話しかしなくなっていた自分が恥ずかしく思いました。
伊藤先生の著書は万葉集目的で読み始めたのですが、それを越えて普遍の内容が詰め込まれています。
出会えて本当に良かったと思いました。

そして現在読んでいる「Ⅲ講演」ですが、これは前章までの「文章として書かれた文章(=文語調)」と違って、先生が講演された内容が、「話し言葉(=口語調)」そのままに収められています。
読み進んでいくごとに、まるで紙面の中で先生が拳をふるって熱弁なさっている姿が目に浮かぶような、熱気の漲った文章となっています。
読んでいて大変胸を熱くさせられますよ!
そしてますます万葉の世界に惹き込まれていきますよ!
うわあどうしよう!(手遅れ)

恐らくは明日中には読み終わると思います。
といっても読み終わったらまた次の本があるわけですが。
この本だけで6日掛かってしまったことになりますが、図書の貸し出し期間が二週間で残り9日(返却日を含めて)で後3冊というのは、単純計算しても全く間に合いません。
え、どうしよう・・・(ゾ)
が、頑張ろう・・・!