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スサノヲとアマテラス・続きの続き

2.すれ違いの続き

…の、前に。
前回の補足をちょっとだけ。
スサノヲはイザナミのことを「妣(はは)」と言っていますが、ここで「あれ?スサノヲを生んだのはイザナキじゃなかったっけ?」とか「決別して黄泉の国から還ってきた後だから、イザナミは関係ないのでは?」と思った方もいらっしゃったことと思います。
まったくその通り。
今の私たちの感覚ではちょっとおかしいですね。
このことに関しても、研究者の方がいろいろな論を出しておられますが、その中でも私が「へー」と思った説をご紹介します。
そもそもイザナキが三貴子を得たきっかけは黄泉の国へイザナミに会いにいったためでした。
黄泉の国で得た汚れを清めるためにミソギをして、そのさなかにうづの子を得」たわけです。
そしてイザナキはこれ以降一切子を得ていません。
よって、やはりイザナキは一柱では子を得る力は無いのだろうと考えられます。
イザナミを黄泉の国へ迎えに行ってうつくしきがなにみことあれなむちと作れる国、未だ作りをはらず。かれかへるべし」と、国造りがイザナキ独りではできないことを予期させる言葉を言っています。
ここから、多少曲解という意見もありますが、やはり三貴子はイザナキとイザナミの力で得られた、つまりはイザナミの子でもあるということが出来るのです。

・・・この説明が誰の説だったのかド忘れしてしまいました。(スミマセン!スミマセン!)
確か山田永さんか武光誠さんか三浦佑之さんの説だったと思うのですが、手元の著書でそれらしき箇所を見つけられず、引用を諦めて記憶を頼りに書いてみました。
ここの箇所は「成る」と「生む」の表記の違いから説明されることもあり、それもそれで面白いとは思うのですが、今回は省略させていただきます。
とにかく、スサノヲのいうはははイザナミということがいいたいわけです。
なぜ、ここをあえて強調したかというと理由があります。
実は古来からこのははの国」が「イザナミのいる黄泉の国」のことなのか「母国」という意味なのか論争があるのです。
スサノヲはははの国の堅州国かたすくにへ行きたいと言いますが、イザナミの国は「黄泉の国」という記載はあっても「根の国」という記載はありません。
そのため、以前にも書きましたが「黄泉の国」と「根の国」が同一の国なのかそうでないのかで意味が違ってきてしまうのです。
あまり詳しく書くと先に進めないので(あくまでも私の好みだと思った論の)結論だけ書きますと、はははイザナミのことであり、「黄泉の国」の中かもしくはそれに続く場所に「根の国」があると思われます。
私の中では「黄泉の国」は殯(もがり)の場、「根の国」は殯が終わって完全に死んだものが行く続きの世界という気持ちです。
※ただしここの論は本当にいろいろあって、私が考えているのはその中の一つに過ぎません。


ギャー!全然続きがかけてないのにもう朝5時前ですよ!
ホント私駄目だ!
スミマセン、土曜も仕事なのでここで一旦区切ります。
次こそ高天原の大事件を!