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スサノヲとアマテラス~天の岩屋戸神話~

3.和解と決別です!

<前回までのあらすじ>
イザナキの怒りに触れて「神やらひ(追放)」されたスサノヲは姉アマテラスに別れの挨拶に赴くが、アマテラスはスサノヲが高天原を奪いに来たと誤解して、完全武装で迎え討つ。
スサノヲはアマテラスの誤解を解くため、「ウケヒ(誓約)」によって己の清明心の証明をしようと提案した。
ウケヒの方法は互いの持ち物から神(子)を生まれさせることにする。
アマテラスはスサノヲの剣から「女神を三柱」、スサノヲはアマテラスの勾玉から「男神を五柱」化成させた。


遂に天の岩屋戸神話の序章が始まります!
天の岩屋戸神話とは、スサノヲの蛮行にアマテラスが怒って洞窟(天の岩屋戸)に籠ってしまい・・・というあれですね!
早速続きの本文を見てみましょう!

ここに天照大御神、速須佐之男命はやすさのをのみことらししく、「の、のちめる五柱の男子をのこは、物実ものざねが物にりて成れるがゆゑに、おのづかが子ぞ。める三柱の女子めのこは、物実なむちが物に因りて成れるが故に、すなはち汝が子ぞ」と如此詔かくのきき。

アマテラス
「私の勾玉から生まれたから五柱の男神は私の子、あなたの剣から生まれたから三柱の女神はあなたの子よ」


アマテラスの一方的な宣言により、持ち物の主が子どもの親となることになりました。
生んだほうじゃないんですね。
古代では息よりも物実の方が重要だったということでしょうか。
因みにここで生まれた「五柱の男神」の長男「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」・・・略してオシホミミは後に天下る天孫ニニギ(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)の父親であり、初代神武天皇にとってはひーひーおじいさんになります。
では続きを読みましょう。
恐らくこのシーンは皆様が大変よくご存知のシーンかと思いますので、ちょっと長いですが一気に進みます。

 しかくして、速須佐之男命、天照大御神にまをさく、「が心清くあかきがゆゑに、我が生める子は、手弱女たわやめつ。これにりて言はば、おのづかあれ勝ちぬ」と、云ひて、勝さびに、天照大御神の営田つくりたのあをはなち、その溝を埋み、また、その、大嘗おほにへきこしめす殿とのくそまりらしき。かれしかすれども、天照大御神は、とがめずしてらさく、「くそごときは、ひて吐きとこそ、がなせのみこと如此為かくしつらめ。又、田のあをはなち、みぞむは、ところをあたらしとこそ、如此為かくしつらめ」と、りて直せども、なほしきわざ、止まずしてうたたあり。天照大御神、忌服屋いみはたやして、神御衣かむみそを織らしめし時に、服屋はたやいただき穿うかち、天の斑馬ふちうま逆剥さかはぎに剥ぎて、(皮を)おとし入れたる時に、天の服織女はたおりめ、見驚きて、陰上ほときて死にき。

 かれここに、天照大御神、かしこみ、あめ石屋いはやの戸を開きて、しこもりしき。

しかくして、高天原皆暗く、葦原中国ことごとくらし。これによりて常夜とこよきき。ここに、よろづの神の声は狭蝿さばえなす満ち、万のわざはひことごとおこりき。

スサノヲ
「私の心が清らかだったので、手弱女を得たのです。私の勝ちです
アマテラス
「・・・!」


そんな前提いつ決まったんだ・・・!?
とちょっと面食らいますね。
古事記に否定的な人たちはよく「古事記は矛盾が多い」といいますが、ここもその引き合いに出される中で有名な場面の一つです。
「ウケヒ」は、それを行う前に必ずその勝利条件を宣言しないといけません(例えば「女神が生まれたら勝ち、男神が生まれたら負けとする」など)が、前回でも触れたとおり、それが行われていないのです。
では古事記を(否定している人たちよりは好意的に)研究している人たちはどう解釈しているかというと、大まかに分けて次の3通りです。

A. 当時の祭祀行為においては女尊男卑の感覚があったため、前提が無くとも女性優位な結果で問題なかった

B. 古事記は持統天皇(女性天皇)を意識して書かれたため、女性優位な話を作った

C. 勝敗がはっきりする完全な形のウケヒを行うと、スサノヲが勝ちならアマテラスが負けということになってしまうので、絶対神を汚さないためにあえて不完全な形のウケヒ(前提の言葉が無い)を行うことによりそれを回避させた


大体私が読んだ本ではこんな感じでした。
それぞれに「なるほど」と思う部分と、「それはどうなんだろう」と思う部分がありますけれども・・・。
個人的な感覚を述べると、B.C.はともかくA.はちょっと難しいかなぁと思っています。
あくまでも個人的な感覚ですが、古事記が書かれた当時(奈良時代)においては、祭祀行為の重要性は弥生時代なんかと比べるとかなり低くなっていたのではないかと思います。
古墳時代末期(飛鳥時代)に仏教が入ってきて更に追い討ちをかけている気もしますし。(仏教は女性優位ではない)
仏教の隆盛はもう少し後の聖武天皇(奈良の大仏を作ったり、全国に寺を作る命令を出したりした)からだとは思いますが、それでもこの当時もかなり普及していたでしょうし、それを考えるとちょっと無理が出るのでは?と思っています。
ただ、この神話がもしもっと昔の感覚を引き継いで語られてきたのだとしたら別ですが。
まぁ無理に結論を出す必要はありません。
私たちは学者ではないので古事記の色々な解釈を楽しめばいいのです。
で。
スサノヲはウケヒによって勝ちを宣言して「勝さび」という行為を行います。
「勝さび」とは古事記の造語で、意味は「勝った者に相応しい行為を行うこと。また、その行為自体をいう」そうです。
スサノヲの蛮行としてよく絵本なんかにも書かれていますが、アマテラスはそれを「詔りて直」します。
「詔り直し」も古事記の造語です。
当時は「言霊(ことだま)」と呼ばれる「話した言葉が現実にも影響を与える」という考え方がありました。
アマテラスが「言霊」によってスサノヲの蛮行を善行に変えようとしたと考えられます。
スサノヲの「勝さび」とアマテラスの「詔り直し」を並べてみます。

①. アマテラスの田の畦道を破壊する
⇒土地が勿体無いと思って溝を埋めた

②. 収穫感謝祭(※大嘗)の御殿に糞便を撒き散らす
⇒糞便ではなく酔って仕方なく嘔吐してしまったもの

③. 斑馬を逆剥ぎにしてその皮を忌服屋に投入する(結果的に服織女が死亡するが、これはスサノヲが行ったわけではない)
⇒「詔り直し」せず(できず)天の岩屋戸にこもる

概ねこのような感じです。
始めは何とか「詔り直し」ていたアマテラスですが、最後の最後でキレてしまいます。
天津神は「死」とは隔絶された神様です。
高天原の天津神は「死ぬ」ことも「老いる」こともありません。
それゆえに最後の③.「詔り直し」をしなかったのではなく、出来なかったのでしょう。
折角ウケヒによって清明心を証明してアマテラスと和解できたスサノヲが、なぜこのような「勝さび」を行ったのか。
これは前回までの2.でも書いた「すれ違い」による解釈が一番しっくりきましたのでご紹介します。

 ウケヒに勝って証明された身の潔白、つまり、高天の原を我がものとするような異心は無いという清明心は、根の国を志向するスサノヲの心情と重なり合うことがわかる。スサノヲの内性は根の国と強く結合している。(略)
 勝さびとはスサノヲがその本来の内性を発露する行為であった。そのようなスサノヲとは根の国を志向し、根の国の主として振舞う神である。だから、勝さびの勢いで引き起こされる事態は、きわめて根の国的なものといえる。(略)(スサノヲの勝さび行為やアマテラスが天の岩屋戸にこもった後に出現する世界)は、大祓や道饗祭の祝詞に、罪と災いの源泉とされる根の国のイメージと重なり合う響きがある。(略)
 アマテラス大神とスサノヲのかみ合わない関係の背後には、高天の原と根の国のぬきさしならぬ対立がある。
(西條勉説)

つまり、スサノヲの「勝さび」は根の国に相応しいスサノヲにとって適した行動であり、それを蛮行という解釈に歪めてしまうのは高天原世界の秩序と根の国の秩序がかみ合わないためという解釈です。
スサノヲもアマテラスも自分自身はお互いに対立を回避して何とか融和と親愛の関係を模索しているように見えますが、それぞれの属する世界の秩序がそれを邪魔してしまっているわけです。
まさに「すれ違い」ですね。
そう解釈すると、この二柱の姉弟神の関係はどことなく切なさを感じさせるものになります・・・。
あと、最後の「ここに、よろづの神の声は狭蝿さばえなす満ち、万のわざはひことごとおこりき。」という一文、ご記憶にございますでしょうか?
これはスサノヲが泣きわめいていたときの状況を説明する文章とそっくりです。
神としての厄災の起こし方が似ているところから、やはりこの二神は姉弟なんだなぁと感じます。(※これは私が勝手に思ってるだけで根拠はありません)
なお、②.に関しては、「屎」が「嘔吐物」に変わっても大した違いは無いような気がしますが、実はこれは酔う事は神を迎えることであり、それによって嘔吐することは咎められることではないという解釈があります。(三浦佑之説)
また、③.に関しては皮を剥いだ「馬」の方か剥いだ「皮」の方かで議論がありますが、本文に「斑」や「逆」とあるのを効果的に使うならやはり「皮」の方が正しい気がします。(山田永説)

さて、今回はここまで。
次回はついに天の岩屋戸神話のメイン!
岩屋戸にこもるアマテラスとそれを引っ張り出そうとさまざまに苦心する他の神々との白熱した攻防です!