磐姫の解釈(完成)
- 2011/09/14 04:30
- Category: 趣味>古事記
いろいろ深めたい心意気だけはあります!
あります・・・が、、、、
実は古事記は基本上巻メインに読んでいることもあり、中巻・下巻の解釈に特化してる本が手元にたった数冊だけというハイパー駄目クオリティーなので(上巻関係は読めてないのも含めると数十冊程度ある)、磐姫についての考察はいつも以上に自信がない感じです。(いつも自信ないですが)
そんな状態ですが、まあ出来ることだけでもやってみようという気持ちだけ買ってください的なノリでいってみます!
<注釈から抜粋>
今回手元にある本の中から「古事記注釈第七巻(西郷信綱さん)」「口語訳古事記(三浦佑之さん)」「記紀の考古学(森浩一先生←兼倉心酔の考古学者の先生。もちろん面識はありません)」を主にして抜粋していくことにします。
引用元を一々表記する手間を省くために、引用の際はそれぞれ上記の色を使用します。
この名義は、「
葛城氏出身の皇后であり、政治的には、葛城氏をバックボーンとしなければならないオホサザキの立場が、このような嫉妬深い皇后の伝承の背景にあるのかもしれない。イハノヒメの作ったという四首の歌が万葉集・巻二の巻頭に載せられているが、そこでは、夫の帰りを待つ女の心情が歌われている。
※オホサザキ=仁徳天皇
三浦さんはともかく、西郷さんはかなり辛らつな感じですね(^_^;)
磐姫の家系「葛城氏」
オホサザキの皇后イハノ
ソツ彦の根拠地は、奈良盆地の西部の葛城地方であろう。葛城地方には、北葛城郡と南葛城郡があって、奈良県の人はホッカツ、ナンカツとよぶことがある。どちらの郡域にも大型古墳はあるが、最近は
(略)難波と葛城は一つの水系の河口と上流の関係にあったから、オホサザキ勢力にとってもソツ彦の勢力にとっても、強く結びつかないと勢力の維持がむずかしい。
磐姫が八田皇女の件で、難波の高津宮を通り過ぎて川を上って途中の山城国に篭城しますね。
そしてそこで「ホントはこの先にある実家の葛城国がみたいのよ」と歌う場面が出てきます。
この位置関係が頭に入っているとよく分かる話になりますね!
皇后の地位と外戚
話は少しそれるが、天皇に皇后や妃を出した家(氏)は、その父をも含んで突然に繁栄するのではないかとおもわれがちである。たしかに、史料的には皇后や妃をだしたことだけが述べられているようだが、実際にはその父なり家が大きな働きをしたり、特別の役割があって、それが妃をだすことにも連なるのではないかと思われる節がある。
イワノ媛の場合にも、父のソツ彦の力と経験、端的にいえばヤマト内にもつ勢力と朝鮮半島での役割が、オホサザキには重要であり、その重要性から娘をさしだすことになるのだろう。細かいことは省くが、先ほどオホサザキは無類の恐妻家だとしたが、その恐妻の中味には、イワノ媛が恐ろしいということだけではなく、その実家の力からの威圧をうけていたのだろう。
なるほど!
さすが森先生は鋭い!
「父なり家が大きな働きをしたり~それが妃をだすことにも」という部分では、私たちがよく知っている坂上田村麻呂将軍も、後に娘を桓武天皇(鈴の父親)の妃に出していることからもかなり納得のいく話になりますね。
蝦夷との間での武功が評価されて、娘を天皇に差し出す権利を得たということでしょう。
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なお、古事記では仁徳天皇と磐姫(古事記では石之日売)は和解し、八田若郎女が身を引いていますが、日本書紀では磐姫は最後まで仁徳天皇を許さず、山城国で亡くなってしまいます。
磐姫がなくなった後、仁徳天皇は八田皇女と婚姻しますが、後に彼女と同母の妹である女鳥王に手を出しているところは同じです。
天皇が姉妹を娶るのはよくあることですが、本人たちにとってはどのような心地だったのでしょうか。
ここでは女鳥王は仁徳天皇とは結ばれずに殺されてしまいますが。(古事記と同じ結末です)
応神の系譜に「宮主矢河枝比売を娶して、生みませる御子、
メドリの言葉は、意志の強い主体的な性格を示している。古代で好まれるのは、待つ女、つまり受身の女性なのだが、この天皇が好きになる女たちは、嫉妬深かったり、すべてをなげうって逃げて行ったり、自分から思いを打ち明けたり、なかなか積極的である。そして、それが伝承の多様性をもたらしている。
系譜的にいえば、メドリはウジノワキイラツコの同母妹であり、オホサザキの求婚を拒む理由の一つとして、オホサザキとワキイラツコとの関係を引き摺っているとも考えられる。
※
元々この宇遅能和紀郎子が皇太子として天皇を継ぐことになっていましたが、彼はオホサザキの方が天皇に相応しいとして、最終的に自殺することで、オホサザキに皇位継承権を譲ります。
そうして仁徳天皇は即位しました。
※磐姫の話には関わり無い人ですが、上で出てきたので書いておきました。
<磐姫の嫉妬の現れ方>
普段
嫉妬 すること、いと多し。故 、天皇 の使へる妾 他の妃は、宮の中 を臨むことを得ず宮殿に入れさせなかった。(仁徳天皇が他の妃に)言立 つれば何か言っただけで、足もあががにジタバタさせて嫉妬 しき。
・普段から嫉妬することがとても多かった。
・他の妃たちを天皇に近づけさせないようにしていた。
・天皇が他の妃たちに話しかけただけで、「足もあががに」嫉妬していた。
※足もあががに
アガクの未然系に助詞ニのついた副詞で、あしをばたつかせてとか、地だんだふむばかりにということだが、ここの文脈では意味的にもっと働いていると思う。アガクは
吉備の黒日売
黒髪の美女という義(略)。その点、大后イハノヒメが既述したように美女でないらしいのと対照をなす。
※地方豪族の女で、磐姫と同格か下位。
その
大后 イハヒメの嫉 むを畏 みて恐れて、本 つ国 故郷の吉備に逃げ下りき。(略)故 、大后、この御 歌 を聞きて、大 きに忿 りて、人を大浦難波の海に遣 し、追ひ下ろして、歩 より追ひ去りき陸路を歩いていかせた。
・嫉妬に狂う。(特に何をしたかは書かれていない)
・帰る黒日売を船から下ろして徒歩で帰らせる。
・その後仁徳天皇が嘘を付いて黒日売に会いに行くが、磐姫は(嘘を信じたのか?)何もせず
八田若郎女
※皇族(前天皇の娘で、仁徳天皇の異母妹)なので、磐姫よりも高位の血筋
・仁徳天皇が八田若郎女を娶ったことを知って、祭りに使う予定だった柏葉を全て海に投げ捨てた。
・さらに宮に戻らず山城国に篭城した。
・天皇から使わされた使者を無視した。(後に同情して謁見を許す)
・天皇の訪いを受け入れて和解。
※八田若郎女は身を引くが、磐姫が直接引かせてはいない
※黒日売と八田若郎女
書紀のほうには吉備の黒日売のことは見えず、大后イハノヒメのネタミはもっぱら八田若郎女(八田皇女)に向けられる形になっている。しかし黒日売と八田若郎女という出身階層を異にする複数の女人がネタミの相手になる方が、物語として面白いのはいうまでもない。黒日売が出てこぬと、話しは宮廷内のことに狭まってしまう。
もっとも、イハノヒメのネタミの真の相手が八田若郎女であったのは疑えぬ。なぜなら自分が葛城氏の出であるのにたいし、向うは王族の女であったからだ。イハノヒメは、ひととなり嫉妬ぶかかったと見るだけでは、この話の本質にふれたことにはなるまい。八田若郎女という皇女と仁徳が婚したと聞いて、大后イハノヒメのネタミ心はいよいよ燃えさかり、かくして紀国から難波宮にも立ち寄らず、船で山城河を上ってゆき云々の大立回りをやるわけで、そしてそれがすでに指摘したとおりまさに「足もあががに」妬むとされるゆえんであったと思う。
女鳥王
※同じく皇族(宇遅能和紀郎子と八田若郎女の実妹。仁徳天皇とは異母妹)で、磐姫より高位の血筋
・何もしなかったが、女鳥王は姉の処遇を見て磐姫の嫉妬を恐れて仁徳の妻にはならなかった。
・殺された女鳥王に対して、殺されたことに関してはそれが当然であったことを強調したが、臣下が礼節に欠ける行いをしたことに関しては極刑を与えた。
玉釧(女鳥王の腕輪)
※磐姫が某将軍の不敬を見破るきっかけになった、殺された女鳥王がつけていた高価な腕輪
女性の装身具だが、ただ身を飾るだけではなく呪術的な意味を持っていたと考えられる。また、シャーマンなどはたくさんのクシロを巻いていたらしく、出土する人骨などとともにさまざまなクシロが出土している。
大后イハノヒメは、なぜそのクシロがメドリのものであるということがわかったのかというのは気になる点である。(略)発掘されたクシロを見ると多種多様な形をしており、その材質にもさまざまなものがある。そこから、その形や材質の違いは、それぞれの出身氏族を表わすもので、クシロを見ただけで、どこの氏族の出身の女かが分かるというようなものだったのではないかとも考えられるからである。それなら、イハノヒメが一目見ただけでメドリのものだと気づいたというのもよく理解できる。
女性が、その出自を明かす品として身につけているものとしては、万葉集の歌に数多く詠まれている「
はてさて。
長々とお疲れ様でした。(よ、読んでくださった方があったとしたら・・・)
自分でもちょっと予想外に引用ばかりの上に物凄く長々しくなってしまいました。
これで磐姫のことや当時の状況などが少しでも分かってきたらいいのですが・・・。
内容的には興味深いことがたくさんあってとても面白かったです。
下巻も楽しいなぁ!