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木梨之軽王と軽大郎女(禁断の兄妹愛)・その2!

すごく間が空いてしまった・・・!
続きです!
前回は木梨之軽王きなしのかるのみこが妹の軽大郎女かるのおほいらつめに熱烈な歌を送っており、その内容から兄は妹と仲を深めたり泣かせたりにゃんにゃんしたりまあいろいろ赤裸々なことが分かりましたね!
しかし二人は同じ母親から生まれた兄妹。
別の母親から生まれていたのなら兄妹でも問題なかったのですが、古代において同母の兄妹(または姉弟)の婚姻は禁忌とされておりました。
父親の允恭天皇の死後、まだ位を継いでいなかった日嗣の皇子である木梨之軽王は、何とその禁忌を犯していたのです。

ここもちて、百官ももつかさあめの下のひとと、かるの太子おほみこそむきて、穴穂あなほの御子みこりき。しかくして、軽太子、かしこみて、大前小前宿禰大臣おほまへおまへのすくねのおほおみが家に逃げ入りて、兵器つはものを備へ作りき。穴穂王子みこも、また、兵器を作りき。

おおお・・・一気に人気が落ちてしまいましたね。
百官の百は実際の数ではなく、多いという意味で使われている例です。
八百万の神とかびきの岩とかと同じ話ですね。
神様が全部で八百万柱いるという意味ではないし、岩を実際に千人で引っ張るわけでもないです。
で。
官吏や一般の民草の多くが「さすがに近親相姦の王はちょっと・・・」ということで、次の皇位継承権のある穴穂御子の方へ味方についてしまいます。
身の危険(?)を察した木梨之軽王は大前小前宿禰大臣の家に逃げて戦準備のため武装します。
同じく穴穂御子も武装。
いざ全面対決か!?

ここに、穴穂御子、いくさおこして、大前小前宿禰が家をかこみき。しかくして、其のかどに到りし時に、おほさめりき。かれ、歌ひて曰はく

 大前 小前宿禰が かなかげ金で装飾された戸の陰に
 く寄り寄って来い 雨ち止めむ立ったまま雨が止むのを待とう

爾くして、其の大前小前宿禰、手を挙げ膝を打ち、ひかなで、歌ひてたり。其の歌に曰はく、

 宮人みやひと足結あゆひ小鈴こすず 落ちにきと足結の鈴が落ちてしまったと
 宮人とよ騒いでる 里人さとびともゆめ民草は騒ぐ必要ないぞ

戦勃発!
っていうか、ここまでいく前に誰か木梨之軽王を止めようとする人はいなかったのかと私は問いたい。
もしくは二人の仲を引き離そうとするとか。
だって前代の允恭天皇によって定められた正当な日嗣の皇子ですよ?
そんなに簡単に切り捨てられるものなのでしょうか?
このあたりがどうしても私は納得いきません。
それとも近親相姦とは知れた瞬間一発アウトになるほど重大な禁忌だったのでしょうか・・・?
さて、本文ですが、二人とも争いの準備はしていましたが、先手を取ったのは弟の穴穂御子でした!
兄が頼った豪族大前小前宿禰臣の屋形の前で挑発するような歌を歌います。

>大前~
 大前小前宿禰臣の屋形の戸の陰に、
 こんなふうに寄って来い。雨を立ったまま止ませよう。(=雨宿りして待つ)


「金戸」というのは一般的には金属で装飾した戸とか堅い戸という意味でとられているのですが、カナトという音が単にその家の門(入り口)の戸、という意味で使われることも多いので、私はそう読みます。
まぁ日嗣の皇子が頼る豪族ですから、かなり豪華で立派な門には違いないかもしれませんが。
そして、そんな立派な門の「蔭」に寄って来い、と歌っていますが、この「蔭」という言葉。
個人的にはここにはかなりの皮肉というか嘲りの意図がこめられているような気がします。
みなさまはどうですか?
天皇はもともと太陽神の子孫ということにもなっているし、次代を継ぐ皇子を「日嗣ぎ」と表現しますから、仮にもその「日嗣の皇子」に対して「蔭」という言葉を使うのはかなり痛烈に感じます。
・・・まああくまでも私の深読みで、特にどの本に書いてあったことでもないのですが。
で。
歌を聞いた大前小前宿禰臣は手を挙げて膝を打ち、さらに舞まで踊りながらやってきました。
敵意がないことを大仰に示したのでしょうか?
臣が歌うには

>宮人~
 宮仕えの方が足結の紐につけていた鈴を落としたと騒いでいるのだ。民草は騒ぐな。

足結は古代史(特に古墳時代)スキーならトップクラスの萌えアイテムですね!
膝の下でキュっと結んでいるあのスタイルは鬟(ミズラ)と共に大変たぎらずにはいられない!
足結の紐に鈴なんてついてたら歩くたびにリンリン鳴って邪魔なんじゃ?とか思うのですが、西郷信綱さんによると「これは宮仕えのためのもの」とのことなので、宮廷に出仕する人間の制服の一部と考えればいいのでしょうか。※新情報※足結の鈴は「立ち聞き防止のため」という説があるとの情報をいただきました。Rieさま情報ありがとうございました!
となれば、足結あゆひ小鈴こすず 落ちにき」というのは、現代でいうならセーラー服にスカーフがない状態とか、ブレザーにリボンやタイがない状態とか、スーツにネクタイがない状態とかと似たようなものかもしれません。
確かに様にならないですね。
よりにもよって神聖な御所の中でそれでは問題があるでしょう。
とはいえお分かりのとおり、これは臣の喩えです。
実際は次代の王位を賭けた兄弟の殺し合い。
で、ですね。
それを加味した上で、私はこの歌の解釈をどうとればいいのか、実は分かりません。(ホントすみません・汗)
「官人の騒ぎに民草は口を挟むな」と言っているのか「官人様が大変なのだ。民草も心しておれ(気を引き締めろ)」と言っているのか、それとも別の意味なのか・・・。
うーむ・・・。
穿って考えて「ただ鈴がないだけのことだから、民草は気にする必要はない」といっている・・・とか?(いやしかしこれはちょっとどうかな)
これをご覧になった方の中で何か案があったら是非お気軽に教えて下さい!
では、続きを見てみます。

如此かく歌ひて、参ゐりて、まをししく、

「我が天皇おほきみ御子みこ、いろみこいくさることかれ。し兵を及らば、必ず人、わらはむ。やつかれ、(木梨之軽王を)とらへて貢進たてまつらむ」

とまをしき。爾くして、兵を解きて、退きしき。
 故、大前小前宿禰、其の軽太子を捕へて、て参るでて、貢進りき。其の太子おほみこ、捕へられて歌ひて曰はく、

 あまむ かる嬢子をとめ いたかば 人知りぬべし
 波佐はさ山の はとの した泣きに泣く

「穴穂御子様、兄弟同士で戦をしては、民草に笑われてしまいますぞ。私が(木梨之軽王を)捕らえて差し上げます(のでお引き下さい)」
裏切った・・・!
・・・と、よくいわれるシーンです。
私としては、ここで直接木梨之軽王を差し出さなかったのは何か意味があるのでは?とか思ってしまうのですが、どうでしょうか。
顔を布か何かで隠せば民の目は簡単に誤魔化せそうですし、この場で殺すという選択肢もなくもない気もしますし。
皇子の血で穢れるのを嫌った?(しかしこの後の「穴穂@安康天皇」の条では「ワカタケル@後の雄略天皇」が兄弟殺しまくってますが)
何かの時間稼ぎとか?
深読みしようと思えばどんどんドツボにはまりそうです。(まあそれが楽しくもありますが)
結局、木梨之軽王は捕らえられて差し出されてしまいます。
その時に歌った歌の概要は以下のとおりです。
 天を優雅に飛び廻る鳥(=かり) (その素晴しい鳥と音が似た地名の)軽の里のお嬢さん
 ひどく泣いたら 人に知れてしまうだろう
 波佐の山の鳩のように く、くと忍び泣いているのだよ

実は「軽」というのは地名です。
木梨之「軽」王も「軽」大郎女も、きっと軽の里で生まれ育ったか、軽の里出身の乳母に育てられたかしたのでしょう(※私の完全な思い込み予測なので不確かです)。
木梨之軽王は捕まってもまだ妹への想いを持ち続けているようです。
ここまでくるともういっそ清々しいですね。
さて、次回で最後になります。
捕まってしまった兄・木梨之軽王と妹・軽大郎女(衣通郎女)の運命は・・・!?