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ヤマタノヲロチ神話!その一半(古事記のちょっとイイ話)

さっきの記事で出てきた語句の補足説明。
最後にまとめて書こうかとも思ったのですが、忘れそうなので(オイ)今のうちに書いてしまいます。
これを読まなくても次の記事を読むのにはまったく支障はありませんが、読んでみるとちょっと古事記通ぶることが出来るお得記事です。(※ツッコミはセルフでお願いします)


<スサノヲが降り立った「肥の河上」の「鳥髪」というところ>
スサノヲはもともと「根の国」を目指していました。
それは母イザナミが居る場所です。
ここで、イザナミが葬られた場所の記述を見てみましょう。

「(イザナミは)出雲国と伯伎(ははき)国(=伯耆国)との堺の比婆(ひば)の山に(はぶ)りき。」

なるほど、どうやらスサノヲの目指す根の国は出雲国と伯耆国の堺あたりに入り口がありそうです。
一方「肥の河」や「鳥髪」という名前を探してみると、「出雲国風土記」にありました!(※風土記は古事記が編纂された直後に書かれた全国の地理誌です)

「出雲大川。源は伯耆と出雲と二つの国の堺なる鳥上山より出でて、(略)神門(かむと)の水海に入る。則ち、謂はゆる斐伊の川の下なり」

これを見ると、どうやら比婆(ひば)の山と鳥上山は同じような場所にありそうです。
スサノヲはただ適当に天降ったわけではなく、ちゃんと根の国を目指してやってきたわけですね。



<スサノヲが木の枝を「箸」と分かった理由>
単なる木の枝を見て即座に「箸」と見破り、河上に人がいることを悟ったスサノヲですが、どうしてこんなことが出来たのでしょうか?
これは私が書くよりも、山田永さんの文章をそのまま載せたほうが分かりやすいので下記に引用させていただきます。

(前略)おそらくこの箸は折ってあったのです。では、なぜ折ったのか。感染呪術(※持ち主の手を離れても、もとの持ち主の生命の一部がその物に宿っているという信仰。日本だけでなく世界各地でみられる)が信じられていた古代では、箸のように口につけたものは(のろ)いの道具にされかねないため、他人の手に渡ることがはばかられていました。そのため、二度と使えなくするために、折って捨てていたのです。今でも割り箸や爪楊枝を使ったあとに折る人はいませんか?理由は知らずにやっていても、『古事記』と現代の我々は、つながっているのです。



<古事記神話の中の「泣く」という行為が引き起こすこと>
スサノヲが河を上っていくと、老夫婦が若い娘を間に置いて泣いているところに出くわしました。
この「泣く」という行為。
実は古事記には他にもたくさん出てきます。
古事記で一番初めに出てくる「泣く」シーンはイザナキがイザナミを失って号泣するところです。
このイザナキの涙から「泣沢女神(なきさわめのかみ)」という神様が生まれます。
次に出てくるのはスサノヲが母に会いたいと泣き喚くシーンです。
イザナキがやってきて、結果的にスサノヲは海の支配者の任を解かれて根の国に向かうことになります。
その次に出てくるのがこの老夫婦の泣くシーンです。
泣いている夫婦のもとへスサノヲがやってきました。
また、この後の話ですが、ご存知因幡の素兎神話では、泣いているウサギの元へオホナムチ(後の大国主)が現れて怪我の治し方を教えてくれます。
もうお分かりでしょうか。
古事記神話において、「泣く」という行為は、「神を呼ぶ」行為なのです。
当時、「泣く」という行為には「異界と交わる」という考え方があったわけですね。(山田永説)

ちなみにこのあとの予定ですが、

その二~正体不明の化け物「ヲロチ」~
その三~スサノヲとクシナダの結婚とヲロチ退治~
最終回~その後の二人~

という感じで書こうと思っていますが、もしかしたら変わるかもしれません。