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【中編】「藤太」でなければならなかったこと、「苑上」でなければならなかったこと

下に書いていた表現を少し変えました。

・藤太は阿高に「孤独を忘れさせてくれる」存在。
・苑上は阿高の「孤独を知ってくれる」存在。

まだまだ手探り状態でスミマセン。

とりあえず、この根拠と思う原作内のポイントを書いてみます。
まず、藤太のほうは

びっくりして阿高は答えた。
彼は、小さな明かり取り(※窓のようなもの)のある壁ぎわに、膝を抱えて座っていた。
ほかの者なら気づかないだろう、だが、藤太にはわかっていた。
阿高は心にしこりがあると、または体の具合が悪くなると、必ず少し離れてうずくまるのだ。
そのしぐさは無意識のうちで、本人は打ち明けようとしない・・・・・・というより、まだはっきり自覚してないのが常だった。(新書p.23)


重要なのは、藤太は阿高が自分の孤独に気づく前に藤太の方へ引っ張り戻しているということ。
そして、藤太自身、阿高がこのような状態になる原因に気づいてないこと。
阿高は放っておくときっと孤独なほうに思考が傾いてしまうのではないかと思います。
そうなる前に、藤太が阿高を自分の側に引き戻しているのですが、藤太自身は阿高が内にもつ孤独というものを理解していないので、「心にしこりがある」時とか「体の具合が悪い」時という、阿高が普段と違う状態になっていると考えています。
しかし実は、阿高の通常状態はこの「孤独」なほうではないかと私は思っています。
阿高の「孤独」は出生にかかわるものです。
生まれたときからずっと心の中にあったのです。
それを、藤太のお陰で「忘れていられる」瞬間が、阿高の救いであり、阿高自身が自分の本来の心の歪みから目を逸らすことが出来る大事な時間になっているかもしれない。

一方苑上のほうのポイントは

「もっとも、得体の知れないやつに始終襲われていては、多少のものは怖くなくなるか」
阿高のほほえみは、どこか淋しそうに見えた。
苑上は考えた。
(だれがそばにいようと、たとえ藤太のような人がそばにいようと、この人は孤独なのに違いない・・・・・・)(新書p.363)


苑上は阿高の深い部分の孤独に即座に気づきます。
藤太は阿高が雷の力によって苦しんでいると思っているはずです。
だから、雷の力がなくなれば阿高は元に戻る(武蔵に帰れる)と思っています。
それは確かに正しいし、阿高も始めはそれを信じて困難に立ち向かっています。
阿高が困難に立ち向かっているのは、藤太との約束が心の支えになっているからでしょうか。
しかし、苑上が気づいたのは、さらにもっと阿高の根元にある孤独でした。

こう書くと、藤太の役目が苑上よりも軽いように感じるかもしれませんが、決してそうではありません。
藤太が阿高に与えたもの。
「約束」という言葉の意味すること。
そのあたりをもう少し詳しく書きたいのですが、今日もまた時間切れです。
続きは別記事で書きます。

考えれば考えるほど深いです。
深すぎてどこまでも落ちていってしまいそうな・・・。
こういうときが一番楽しいのかもしれません。
祭りは準備が一番楽しいというやつです。
もう少し、時間をください。

引用するに当たって改行を増やしています。
ネットの画面の横書きは改行が多いほうが読みやすいかなと私が勝手に思っているので。


【追記】
みんさま、Rieさま、コメントありがとうございます!
この次の記事で暑苦しく返信させていただきます!
少しだけお時間ください。(仕事あるのにこんな時間まで起きてる私は社会人としてサイテーだ・・・)
拍手のみの方もありがとうございます!
薄紅の解釈をするなかで、私は気づいてしまったのです。
この中に、スサノヲがいる!と。
そのあたりも書けたら書きたいです。(割愛するかもしれません)