阿高の心の「死」と「再生」【前置き】
- 2012/02/01 00:01
- Category: 薄紅天女>妄想語り
少し間が空いてしまいましたが、再び薄紅妄想語りです!
題名からしてもはやさっくり終えるのを諦めている感じ満々ですスミマセン・・・。
お付き合いいただけるととても嬉しいです。
さて、今回は『阿高の心の「死」と「再生」』について語りたいと思います。
前回は阿高の孤独について外との関係を「藤太」と「苑上」を基準にして、基本的には原作内の時間を横に考えてみました。
今回は阿高自身の内側を、原作外の時間を予測しながら縦に考えてみたいと思います。
・・・表現の仕方が難しいですね。
一応図にしてみると↓こんなイメージです。
【前回】
藤太――阿高――苑上
【今回】
子ども阿高
↓時間経過↓
青年阿高
ではいってみます。
まず、心の「死」とはいったいどんなものなのかと考えてみました。
心が死ぬとどうなるのか。
そもそも形のない心の「死」ってどういうことなのか。
ここで始めに思いついたのは、
心が「死ぬ」ということがあるなら、その前の「生きている」段階もあるんじゃないだろうか。
「生きている」状態があるなら、その前の「生まれる」段階もあるんじゃないだろうか。
ということでした。
つまり心に肉体と同じように「死」を認めるということは、やはり同じように「生」「育」「熟」などの状態も認めるべきなのではないだろうかということです。
肉体の「生」「育」「熟」なら何となく分かりますよね。
「生」・・・母親のお腹から「おぎゃー」と産まれる
「育」・・・体が大きくなる。二次成長などでそれぞれの性別らしくなる。
「熟」・・・成長が終わって完成する。(※今回はこれについてはあまり言及しません)
とりあえずこれが一般的なイメージだと思います。
心はとにかく形がなくて分かりづらいので、少しでも分かるものに置き換えて考えてみたいという試みです。
成功するかどうかは分かりませんが、今回はこの方向でやってみたいと思います。
この後は
・心が生まれる瞬間とはいつか、どのようにして生まれるのか
・心が育まれる環境(阿高の心の成長)
・心が死ぬとどうなるのか(原作の状況を参考にして)
・阿高の心の再生
あたりに焦点を当てて語りたいと思っていますが、変わるかもしれません。
あ、そういえばまた「F-Space」のサーバ落ちてますね・・・。
バックアップは今度は大丈夫ですが、やっぱり不安定なのが残念ですね。
.htaccessが使えたりCGIやphp対応だったりサイトが軽かったりと、機能の面ではとても重宝しているのですが。
一長一短ということでしょうか。