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阿高の心の「死」と「再生」【その四】

それでは続きです!

【「心」のそれぞれの段階の「要因」と「結果」】後半戦続き

・「心」が死ぬということ、「心」が死んだ「身体」(後半)

さて、少し間が空いてしまったので念のためもう一度確認しておきます。
ここでの前提として

「心」が死んだ状態=「自分の存在が誰からも不要になったと感じること」=「存在意義の喪失」

ということでした。
苑上編で阿高が自分の存在意義を見失ったところを引用してみます。

藤太はときおり、うめきに似たつぶやきをもらしながら、けんめいに傷の熱と戦っていた。
だれも彼とともに戦うことはできなかったし、かわってやることもできなかった。
阿高は、この立場に身をおいてはじめて、なぜ、藤太は阿高から怨霊の話を聞くとき、どこかつらそうな顔をしたのかを理解した。
(おれには何も見えていやしなかった・・・・・・いつもそうだ。自分のことばかりで)
うちひしがれて阿高が考えているとき、藤太が名を呼んだような気がした。はっとして身を乗り出し、阿高は熱心に耳元でささやいた。
「藤太、おれだ。何がしてほしいんだ」
短くあえぐ息が聞こえるだけだった。
阿高があきらめかけたとき、藤太は苦しげにつぶやいた。
「千種・・・・・・千種」
阿高は見つめた。
旅に出てからの藤太が、阿高の前ではひとこともその名を出さなかったっことを、殴られたように思い出した。


やはりここでしょうか。
そもそも、阿高はずっと誰もが持っているものを持っておらず、それが「孤独感」を募らせる要因になっています。
しかし武蔵にいた頃はそばに藤太がいて、自分を藤太と思うことでそれにふたをして明るく暮らしてくることができました。
今回の旅では、まず自分は藤太とは別の人間であるということを知りました。
阿高にとって、初めての「個(アイデンティティ)」の認識だったかもしれません。
そして初めて向き合った自分自身は、あまりにも他人とかけ離れていました。
阿高はそんな自分がどんなにかおぞましい思いであったことでしょう。
苑上編の前半は阿高の自虐的な台詞が何度も出てきていますね。
そんな阿高をずっとそばで支えてくれたのが藤太でした。
阿高自身が嫌悪する阿高を、藤太はずっとかばってくれていました。
苑上編において阿高の存在意義は、藤太でした。
阿高は藤太を同じだと思っていたころ以上に必要とし、支えにしていたはずです。
もちろん茂里や広梨も阿高を信じてくれています。
ただ、彼らは藤太と阿高の二連を信じているのだという気がするのです。
そういう意味でも、阿高にとって藤太の存在は大きかった。
そんな藤太が、死に瀕しているときに呼んだ名が「千種」
阿高はこれで止めを刺されたといっていいでしょう。
何も出来ることがないと打ちひしがれて、その上こんな時に求めらたのは別の人だったという事実は阿高を完全に打ちのめしたでしょう。

「どうしてそんなところに立っているの」
雨の中に阿高が立っており、淡い光を放っているのは、阿高が首にかけている玉だった。
明玉を目にしているのだと気づいたが、それが光を放っていることは、今の阿高にはどうでもいいことのようだった。
苑上が来たことを知っても、彼は顔も上げなければ返事もしなかった。
雨に打たれたままいつから立っているのか、ぬれそぼった髪がうつむいた首筋にまつわりついている。
「藤太のもとへ行くところだったの。外になどいないで、いっしょに行きましょう」
苑上はいったが、阿高はあいまいな身ぶりで行けと示しただけで、その場を動かなかった。
「そばにいてあげないの。一番近いあなたがどうして」
苑上は思わず歩をつめた。
そして、阿高が奥歯を噛みしめて泣いていたことに気がついた。
阿高はようやくのことで、かすれた声を押し出した。
行けない。藤太が死んだら、おれのせいだ」
「どうしてそんなことを」
「おれが殺したんだ。おれが・・・・・・ひき離した。こんなところまでつれてきて」


阿高が言った「行けない。」は、「必要とされてないと自覚した」という意味にも取れます。(※もちろん誤解ですが)
また、

朝までだまりとおすと見えた阿高が、ふいにぽつりとつぶやいた。
「甘えてたんだ。藤太に・・・・・・広梨や茂里にも。巻きこまずにはすまないことくらい、わかっていたはずなのに。藤太には待っている人がいるんだ」
「あなたにだっているのでしょう」
苑上はいったが、阿高は首をふった。
「一人で来るんだった。藤太を奪う権利なんてない」


阿高はさっき無力感を痛感していたはずなのに、また「一人で」とか言ってます。
自分が相手の力になりたいと望むことがどんなに純粋な望みか分かったはずなのに。
一見矛盾しているような気もしますが、これは阿高の心情としては致し方ないとも思えます。
なぜなら、誰かの力になりたいと望むのは、そもそも相手が自分にそれを望んでいる(期待している)ことが大前提だからです。
阿高はさっき望んでもらえませんでした。(千種を呼ばれてしまった)
あそこで阿高と藤太の対等な相互依存関係は崩れ、阿高は自分が藤太にとって千種よりも下の存在だと思い込んだのです。(こう考えると阿高の中の藤太との関係は、部分的にとても脆いところがあったということを察することができますね)
だからこそ、自分に巻き込むよりは千種の元にいたほうが藤太は幸せだったという短絡的思考になってしまったのではないかと思います。
阿高は藤太を精神的に失ったことにより、ここから先徐々に心をすり減らしていきます。

「おれは、なぜあいつらの一人ではいられないんだ」

この台詞はとても印象的でしたね。
薄紅天女が好きな方なら、おそらくこれを空で言える方も多いのではないでしょうか。
阿高の孤独と苦しみが一番現れている台詞でしょう。
そして、私はこの台詞にもう一つの別の読み方も出来ると思います。

この台詞を言った瞬間、阿高は「あいつらの一人で」いることを諦めたのではないかと。

つまりは決別の言葉ということです。
阿高の覚悟に一番初めに気づいたのは、他ならぬ目を覚ましたばかりの藤太でした。

(おれには阿高をおいていくつもりはない。だけど・・・・・・)
口に出すことはできなかった。
かすかな予感を感じ取りながら、藤太は寝息をたてる阿高をながめた。
(阿高はおれをおいていくかもしれない・・・・・・)


藤太は今までずっと、阿高の小さな変化にも一番敏感に気づいていましたね。
今回もやはり藤太の勘は的中しました。
藤太の体が治りきらないうちに阿高は都へ行くことを決断し、藤太に静かに別れを告げます。

藤太自身は、阿高の決意をかなり冷静に受けとめた。
彼の傷は熱を持たなくなり、痛みもひいてきたものの、まだ一人で上体を起すことはできなかった。
どんなに無理をしてもついていけるはずがなく、阿高が行くというなら見送るしかない。
だが、平気で残ることができるわけでもなかった。
「一人で行くんだな」
伝えにきた阿高から目をそらし、藤太はぽつりといった。
「そんなことをさせるために、勾玉を取り返したわけじゃなかった」
「これでよかったんだよ。おれさえ出ていけば、ここは安全になる」
阿高は静かにいった。
彼はいつのまにか、何かを思いきってしまったように見えた。
感情を殺してしまったようでもあり、どこか不吉な感じがした。


こうなってしまった阿高には、もはや藤太の望みを叶えることはできません。
なぜなら(阿高にとっては)阿高が藤太の望みをかなえるよりも、もっと優先されるべき望みがあるからです。
それは千種が藤太の帰りを望み、藤太もまた千種のもとへもどることを望んでいるということです。

「藤太には武蔵にもどってほしい。そうしておれの分まで、今までのように暮らしてほしいんだ」
藤太は傷が引きつるのを承知で腕を伸ばし、阿高の衣をつかんだ。
「わかっているのか。おれはおまえを武蔵へつれて帰ると約束したんだ。そのことを、忘れたとはいわせないぞ」
痛みをこらえて藤太がいったとき、はじめて阿高の目に苦しげな色が浮かんだ。
藤太の手をそっとはずし、上掛けのもとにもどすと、彼は目を伏せてささやいた。
「ごめん。今は約束できない」


阿高がここで苦しそうな顔をしたのは、なぜなのでしょうか。
藤太が前と変わらず阿高にともにいてほしいと望んでくれていたことで、一瞬感情がよみがえったためでしょうか。
それとも、藤太のその望みは以前とは違って一番に叶えられるべきものではなくなったんだと一人で勝手に傷ついているからでしょうか。
どちらにしても切ないです。

と、いうわけで。
苑上編において、阿高の心が死んだ瞬間をあえて挙げるとするならば、藤太が「千種」の名前を呼んだときということになるでしょうか。

心が死んだ阿高がどうなったか。
この後の苑上の視点を引用します。

苑上は、阿高の変化にうすうす気づいていた。
藤太のかたわらで目をさまして以来、彼はすっかりおちついたように見えていたが、その実、藤太が助かったというのに、阿高は泣いたあの日から立ち直っていなかった。
(あれは、よほどのことだったのだ。わたくしが思うよりずっと・・・・・・・)
一見淡々と伊勢の日々をすごしながら、阿高はあの日を境に、だれからも身をひいたようだった。
もともとそっけないところのある阿高だし、それほど目につきはしなかったのだが、藤太との別れに際して、嘆く様子をほとんど見せないとなると、その心の閉ざしようは明らかだった。


さらに苑上は都へ向かう途中に何度かの躊躇いを経て、阿高に声をかけました。
藤太に託されたこともあり、また、苑上自身が阿高に何らかの思いを抱いていたからと見えます。
そして苑上は阿高の心がすでにこの世の誰からも離れてしまっていることを知るのです。

「怨霊はおれにしか倒せない」
小声で阿高はいった。
「おれ自身がどう思おうと、おれは怨霊を倒すためにいるんだ。皇があいつとともにあるものなら、皇もどうなるかはわからない。それでも、おれは倒さなくてはならない。あれはおれの対だからだ」
「対?」
「怨霊の力がおれを呼ぶんだ。おれにきちんと出会うまで、あれは暴れ続けるだろう。おれの力も同じだ。たぶん、おれとあいつは響きあって、増幅しているんだ」
彼はもうだれにも弱味を見せようとはしなかった。
そんな阿高が苑上は悲しかった。
「そのきずなは、あなたと藤太のものより強いものだったの?藤太は今でも待っている。阿高にもどってきてほしいといっているのよ」
阿高はしばらく答えなかった。
それからささやくようにいった。
「強いよ」
顔をそむけ、阿高はまた月を見上げた。
「だから、早く終わりにしたいんだ」
藤太が怖いといったことが当たっているのだと、苑上は考えた。
阿高は望むことをあきらめている。
自分のためではなく、自分以外の人のために、すべてを切り捨ててその先へ進むつもりなのだ。


すべてを切り捨てて、というのがなんとも辛いです。
阿高は藤太から心を切り離し、武蔵へもどるという希望も捨てて、死すらいとわず都へ向かいました。
なんという残酷な状況なのかとも思いますが、今にして思えば、これは阿高にとって必要なことだったのかもしれません。
阿高はずっと藤太と自分を同一視してきました。
それが、このことによって完全に阿高として独立したともいえると思うのです。
荒療治・・・というにはあまりにも苛酷すぎる状況です。
しかし、これが阿高の運命だったのでしょう。
これ以降、阿高は藤太や他の人の望みや期待を気にすることなく、純粋に自分の言葉で自分の気持ちを発露するようになります。
その最たる場面が、帝との対面シーンであり、最後の戦いへ向かう直前の苑上との対話になっていくのではないかと思います。
それではまとめます。

※「心」が死ぬ段階のまとめ
・要因:藤太が死に瀕したときに呼んだ名が「千種」だった(命が掛かった一番大事なときに必要とされなかった)
・結果:対等な信頼関係の喪失(悪)と人間としての完全な独立(良)


結果を良い面と悪い面の二つを考えてみました。
あと、上の引用からは省きましたが、苑上の感情でとても心打たれたものがあったので、蛇足と知りつつ自分のメモとして引用しておきます。

(それではいけない・・・・・・)
だれかを絶望させて救ってもらう救いがあるだろうか。
もしも阿高が救いの主なら、彼自身が望みをなくすことなどありえないのではないだろうか。


長々とかかっててスミマセン!
今回はここまでです。
次はいよいよ
・「心」が再生するには、その結果阿高が得たもの
について書きたいと思います。
気長にお待ちいただければ幸いです。


私信
Rieさま!
>私のほうこそ幸せものです。兼倉さま、ありがとうございます! R
私なんかのメッセージで幸せを感じていただけるのならいくらでも!!!
というか私こそいつもRieさまのコメントに幸せと笑いを力いっぱい感じさせていただいております!
これからも何卒よろしくお願いします!

拍手やコメントありがとうございます!
次の記事で改めて御礼をさせてください!
遅くてホントスミマセン・・・!