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日向神話~天孫降臨~(その一半):どうしてオシホミミが天降らなかったのか

時間が掛かっててスミマセンでした!
15時台に拍手を下さった方はきっと私ががっくりきているのを心配してくださったんですよね?
本当にありがとうございます!心に沁みます(T_T)
仕事は仕事、趣味は趣味で割り切りながらもどちらも全力でやっていきたいと思います!

それでは、前回書いていた「オシホミミが天降らなかった理由」を書いてみたいと思います。
まずは山田永さんの文章を引用します。

・・・・・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・

それにしても、なぜオシホミミ自身が降臨しなかったのでしょうか?
世代交代といいました。(※前の章で書いてあります)
しかしながら、生まれたばかりの(まだ赤ん坊と思われる)ニニギを降臨させようというのも不思議です。
ここで、古事記から離れてしまうけれど、二つの論考を紹介します。

西郷信綱氏は、本神話を天皇即位式である大嘗祭(だいじょうさい)とかかわらせて考察しました。
大嘗祭は新しい天皇が誕生する儀礼(毎年行われる収穫祭の中でも即位して初めて行う収穫祭を特別に大嘗祭と呼び、それ以後は新嘗祭(にいなめさい)と呼んだ。つまり大嘗祭は天皇即位式=天皇が誕生する儀礼としての役割もあったといえる)だから、それに対応する神話のニニギも「生まれたての嬰児(えいじ)」として描かれたのだと述べています。(古事記注釈第四巻p.13~14)

筑紫申真氏・上山春平氏は、古事記編纂時に女帝であった持統天皇が、夭折した我が子草壁皇子に代わって孫の軽皇子を天皇に即位させようとしたことと本神話を結び付けて考えています。
この三代と今扱う神話の系譜を並べて示せば、
 持統天皇41 - 草壁皇子 - 軽皇子(後の文武(もんむ)天皇42)
 アマテラス - オシホミミ - ニニギ

となります。(名前の横の数字は何代目の天皇かを表しています)
筑紫氏は、アマテラスのモデルは持統天皇だと述べています。
そして、史実を神話化したのだともいっています。

本授業は神話そのものを対象とするのであって、神話から史実をさぐることはしていません。
なのにあえて二つの論考を紹介したのは、天孫降臨神話を論ずるうえではずすことができないくらい著名だからという理由だけではありません。
神話の保証を考える具体的な例になると思ったからです。
筑紫論を使ってお話しましょう。
神話は保証です。
古事記神話は、天皇が日本を統治することを保証したものです。
その中でも本神話は、「天皇の子ではなく孫が次の皇位につく」という異常事態を「異常ではない」としてしまう機能があるのです。
「神話にこうあるのだから、孫が天皇になっても文句はないだろう」というわけです。
もっとも、「孫を天皇にするために、アマテラスの孫のニニギが統治する神話を作ろう」だったかもしれません。
たぶん、後者だと思います。
いずれにせよ、出来事の保証となる役割を神話がはたしていたのだということはいえるでしょう。

・・・・・・・・・・・・引用終了・・・・・・・・・・・・

なるほどー!という感じですよね!
二つの説、と一昨日書きましたが、実は三つですね。
まとめてみると、

【オシホミミが天降らなかった理由】

・天皇誕生の大嘗祭の儀礼を模している神話なので、天降るのは「生まれたばかりの嬰児」である必要があったから(西郷信綱説)

・古事記編纂当時の女帝持統天皇の孫の軽皇子が皇位についたということを神話化したものだから(筑紫申真&上山春平説)

・古事記編纂当時の女帝持統天皇の孫の軽皇子が皇位につくという異常事態を肯定するための保証として作られたから(山田永説)


最後の二つは似ていますが、実はまったく逆の立場ですね。
「事実」があったから「神話」にしたのか、「神話」を作って「事実」を肯定したのか。
山田永さんは、「神話」と「昔話(御伽噺)」の違いを「信じられているかいないか」だと述べています。
もちろん今の私たちは日本がイザナキとイザナミが生んだなんて思っていないわけですが、神話はその大部分が今現在に繋がることを述べているというところが大事になってきます。
昔話の一寸法師は今の私たちになんの関わりもありません。
しかし、例えば地名の起源説話などは今もその名前で呼ばれている地域に伝わっています。
スサノヲが「すがすがしい」と言ったから「須賀」という地名になったという神話はここでも前に書きましたが、この地域は今も須賀と呼ばれています。
須賀に行った人たちはこの話を聞いて、「そんなに昔から由来がある(続いている)土地なのか」と思うわけです。
由来は古ければ古いほどよいとされてます。
お店の創立の由来が大正時代よりも江戸時代のほうが何となく凄いような気がするような感覚です。
「孫が即位するという事態は神話の時代からあったんだ」といえればこれほど威力のある由来もないでしょう。
山田永さんの立場で西郷信綱さんの説を使うとしても同じことです。
天皇即位後の初めての新嘗祭を大嘗祭と呼んで他の新嘗祭と区別して特別視しだしたのは、持統天皇の前の天武天皇の時代といわれています。
天武天皇は古事記編纂を命じた天皇です。
つまり、この時代は大嘗祭(天皇誕生)がまだまだ新しい意識だったわけです。
西郷信綱さんはこの祭事に由来する神話と主張しておられますが、逆にこの祭事の由来を神話時代に求めて「天皇誕生はとても特別なことなんだ。神話では生まれたばかりの新しい命であるニニギの命が、同じく整えられたばかりの新しい国である葦原中国を治めるために天降っていらっしゃった話がある。この大嘗祭はその神話に由来しているのだ」といえば、やはりみんな大嘗祭がどれ程特別なものかと考えをめぐらせたことでしょう。

どの説が正しいのか、間違っているのかということはありません。
複合的な理由もあると思います、ここに挙げていないものも含めて。
何しろ神話を語り継ぐというのは本当に大変な労力が必要なことです。
神話は悠久の年月数多の人々を介するに足る、大きくそしてたくさんの意味があってこそ、今に伝わっているんですね。
今はその意味が失われているものもあるとは思いますし、逆に新たな意味ができたものもあるでしょう。
そいうものをあーでもない、こーでもないといろいろ想像したり話し合ったりするのが本当に楽しいです。
というわけで、皆様のご意見も随時お待ちしております!

それでは、次は本文の続きを書きます。
しかしちょっと時間がないので、サルタヒコのところはあらすじにしてしまうかもしれません。
ニニギの結婚の話はしっかりやります。
続きをどのようにするかはまだちょっと不透明です。
とりあえず書きたいことは、

・国譲り神話とニニギの降臨について(今回で書きました)
・ニニギの結婚と天津神(基本は不老)の子孫であるはずの天皇が人のように薄命になった理由
・コノハナサクヤヒメの火中出産(あらすじだけにするかもしれない)
・山幸彦と海幸彦のケンカ(綿津見神の宮訪問以降はあらすじにするかも)
・ウガヤフキアヘズの誕生
・神武天皇の誕生

のあたりです。
果たしてどれだけできるのか・・・。
よろしければ見届けてやってくださいませ。


あ!8日の23時台に10連パチを下さった方ありがとうございます!!!!!!!!!!!!
もしかして日向神話への期待の拍手でしょうか!?(だったらいいな・・・)
ありがとうございます!!
日向神話は出雲神話のように今まで小出しで語ったりしたこともない分野なので、語りたいことがたくさんありすぎて中々うまくまとめられません。(出雲神話の語りもうまくまとまっているかというとまったくそんなことはないわけですが・痛)
今後はもっと日向神話にも頻繁に言及していきたいと思います。
拍手ありがとうございました!!!!!!!!!!