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銀の海 金の大地 10巻までの感想

今更ながらこの記事が物凄いネタバレ記事だったことに気づきました。
以下は未読の方には大変よろしくない内容となっておりますので、畳みます。今更ですが。

ネタバレ

【前置き】
銀金ついに10巻まで読み終わりました・・・!
怒涛の展開に痺れてます!
佐保彦は今やもうデレの極地に達している気がします!
ツンからデレへの華麗な転身が見事でした!
11巻では一体どうなってしまうのか。
ツイッターから頂いた情報では佐保彦さんが全裸になる展開があるかもしれないとのことなので、そういう部分でも大変期待しています。(ヨゴレた大人でスミマセン)

【速穂児】
ところで、本を読むのと並行して、ネットでちょっとだけ感想サイト様めぐりみたいなこともしています。
その中で、「速穂児は散々真秀に酷いことを言いあげくに殺そうとするのに、真実を知ったとたんに佐保彦と佐保姫を救う為に真秀に協力してもらおうなんて、どの面さげて」みたいな内容を見ました。
まあ確かにそうなんですが、真秀だって自分の大事なものを守るために人を殺したり利用したりしているので、速穂児の行動や思考は銀金の世界観としてはとても正しいと言えるでしょう。(…私が高校生だったら確かに速穂児は嫌いだと思ってたかもしれませんが(苦笑))
むしろ王子かわいさからだったかもしれませんが、それまで誰も考えなかった「滅びの予言に立ち向かおう」という結論を出したことはとても価値があったと思います。
まあ真秀はきっと速穂児の頼みを受けいれず佐保から出ていくんでしょうけれど、佐保彦も速穂児のような人がそばにいればもう滅びの予言に縛られずに生きていけるはずですね。

【「滅びの子」と「永遠に生かす子」の予言と解釈】
実をいうと、銀金を読みながらずっと思っていたことがあるんです。
もともと予言は「佐保を永遠に生かす子」と「佐保を滅ぼす子」が生まれるから、滅ぼす子の母親を殺してしまえというものでした。
これは、予言部分とその解釈部分に分かれていますね。

<予言部分>
「佐保を永遠に生かす子」と「佐保を滅ぼす子」が双子の姫からそれぞれ生まれる

<解釈>
「佐保を滅ぼす子」の親になる姫を殺せ(または「滅ぼす子」を殺せ)


というものでした。
でも、本来この国の神は恵みをもたらすだけの存在ではなかったはずです。
恵みももたらすけれど、時には荒ぶる災厄をもたらす側面も併せ持っているのがカミです。
だから「永遠に生かす子」と「滅ぼす子」が同時に生まれてくることは正しい状態ではなかったのかと思うのです。
この国ではその両側面を畏れ敬い柔して、斎祭っているのです。
例えば、出雲大社の大国主は天つ神を祟る神です。
それを斎奉っている出雲大社の宮司は誰でしょう。
大国主の子孫や、出雲の古い国人とは伝えられていません。
出雲大社の宮司は、アマテラスの息子であるアメノホヒの子孫なのです。
前にも書いたことがあるので覚えておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。
天孫を祟る神を天孫につらなる人たちが斎祭っているのです。
この国はずっと、滅びや祟りと戦うのではなく、受け入れて生きてきたのでした。
しかし大和でもっとも古い一族のはずの佐保が、自分たちの繁栄のみに固執して滅びから目を逸らした。
これがそもそもの間違いだったのではないかと思ったのです。
本当なら「永遠に生かす子」も「滅ぼす子」もどちらも受け入れるべきだったのではないでしょうか。
そうすれば、御影は大闇見戸売と自分の人生を捻じ曲げることなく、霊力を持つ女首長とその妹として生きていけたかもしれません。
つまり、

<解釈>
「佐保を滅ぼす子」の親になる姫を殺せ(または「滅ぼす子」を殺せ)

⇒「永遠に生かす子」と「滅ぼす子」を厚く斎奉れ

とするのが予言の正しい解釈という可能性もあったのではないかと、読みながら思っていました。


【「滅ぼす」と「永遠に生かす」の意味の推測】
上記のようなことを考えながら読んでいたので、始めは「滅びの子」と「永遠に生かす子」というのは「滅ぼすことができる子」と「永遠に生かすことができる子」というのが正しいのではないかと思っていました。
里人たちは二人を厚く斎奉り、それによって二人に自分たちが生かされるべきか、滅ぼされるべきかを判断してもらうというのが本来の有り方だったのでは、ということです。
二人が佐保を生かすと判断すれば真秀が「永遠に生かす」し、滅ぼすべきと判断すれば佐保彦が「滅ぼす」
あくまでも二人で一つの存在です。

ただ、読み進んでいくうちに「永遠に生かす」とはどういう意味か、「滅ぼす」とは何を持って滅ぼすというのか・・・ということが気になりだしてきました。
読みながらあーでもない、こーでもないと考えていたのですが、ある時はっと思いついたんです。
それは上で考えていたのとはまったく別の視点の考えでした。
どんな考えかといいますと。
私はずっと「永遠に生かす」とは、「滅ぼす」とは、と考えていましたが、考えるべきはそれではないのではないかと思ったのです。

考えるべきは生かすとか滅ぼすとかの、その対象自体「佐保」とは何かということです。

「里人」でしょうか。
「佐保の土地」でしょうか。
「血脈」でしょうか。

・・・ここから先は上以上にこじつけ超解釈になりますのでご注意ください。

いろんな人によって、いろんな解釈があると思っています。
あくまでも私の個人的な思いつきですが、私はこれは「佐保という概念ではないかと思いました。
それはどういう概念か。
佐保はもともと人知を超えた力(神人の力)によって、他国から畏れ敬われてきました。
他国の人々は自分たちの無力さを受け入れ、佐保に対して決して刃を向けようとはせず、尊重してきました。
要はそれです。

<これまでの佐保がずっと担ってきたもの>
・人知を超えた力への畏れと敬い
⇒人が自分たちの力を過信して驕ることがないように戒めるための象徴的な存在
⇒カミ(宗教としての神ではなく抽象的で原始的なイメージ)

というわけです。
これをもとに「永遠に生かす」と「滅ぼす」を考えてみると、見えてくることがあります。

・佐保彦が「佐保(という概念)」を滅ぼす
⇒今までの佐保の古い考え方から脱して新しい佐保をつくる


もしかしたら、佐保の滅びの予言というのは、佐保彦が今までの佐保の古い考え方から脱して新しい佐保をつくるという、「(古い)佐保が滅びる」という意味なのかもしれません。
真秀が「佐保を永遠に生かす」というのは、それはあれだけ凄い霊力を持っていたら、確かに今までのように(古い時代からそうだったように)霊力をもって他を圧倒することもできたでしょう。
霊力を持たない佐保彦が、霊力を必要としない新しい佐保を作りあげてくれるように祈りながら、最終巻を読みたいと思います。
もし佐保彦が「神に頼らない新しい人の可能性」として生きるとするなら、真秀が「佐保を永遠に生かす」という予言は、「人知を超えたものへの畏れと敬いの心」を人々が永遠に忘れないようにする力を持っているということでしょう。
そういった意味で、「滅びる」ことと「永遠に生かす」ことは同時に達成することができる気がします。
実際この現代社会において、神に頼らずさまざまなことが人の手で行えるようになりました。
また、そんな社会においても「神」という存在は確かに人々の中で生き続けてもいます。

氷室さんがどういう気持ちを込めて「佐保を永遠に生かす子」と「佐保を滅ぼす子」という設定を作られたのか、最終巻で明らかにされるのでしょうか。

【余談】
あと読んでいて個人的に意外だったのが、そつ彦の小悪党ぶりがにくめないこと(笑)
葛城のそつ彦といえば、歴史上では以前ここで語っていた嫉妬深いことで有名な磐姫(いわのひめ)の父親にあたる人です。
記録上のそつ彦の時代は銀金の時代とは300年くらいずれていますが、おそらくモチーフとしてはこの人だろうと思います。(時代がずれるとはいっても、銀金の時代の葛城にそつ彦という名前の人物がいなかったとは言い切れません)
本文に「そつ彦」って出て来た時点でおおおおお!!となっていました。
にくめない(むしろ好きかもしれない)のは銀金とは関係ないところで愛着があるせいだと思います。

銀金は憎める人がいないんですよね。
ひばす姫も含めて、皆が生きることに手を抜かずに生きているという気がします。
泥水をすすってでも、心や体にどんな傷を負ってでも、血を流しながら必死にそして誇らかに「生」を叫んでいる印象です。
そういう意味では清廉潔白という人もいませんね。
皆どこか歪で暗いものを内包していながら、それに負けないくらい力強く生きています。
あたかも作者の氷室さんが魂を削って書いていらっしゃるのではないかというくらい、物語そのものから強烈なインパクトを受けました。

最終巻は、いったいどんな展開なのか。
心して読みます。