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日向神話~ニニギの婚姻~後編

続きです!
ニニギは一目惚れしたコノハナノサクヤ姫を口説いて、父親と会うことになりました!

(かれ)、(ニニギが)その父大山津見神に()ひに()りし時に、(父は)大きに歓喜(よろこ)びて、その姉石長(いはなが)比売(ひめ)()へ、百取(ももとり)(つくえ)(しろ)の物を(娘二人に)持たしめて、(まつ)()だしき。
(かれ)(しか)くして、その姉は(いと)凶醜(みにく)きに()りて、()(かしこ)みて(かへ)(おく)り、(ただ)にその(おと)木花之佐久夜毘売のみを(とど)めて、一宿(ひとよ)(あひ)()き。

大山津見「本当に喜ばしい!是非、姉のイワナガもいっしょに貰ってください」
イワナガ「よろしくお願いします」
ニニギ「(一目見て)
チェンジ
ニニギ様!男に二言は無いはずではないのですか!
いや、まだはっきり面倒見るとは言ってないからセーフなのか。(セーフとかいう問題か)
ニニギ「おれは、サクヤだけを生涯愛し抜くと決めている(ドヤ)
といったかどうかは分かりませんが、実はこのことがその後の子孫たち(天皇家)への大惨事を引き起こしてしまいます!

(しか)くして、大山津見神(は)、(ニニギが)石長比売を(かへ)ししに()りて、(おほ)きに恥ぢ、(まを)し送りて言ひしく、

()女二(むすめふたり)(とも)()(まつ)りし(ゆゑ)は、石長比売を使(つか)はば、(あま)(かみ)御子(みこ)(いのち)は、(ゆき)()(かぜ)()くとも、(つね)(いは)(ごと)くして、(ときは)(かちは)(うご)かず(いま)さむとうけひて、貢進(たてまつ)りき。()く、石長比売を返らしめて、独り木花之佐久夜毘売のみを留むるが(ゆゑ)に、天つ神御子の()寿(いのち)は、木の花のあまひのみ(いま)さむ」

といひき。

大山津見
「私が娘を二人とも奉ったのは、
イワナガ姫
・子孫は風雪もものともしない岩のように頑丈で長命な体を得る
コノハナノサクヤ姫
・子孫は木に花が咲くように豊かに繁栄する
という理由があったのです。イワナガ姫を娶らずにコノハナノサクヤ姫だけを妻に迎えるなら、あなたの子孫は木花が咲く間が短いように、儚い命となるでしょう

そういうことは早めに言ってあげた方が良かったと思うよ!(ツッコミ)
どうして始めに言っておかなかったのか気になるところですが、神話や昔話はたいてい大事なことを後にいうんですよね。
選択権が与えられないのは、やはり答え(結果)が先にあって、それを説明するために神話が作られたためでしょうか。
それにしても、古事記中巻の大国主といいここの大山津見といい、国津神は基本的には天津神を立てていても、裏切られると結構気軽に祟ったり呪ったりしますね!
ここの大山津見も、この台詞がニニギに裏切られたことによる意趣返しのための呪いの言葉とすれば、始めから言わなかった理由は、もともとはそんなつもりではなかったけど、ニニギを呪うためにあえてイワナガ姫を形代にしたと考えるとファンタジー的盛り上がりが生まれそうな気がします。(ご都合解釈)

(かれ)ここを(もち)て、今に至るまで、天皇命(すめらみこと)(たち)()(いのち)は、(なが)くあらぬぞ。

神話の〆の典型的台詞ですね!
神話は必ず今の状態があって、それを説明するために生み出されるわけであります。
だから〆は「だから今は~~となっているのでした」的な書き方です。
昔話と神話の違いでもあります。
昔話は今に繋がりません。
神話は今に繋がります。

ちなみに。
この神話は典型的な「バナナタイプ」と呼ばれる神話形式になっています。
「バナナタイプ」とは何かと申しますと、インドネシア~ニューギニアに掛けて分布している神話が名前の由来になっています。
<バナナ神話の内容>
・昔人間は神様が空からつるしてくれる様々なものを貰って生きていた。
・ある日神様が石をつるしてきた。
・人間は石の使い方が分らず、「もっと別のものをください」と神様に叫んだ。
・すると神様は代わりにバナナをつるしてくれた。
・人間は喜んでバナナを食べた。
・食べ終わったとき、神様の声がした。
・「お前たちはバナナを選んだから、お前たちの命はバナナのようになるだろう(※バナナは子を持つと親の木は死んでしまう)。もし石を選んでいたら、お前たちの命も石のように不変だったのに」
・こうして人間は寿命ができた。

という内容です。
この神話と日本の神話の違いは
・花と石の美醜の違いも対比されている
・寿命の起源が、人間全般ではなく天皇のみの起源となっている

特に二つ目が重要です。
人間全般の寿命はイザナキとイザナミの絶縁の台詞が由来ですが、天皇の寿命の起源は別に載せる必要があります。
なぜなら天皇は永遠不変の天津神が祖先だからです。
今の天皇には寿命があることをきちんと説明しなければならなかったので、ここであえて記述したのでしょう。
成長も死もある国津神と違い、天津神は最初から完璧で死もありません。
スサノヲや大国主が妻を得るのに苦労したのに比べて、ニニギがすんなり妻を得ることができた(むしろ相手に歓迎された)のも注目ポイントです。
また、大国主は正妻であるスセリビメとの間に子がありませんが、ニニギはなんと一晩の共寝で子を得ます!
ここもやはり国津神と天津神の違いでしょう。
しかし、この一晩で子を得たことが、ニニギとコノハナノサクヤ姫の間に一波乱巻き起こします。


さて、ニニギの結婚話はこれで終わりです。
次はコノハナノサクヤ姫の火中出産の話です!