Entry

日向神話~補足(火中出産とニニギの「疑い」について)~

さて、前の記事では最後の最後で著しく評判を落としたと思われるニニギ様と、同情を一身に集めたと思われるコノハナノサクヤ姫。
この二人について、このままではさすがにちょっと可哀相なので、少し補足させていただこうと思います。

<神話に火が登場することについて>

火を用いた出産を行った理由は、実に様々に解釈されています。
・産屋を浄化するため
・火による審判(ウケヒ)
・焼くことで新しい植物を誕生させる焼畑農耕の反映
・火の霊能による聖性保証

火と出産が関わる話は、古事記にはもう一つ有名なものがありますね。
思い浮かびますか?
そうです!
イザナミが火の神カグツチを出産した話です!
このときイザナミは火傷を負って死んでしまいますね。
一方サクヤ姫は無事に次の命を生みます。※ただ、サクヤ姫自身はこの後一切登場しないので、正確には彼女自身が無事かどうかは分からないのですが、赤子たちが無事なところを見ると、おそらく彼女も無事に生きて戻ったことと思います。
神話に火が登場することや、火そのものを神聖視することは、日本に限らず世界各地に見られます。
世界史をやっていた人なら一番に思い浮かぶのは「ゾロアスター教」ですよね。
善悪二元論で「アフラマズダ」という善い神様とそれに対立する「アーリマン」という悪魔が世界を支配しています。
中東地域を中心に古代から信仰を集めている宗教で、世界最古の一神教といわれたりもしますが、神様自体は経典の中にたくさん登場します。
光の象徴として「火」を尊んだことから別名「拝火教」とも呼ばれます。

<「疑う」ということについて>

サクヤ姫の不貞を疑うなんて酷い話だ、とか、そもそも妊娠が分かるまで少なくとも数ヶ月は掛かったはずなのに、それまで一晩しか共寝をしなかったのかよ、とかいろいろツッコミたいところはありますね。
サクヤ姫がどの段階でニニギに妊娠の報告に来たのかははっきりとは分かりませんが、二人が会話した直後に「即ち」と書いたあることからもしかしたら生まれる直前に来たのかもしれません。
そうすると、ニニギは十月十日の間サクヤ姫を放っておいたことになります。
釣った魚に餌はやらないタイプなのかニニギ様。(;一_一)
一目惚れしたくせに随分冷たい。
そんなに会っていなかったら確かに疑ってしまうのかもしれませんが、もしかしたら放っておいたことに対する罪悪感の裏返しとも捉えられるかもしれませんね・・・なんて、私の評価はいいとして。
実は、古事記全体を見てみると、神様たちはニニギに限らず結構「疑う」という行為を行っています。
まずイザナキが黄泉国の殿の前で。
次にアマテラスがスサノヲの昇天の鳴動に驚いて。
アマテラスはさらに天の岩屋戸の中でも「怪し」と思っていますね。
そしてスサノヲがヲロチの尾から大刀を得たときも「怪しと思ひ」と書かれています。
「怪し」の定義はちょっと難しいですが、探せば他にもたくさん似たような行為を行う神様や場面が出てきます。
「疑う」という行為は、古事記においては物語を動かすための一つのキーワードなのかもしれません。


うーん、あんまりフォローにはなってないかもしれませんね。
やっぱり疑っては駄目だよニニギ様!
願わくば、このことでニニギ様は自分の浅はかさと狭量を深く深~く反省して、その後二度とサクヤ姫を疑うことなく二人で仲良く幸せに暮らしてくれていますように!