Entry

海幸彦と山幸彦への評価いろいろ

先日図書館に行ったときに絵本を見つけました!

左下の「うみひこ やまひこ」が海幸彦と山幸彦の話が載っている本です。
ご存知のお方も多いでしょう。

さて、この記事で何を書こうとしているかということをまず始めに書いておきます。
現在「海幸彦と山幸彦」の記事を書かせて頂いているわけですが、それに対して「絵本で読んで山幸彦(ホヲリ)に同情してましたが、海幸彦(ホデリ)に感情移入する意見が珍しかったです」というコメントを複数いただきましたので、せっかくならそれについてもう少しいろいろ書いてみようかというのが狙いです!

「海幸彦と山幸彦への評価いろいろ」

と題しまして、いろんな学者先生の書かれていることをご紹介しようという企画です。
しかし、これらの学者先生方が書かれているのはあくまでも「古事記の海幸彦と山幸彦」です。
「絵本のうみひことやまひこ」ではありません。(当たり前ですね)
絵本は絵本の読者を想定しています。
それゆえ、古事記での評価を読んで「なーんだ、本当はやまひこは○○だったのか」とか「うみひこって~~~なやつだったんだ」などとは、どうか思わないでください。
絵本は絵本の伝えたいことがあるのです。
絵本では、いじわるをすると罰が当たるのだとか、いろいろあってもお互い許しあって仲良く暮らすのがいいのだということを教えてくれます。
それが絵本「うみひこ やまひこ」の正しい姿です。
確かに古事記に題材をとっていますが、古事記とは違う物語として、「うみひこ やまひこ」を楽しんでほしいと思います。

さて、これだけ書けば十分ですね。
それでは早速海幸彦と山幸彦へのいろいろな学者さんたちの意見を見てみましょう。



<三浦佑之さん>
ここでは、狩猟・漁労のための道具をサチといっているが、山や海で獲った獲物もサチという。
道具と獲物とが一体化しているわけだが、それが道具を使う者とも一体化しているということは、ヤマサチビコ(山幸彦)・ウミサチビコ(海幸彦)という彼らの名前からも知られる(猟夫=サツヲのサツも同じ)。
だからこそ、兄は道具の交換に応じようとはしないのである。
この場面、子ども向けの絵本などでは、意地悪な兄を語るのに欠かせないが、兄の行為は、サチに対する古代的な観念からいえば、それほど不当で意地悪な要求とばかりはいえないのである。
古事記の文脈に収められると、絵本と同じく、兄の要求は不当なもののようにもみえるし、民間伝承における兄と弟との関係からみても、意地悪な兄という印象が払拭できないのは確かだが、別の見方をすれば、身勝手な弟に振り回されるかわいそうな兄の物語というふうにも読める。
(略)
異界での滞在期間を三年と語る例は多い。(略)
それにしても、ホヲリは、兄の釣り針のことをすっかり忘れて三年間も結婚生活をおくるということからいえば、けっこういい加減な男である。





<山田永さん>
「ウミサチ・ヤマサチ」あるいは「海彦・山彦」のお話として有名です。
(略)けれども、もとの古事記の中に戻して読むと、およそ子供向けとはいえないことがわかります。
主人公のホヲリは天つ神だから、王権と結びつく内容なのです。(略)
(略)注意したいのは、兄ホデリの態度です。
とても意地悪なようにみえます。
オホアナムヂと八十神の対立という例もあり、どうも現代人の頭には「意地悪な兄と心やさしい弟」という構図ができあがっているのかもしれません。
けれども、はたしてそうでしょうか?
道具は交換すべきではないというのは正論です(二人とも失敗という結果を見てもそれは明らか)。
もとの自分のサチ(道具)でないとサチ(獲物)は得られないというのもわかりきったことです。
弟をいじめようとしているわけではありません。
「もとの釣り針を返せ」という要求も当然なのです。
これは、三浦佑之氏も力説している(と私には思える)通りです。
(略)
竹取物語のかくや姫は、地球という異界にきて天皇と心を通わせるまでになります。
この時期が最も幸せなのに「三年ばかりありて」、月をながめ大きく「(なげ)く」のです。
浦島太郎のお話はすでに八世紀の丹後国風土記(逸文)にあります。
やはり海という異界を訪れてそこのお姫様と結婚した主人公は、楽しい結婚生活を送っていたはずです。
ところが「三歳(みとせ)ほど」経過すると、悲しみの気持ちが起こり「嗟歎(なげき)」が日々増したとあります。
異界訪問譚は、どんな幸福の絶頂の時でも、三年たったら嘆くというのがパターンだったのでしょう。
すると、ホヲリを「釣り針のことを忘れ三年間ノホホンとしていたいい加減な奴」ときめつけるのはかわいそうな気もしてきます。





<西郷信綱さん>
高天の原から降ってきたホノニニギはヤマツミの娘と婚し、その子ホヲリはワタツミの娘と婚する。
しかもそれが海幸・山幸の話となって展開するのは、なかなか巧な語り口である。
だが、その下地になっている神話的観念を見のがすべきでない。
山の神と海の神とは、国つ神として互いに眷属であったのだ。
(略)大山積神社は山の神(略)だが、同時にそれは漁人のまつる神として聞こえている。
(略)筑前志加海神社(略)は文字どおり海の神だが、そこでいちばん大事とされているのは山の神の祭りである。
これらは、山の神と海の神の親近性を物語るものである。
(略)いうなれば山と海は一続きの大地であり、そしてヤマツミとワタツミはともに水の神として農と漁猟を守護するものであった。(略)
何れにせよ山と海とは単純に対立しない。
山幸彦・海幸彦の話にしても兄弟間の争いである。
この説話から天孫族は狩人、隼人族は漁人であったというような解釈を引き出したりするのは、神話と歴史を短絡させたことになろう。




<森浩一さん>
日本列島各地の海岸に面した遺跡(漁村とか海村といわれる)を発掘すると、貝殻や魚骨などの海の獲物に加え、鹿や猪さらに鳥などの山の獲物の骨が共存していることがよくある。
もっともこれらの鳥獣も、必ずしも山の獲物とは言い切れず、交換でもたらされたり、海岸近くで捕れる場合もあるだろう。
古典には、しばしば鹿が海を泳いで渡る話があるし、海岸に面した遺跡にも石鏃などの狩猟具がのこされていることはむしろ普通といってよい。
だが逆に、山間盆地の遺跡では、ごく少量の交易でもたらされたと推定される海の獲物は別にすると、大部分が山の獲物の骨を残していて、地形を異にする二種類の遺跡を仮に海幸的・山幸的と対比した場合、海幸的な集落のほうが生産手段に多様性があるような印象を受ける。
だから、この神話において、山幸彦のほうが大きな失敗(道具を無くす)をしたということになっているのは、遺跡の示すところと矛盾してはいない。




いかがでしたでしょうか。
それぞれの学者先生の専門は違っていますが、それぞれの立場からとても興味深い話を書いておられると思います。
何度も書きますが、どの説が正しいとか、間違っているとか、そういう判断はここでは行いません。
むしろいろんな説があることを知り、楽しみたいというのが一番の狙いです。
皆様それぞれにご自分のお考えが様々あると思いますが、それしかないと思い込んで他の論を排除してしまうことほど残念でつまらないことは無いと私は思っています。
私自身まだまだ自分の考えに引きずられたり一直線になってしまったりすることが多々ありますので、できるかぎり様々な人たちの意見を聞いて偏りを少しでもなくせるようにしていきたいと願っています。
どんな小さなことや、つまらなそうなことでもかまいませんので、お気づきのことがございましたらお気軽に声をかけてやってください。

さて、それでは次回は綿津見の宮訪問の後編です!
新婚三年目にしてついにホヲリが思い出した!?
山「しまった。すっかり忘れてたけど、おれは兄さんを怒らせてたんだった!」