日向神話~山幸彦の綿津見の宮訪問~後編
- 2012/06/28 23:29
- Category: 趣味>古事記
※書き終えました※拍手コメントへのお返事はこの下の記事にあります。
続きです!
三年経って、やっと綿津見の宮へ来た目的を思い出したホヲリ(山幸彦)さん。
山「そうだ!釣り針を無くして兄さんを怒らせてたんだったよ!三年も経っちゃった・・・もう絶対見つからないよ。どうしよう・・・(泣)」
ここに、
火袁理 命、その初めの事を思ひて、大 きに一 たび歎 きき。故 、豊玉 毘売 命、その歎 きを聞きて、その父に白 して言ひしく、
「三 年 住めども、恒 は歎 くこと無きに、今夜 大 き一つの歎 きをしつ。もし何の由 かある」
といひき。故 、その父の大神、その婿 を問ひて曰 ひしく、
「今朝、我が女 が語るを聞くに、云 ひしく『三 年 坐 せども、恒 は歎 くこと無きに、今夜 大 き歎 きしつ。』といひき。もし由 ありや。また、ここに到れる由 はいかに」
といひき。爾 くして、(ホヲリが)その大神に語ること、つぶさにその兄 の失せたる鉤 を罰 りし状 のごとし。
最後の一文が少し意味が取りづらいかもしれないので、語注を補っておきます。
つぶさに・・・ありのままに
海神「婿殿よ、なぜそんなに嘆いているのか。娘も心配しておる」
山「実は・・・(かくかくしかじか)・・・というわけなんです。うぅ(泣)」
やっと釣り針のことを思い出したホヲリさん。
海神に事情を説明しています。
海神の台詞に「今朝娘が『この三年間いつも元気だったのに、今夜は大きなため息をしていたのです』ということだったが・・・」とあります。
今朝の娘が今夜の事を言うってどういうことだ?と疑問に思われた方もいらっしゃるでしょう。
実は古代においては、一日は日没から始まると考えられていたようなのです。
なので、現代の感覚で訳せば、ホヲリがため息をついていたのは『昨夜』のことということになります。
ちなみに、嘆き(歎き)の語源は「長(なが)」+「息(いき)」といわれています。
「はぁ」とため息をつくような感覚だと思われます。
さて、婿の嘆きの理由を聞いた海神は・・・。
ここを
以 て、海の神、悉 く大き小さき魚 を召し集め、問ひて曰 ひしく、
「もしこの鉤 を取れる魚 ありや」
といひき。故 、諸 の魚 が白 ししく、
「頃 は、鯛、『喉 にのぎたちて(魚の骨が刺さって)、物を食ふこと得ず』と愁 へ言 へたり。故 、必ずこれを取りつらむ」
とまをしき。
ここに、鯛の喉 を探れば鉤 あり。(略)
山「あったあああああああああああ!!!」
なんと探していた釣り針は鯛の喉に引っかかっていたようです。
鯛は三年もものが食べられずに災難でしたね。
それにしてもホヲリは初めての釣りで鯛を釣り上げるところだったのかと思うと、かなりすごいことですね。
ここでも語源の話を一つ。
「喉」は今では「ノド」と発音しますが、これはもともと古代語の「ノミト」が縮まった言葉といわれています。
「ノミト」とは「飲み戸」のことで、戸は入り口を意味するので「飲みこむ入り口」という意味なのだそうです。
では続き。
見つかった釣り針をお兄ちゃんに返したら一件落着だね!という話しかと思ったら・・・
綿 津 見 大神の(ホヲリに)教へて曰 はく、
「この鉤 を以 てその兄 に給 はむ時に言はむ状 は、『この鉤 は、おぼ鉤・すす鉤・貧 鉤・うる鉤』と云ひて、後 へ手 に賜 へ。然 くして、その兄 高 田 を作らば、汝 が命 は下 田 を営 れ。その兄下田を作らば、汝が命は高田を営れ。
然せば、吾、水を掌るが故に、三年の間、必ずその兄、貧しくあらむ。
もしその然 する事を恨みて攻め戦 はば、塩盈 珠 を出 だして溺 せよ。もしそれ愁 へ請 はば、塩乾珠 を出 だして活 けよ。
かく悩み苦しびしめよ」
と、云 ひて、塩盈珠・塩乾珠を併せて両箇 授けて、
長いので一旦区切りました。
海神は婿のためになにやら怪しげな策を教えています。
海神「婿殿よ、この釣り針を兄に返す時に『この針はぼんやり針・すさんだ針・貧しい針・愚かな針』と言って『背を向けて』お渡しなさい。そして、兄が高いところに田を作ったら、婿殿は低いところに田を作りなさい。兄が低いところに田を作ったら、婿殿は高いところに田を作りなさい。そうすれば私は水を操ることができるので、兄は三年で貧しくなるでしょう」
前半は呪いの言葉です。
言葉の力が今よりも重視されていたこの時代において、しかも神から授かった言葉を使うわけですから、効果は絶大でしょう。
後半は田の作るところの指示をしています。
海神が操るのは海水だけではないのです。
水そのものを操る力があるので、田の作るところを指示して、ホヲリの田に水を優先的に引いてやろうというわけです。
このエピソードは、私が読んだ絵本では「兄が釣り針を返しても意地悪をするようなら」という前提で話していましたが、少なくとも古事記ではそういうことは言っていません。
最初から兄に報復をすることを前提としてホヲリは陸へ帰るのです。
海神は兄の仕打ちがよほど酷いと思ったのか、持てる力を全て使って懲らしめてやろうとしているようです。
さらに海神はホヲリに「
その名の通り塩の満ち引きを操る珠です。
貧しくさせられた兄がそれを恨んで戦を仕掛けてきたら、これで溺れさせてしまうというわけです。
海幸彦はもともと海の幸を獲って生活していたのだから、溺れてしまうというのは違和感がしますが、始めの釣り針の呪いで泳ぎ方を忘れるほど「愚か」になってしまったということかもしれません。
何はともあれ、兄への報復準備を二重三重に整えました。
来るときはシホツチの神が用意してくれた「隙間なく竹を編んだカゴ」に乗ってやってきましたが、さて帰りはというと・・・。
即 ち悉 くワニを召し集め、問ひて曰 ひしく、
「今、天 津日 高 の御子 、虚空津日 高 、上 つ国に出幸 さむとす。誰 か幾日 に送り奉りて覆 奏 さむ」
といひき。故 、各 己 が身の尋長 の随 に、日を限りて白 す中に、一尋 ワニが白 ししく、
「僕 は、一日 に送りて即ち還 り来む」
とまをしき。故爾 くして、その一尋 ワニに(海の神は)告 らさく、
「然 らば、汝 、送り奉れ。もし海中 を渡らむ時には、(ホヲリが)おそり畏 らしむることなかれ」
とのらして、即ちそのワニの頸 に乗せて送り出だしき。故 、期 りしがごとく、一日 の内に送り奉りき。
そのワニ返らむとせし時に、佩 ける紐 小刀 を解きて、その頸につけて返しき。
故、その一尋ワニは、今に佐比 持神 といふ。
海神「天津神の御子が陸へお帰りになる。おまえたちは何日で送り届けて戻ってこられるか」
(魚たちは身の丈の大きさによって送り届けられる日が違うのだ!)
一尋ワニ「私ならば、一尋(ひとひろ)ですから、一日(ひとひ)で往復できます」
海神「それならばお前がお送りいたせ。だが、(あんまり早く泳ぎすぎて)御子を恐がらせないようにな」
陸と綿津見の宮はどのくらい隔たっているのでしょうか。
来るときは(省略してしまいましたが)、潮の流れに乗って来ました。
それを考えると、帰りは潮の流れに逆らうことになるはずなので、ワニのような力のある魚でなければ送り届けられないのかもしれませんね。
<ワニの正体について>
長くなりすぎたので、記事を分けました。
この次の記事に書いています。
ホヲリを送り届けたワニはホヲリから紐のついた小刀を頸にかけて貰って「
「サヒ」とは刀のことで、このワニは刀持ちの神様となったのです。
この話も、稲羽のシロウサギ神話やヤマタノヲロチ神話など、神話にありがちな起源譚で締めくくられています。
次は陸に戻って兄弟対決です。