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日向神話こぼれ話~隼人と隼人舞~

海幸彦(ホデリ)の子孫とされている隼人(阿多隼人)と隼人舞について、いろいろな方のご意見を載せてみました。

<山田永さん>
隼人は海洋民族です。
ホデリはウミサチビコなのです。
ということは、泳ぎは得意なはずです。
それなのに溺れさせられたのは、ホデリにとって屈辱的なことでしょう。
ならば、その仕草を隼人がずっと「今(古事記成立当時)」に伝えるのはなぜでしょうか?
自分の得意業を前面に出すことが自己アピールにつながります。
ところが、隼人はまるで逆の事を考えたのでしょうか。
得意分野での失敗(溺れること)を演じ続けるのです。
私は以下のように考えます。
この話は明らかに、ホデリがホヲリに降伏した場面です。
隼人が長い間朝廷に屈しなかったという歴史的事実はともかくとして、隼人が皇室に対して行う大事なことは、「祖先神ホデリがそうしたように服従し奉仕します」と示すことなのです。
隼人の仕事は、天皇が溺れた時に得意の泳ぎで助けることではありません。
だから、自分の得意業ではなく、滑稽さを示すことでアピールしたのではないでしょうか。
サルタビコの条でお話したように、これはやはり滑稽な所作なのです。
海洋民族なのに溺れるといういわば弱点を相手に示すことは、「敵意は全くありません。誠心誠意あなた様にお仕えします」ということの表れだと思うのです。


<三浦佑之さん>
隼人が服属儀礼として天皇の前で演じる舞は「隼人舞」と呼ばれて宮中に伝えられていた。
隼人に限らず、服属した一族は、定期的に大君(天皇)の前で服属のいわれを語ったり演じたり、贄を献上したりすることによって、服属の誓いを再確認しなければならない。
それが服属儀礼である。
隼人の服属は比較的新しかったのではないかとみられており、七世紀後半の天武天皇の時代あたりから、こうした儀礼が行われ、天皇の行幸の際には犬の遠吠えをしたりして仕えたということが記録に残されている。



<西郷信綱さん>
この神話は隼人が宮廷守護の役につくに至った因縁をいったものだが、その中身が問題である。(略)
日本書紀一書に「汝に事へまつりて奴僕(ヤッコ)と為らむ」とあるごとく、それは実は下僕の役に任ずることであった。
同じ一書にまた次のようにある、「火酢芹命の苗裔(ノチ)、諸の隼人等、今に至るまで天皇の宮墻(ミカキ)(モト)を離れずして、(ヨヨ)吠ゆる(イヌ)して奉事(ツカヘマツ)る者なり」と。
これを「狗人(イヌヒト)」ともいう。(略)
大伴氏ひきいる親衛隊が武人であるとすれば、隼人は番犬に近い。
そして元旦即位とか大嘗祭とかにさいしては応天門で、また行幸の駕が国界や山川道路の曲り角に来た時など、隼人はこの吠声を発した。
それが印象的なものであったことは、万葉に「隼人の、名に負ふ夜声、いちしろく」とあるによっても分る。
おそらくその異様な声が悪霊を払う呪力をもつとされていたのだろう。
だがむろん、隼人は奴隷とは範疇を異にする。
隼人の祖のホデリ(日本書紀ではホスセリ)はホノニニギの子であり、ホヲリの兄とされているが、奴隷がこのように系譜づけられるはずがない。
雄略天皇の葬りにさいし、「隼人、昼夜陵の側に哀号(オラ)ぶ。食を与へども食はず。七日にして死ぬ」という記事があり、(略)これは隼人が文字どおり天皇のヤッコ(家つ子)であった消息を語っている。(略)
神話は現実の制度や習俗や信仰の由ってくるところを起源的に説明しようとする働きをもつ、とよくいわれる。
これをしかしたんに因果的と解してはならぬ。
その関心はかつてあったことにではなく、むしろある諸関係に向けられる。
というのも、ある諸関係はそれぞれイハレがあったからで、つまりそのイハレが神話なのだ。
古事記じたい、それはある王権という秩序を、神代以来の不易なもの語ろうとするものである。
ここで隼人の服属を「今に至る云々」というのも、その関心はに向けられていたはずである。
奈良朝にも隼人が氾濫して大隅国国司を殺すというような事件が起きている。(略)
そういう隼人の服従のイハレが神代にあり、しかもその祖ホデリ(またはホスセリ)は皇孫ホヲリの兄弟に他ならぬゆえんを語ったのがこの海幸・山幸あるいは海宮訪問の話である。
しかし、隼人舞がそもそも「その溺れ苦しびし状」をまねて作られたものかどうかは疑問である。
(略)フンドシ姿になり、掌や顔に赤土を塗ったのを、日本書紀では「吾、身を汚すこと此の如し」としているが、これは踊りのための変身を、かく解釈したまでであろう。
以下、「初め潮、足に漬く時には、足占をす。膝に至る時には足を挙ぐ。股に至る時には走り廻る。腰に至る時には腰を捫ふ。(以下略)」は、この踊りがきわめて道化たものであることを示しているが、これも特定の国ぶり踊りをかく解釈し、かく解釈することによってそのしぐさが溺れるさまを現にまねたものであるかのように固定していったものと思われる。
何れにせよ、これが宮廷に対する隼人の服従のしるしであることは間違いない。
服従には何かのしるしが必要であった。
隼人の場合それは、天皇の代替わりごとの大嘗祭で隼人舞を奏するという形で表現されたのである。
そしてそれは王と道化の関係として祭式化されているといえる。

なお、(略)いわゆる天孫降臨が偏狭の南九州の地になされたのは、少なくともそこに隼人が蟠踞していたことと無関係でないとする私の持論は、天皇が誕生する大嘗祭という儀式の場で、隼人服従のしるしであるこの隼人舞が演じられることを一つの根拠としていることをいっておく。


ちょっと西郷さんだけ長すぎましたでしょうか。
これでもかなり省略しています。
本文はかなり詳細に説明されておりますので、よろしければ「古事記注釈第四巻」をご参照ください!

それでは、次はトヨタマ姫の出産話です!