Entry

ヤマタノヲロチ神話!その三半(古事記のちょっとイイ話再び)

前の記事の補足です。

<スサノヲの名乗りの不自然な点>

スサノヲがクシナダに妻問いをする場面を思い出してみてください。
足名椎に名前を尋ねられて答えているのですが、ちょっとおかしいということに気付いた方はいらっしゃったでしょうか?

須「娘を嫁にくれ」
足「あなたの名前を知りませんが」
須「アマテラスの弟だ」
足「分かりました、娘を差し上げます」


もうお気付きになりましたね。
そうです。
スサノヲは名前を尋ねられたのに、自分を「スサノヲだ」とは名乗っていません。
スサノヲは自らを「アマテラスの弟」と名乗り、足名椎と手名椎は「アマテラスの弟」に娘を差し出したのです。
これは実はとても重要なことです。
なぜなら、この後スサノヲが行うことはすべて「アマテラスの弟」として行うことになるからです。
つまり、ヤマタノヲロチを退治するのも、須賀の地で宮を作るのも、すべてアマテラスの弟としての行動です。
アマテラスの弟、つまりはアマテラスの意思を体現する者としての役割を、あのときの名乗りは宣言しているといえるのです。
そもそも葦原中国は、アマテラスの領分です。
なぜなら、アマテラスが天の岩屋戸に篭ってしまった時に、高天原とともに葦原中国も光が届かなくなってしまったと書かれているからです。(天の岩屋戸神話を語ったときに詳細を書いていますので、よろしければご参照ください)
葦原中国の光はアマテラスによってもたらされているのです。
そしてアマテラスの意志を体現するスサノヲが、出雲国を整えています。
だからアマテラスは自分の子孫が葦原中国を治めるのが正当だ、と主張して、有名な出雲神話最後の物語である「国譲り神話」、そして日向神話の幕開けとなる「天孫降臨神話」へと繋がっていくわけです。


<クシナダヒメの別名とそこから運命付けられていたこと>

クシナダヒメという名前はスサノヲに「櫛」に変えられたことに由来しているという説が一般的ですが、実は彼女には「クシナダヒメ」の他にもう一つの名前があるのをご存知でしょうか。
その名前は「イナダヒメ」といいます。
稲田比売とも奇稲田媛とも書きますが、つまりは水田の神様ということです。
実は出雲においては、クシナダヒメはこの「稲田比売」の名前で祭られているところが多いのです。(実は私は神話にハマり始めた当初、「クシナダ」と「イナダ」が同じとは気付かず別の神様かと思っていました。恥ずかしい・・・)
クシナダヒメが水田を守護する神様というのは大変重要です。
この事実からスサノヲとの運命的なつながりを見ることが出来るのです。
私はこのヤマタノヲロチ神話を書くにあたって、前の神話は高天原でスサノヲが追放された話ですと書いていますが、実はその間に小さな挿入神話があります。
その神話の概要を書きます。

高天原を追放された直後、出雲国に降り立つ前の話。
スサノヲはオホゲツヒメに食べ物を求めました。
オホゲツヒメは自分の鼻や口や尻からさまざまな食材を取り出し、それらを調理してスサノヲに奉りました。
スサノヲはオホゲツヒメが食材を取り出すところを覗き見て、オホゲツヒメが汚いものを差し出したと思って、オホゲツヒメを殺してしまいました。
するとオホゲツヒメの死体から以下のものが生まれました。
頭からは蚕。
両目からは稲種
両耳からは粟。
鼻からは小豆。
女陰からは麦。
尻からは大豆。
神産巣日御祖命(かむむすひのみおやのみこと)はこれらをスサノヲに与えました


カムムスヒに関してはここでは深くは触れません。
とてもエライ神様だと思っておいてください。
大事なのは太文字の部分。
スサノヲは出雲に降る前に稲種を与えられています。
それゆえ、水田を司るイナダヒメとそれに植えられる種を与えられたスサノヲが結ばれるのはとても理にかなっていると思いませんか?
下ネタじゃないですよ。
この説明は山田永さんの『「作品」としてよむ古事記講義』に詳しく出ていますので、気になる方はぜひご参照ください。
いわゆる「五穀の起源」といわれるこの神話は、前後の文章との脈絡が非常に乏しいため、後になって挿入された神話だろうとよくいわれています。
しかし、ではなぜここにわざわざ挿入されたのかというところまで言及している人はそう多くないようです。
そんな中で山田永さんのこの説明はとても分かりやすく、また面白いと思いましたのでご紹介させていただきました。
水田を司るという性格もあわせ持つクシナダヒメ、それに植える稲種を与えられたスサノヲ。
二人の架けハシとなるのは河上から流れてきた「箸」。
古事記はスサノヲとクシナダの運命的出会いを演出する伏線をこれでもかというほど仕掛けています!
作者は全力でスサノヲとクシナダをくっつけようとしているわけです!
ここまで取り揃えられていたらもう結婚する以外の運命は考えられないですね!(萌ッ)


<草なぎの大刀の名前の由来>

草なぎの大刀という名前はそのまま「草を薙ぐ刀」という意味です。
ご存知のお方も多いことでしょう。
ヤマトタケル命が草原で火に囲まれたとき、自分の周りの草をこの刀で薙いで難を凌いだことが名前の由来です。
しかしその神話は古事記中巻に載っています。
この古事記上巻よりもずっと後の話なのです。
それゆえ、ここではまだ「草なぎ」という名前にはなっていないはずなのです。
日本書紀では、この刀は本は「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」という名前であったことと、ヤマトタケル命によって改めて「草薙剣」と名づけられたことが書かれています。
では、古事記ではどうして、後の名前である「草なぎの大刀」が出てきているのでしょうか。
これについてもいろいろな説がありますが、西郷信綱さんは以下のように述べています。

クサナギとは後の名をまえに回したもので、いうなればこれはクサナギノツルギの縁起譚である。(略)いわゆる三種の神器の一つに、ここに語られているごとき由来をもつ剣が加えられているのには意味があるはずだ。呪物が呪物でありうるのは、その由緒によってである。この剣の独自な意味も、その出自がかくして他でもない「出雲」に、つまり葦原中国にあるのによるのではなかろうか。

つまり、ヤマタノヲロチ神話は単なるスサノヲとクシナダの馴れ初めの話ではなく、三種の神器の一つ「草なぎの大刀」はこんなに特別な由来がある、だからそれを代々継承している天皇は特別なのだ、という結論を言いたいのです。
私は天皇賛美者でも右翼的思想の人間でもありませんが、こんなことを何度も書くのは、実はこれが古事記を読む上でとても大事な視点だからです。
古事記は単なる物語を書いているのではありません。
それを読んだ人に「天皇が日本を治めるのは正しいんだ」と思ってもらうために書いているのです。
ただ、古事記はとても昔の書物で、今の私たちにはどうしてもそのままでは読み取れなかったりつじつまが合わないように見えてしまう箇所がたくさんあります。
そういう時に、それを正しく解釈するためには、古事記の大前提を頭に置いておくことがとても大事なのです。
なお、もちろん私たちが実際にそれに同調する必要はありません。
いうなれば国語の授業でよく出てきた「作者の意見」というやつです。
問題を解く場合にはとても重要なものでした。


さて、余計な話を長々と書いてしまいました。
ようやく次が最終回。
ヤマタノヲロチ退治の後日談です。

ヤマタノヲロチ神話!その三~スサノヲとクシナダの結婚とヲロチ退治~

続きです!
スサノヲのトンデモ発言にご注目!
恐ろしい化け物ヤマタノヲロチの話を聞いたスサノヲの反応は・・・。

(しか)くして、(はや)須佐之男命(すさのをのみこと)、その老夫(おきな)(のりたま)ひしく、
「この、汝が(むすめ)は、(あれ)(たてまつ)らむや」
とのりたまひき。

須「娘を嫁にくれ(突然)」
足「!?」


ちょwww
この場面でいきなり妻問いて!
ちょっと今の感覚では驚きますよね。
普通のヒーローは化け物を倒した後にお姫様と結ばれるのが定石。
百歩譲って「退治したら、娘をくれ」という約束をするのならまだわかりますが、ここでは「今嫁にくれ」と言っています。
退治する前に嫁に求めるなんて、もしやスサノヲはクシナダにいきなり一目惚れでもしたのでしょうか?
それはそれで個人的には大変萌えるのですが、残念ながらそうではありません。
これにはスサノヲなりの深いわけがあるのです。
とりあえず、続きを見てみましょう。
いきなり娘を嫁にくれと言われた父足名椎の反応は?

答へて(まを)ししく、
(かしこ)し。また、御名(みな)(さと)らず
とまをしき。

足「恐れ多いお申し出ですが、私はまだあなたの名前も知りません

足名椎はとても丁寧に返していますが、要は「名前も知らない男に娘はやれん」と言っているわけです。
まあ当然の反応ですよね。
それに対してスサノヲは?

爾くして、答へて詔ひしく、
「吾は、天照大御神のいろせぞ。(かれ)、今(あめ)より(くだ)()しぬ」
とのりたまひき。爾くして、足名椎・手名椎の神の白ししく、
(しか)(いま)さば、恐し。()(まつ)らむ
とまをしき。

須「私は天照大御神の弟だ。今高天原から降ってきたところなのだ」
足・手「それならば何と恐れ多いことでしょう!(娘のクシナダを)差し上げます」


スサノヲの身分がはっきりしたことで両親は納得して娘を嫁に差し出しました。
クシナダの気持ちが語られていませんが、基本的にこの時代は両親の許可=結婚の許可ですので、ご了承くださいませ。
でも、古事記神話の中にはこれとは対照的に、自ら夫を選んでいる女性もいます。
それは因幡の素兎神話に出てくる「()(かみ)比売」です。
彼女はオホナムチと他のたくさんの彼の兄たちがいる前で、毅然と言い放ちます。
(あれ)は、(いまし)()(こと)()かじ。大穴牟遅神(おほあなむちのかみ)()はむ
痺れるほど格好いいですね!
ここから彼女はただのお姫様ではなく、因幡の民を率いる立場にある人だったのではないかという推測をしている人もいました。
なかなか面白い解釈です。

また余計な話をしてしまいました。
続きをみてみましょう。

(しか)くして、(はや)須佐之男命(すさのをのみこと)(すなは)ち、
()爪櫛(つまぐし)にその童女(をとめ)を取り()して、()(みづら)に刺して、
その足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)の神に()らししく、
汝等(なむちら)
()(しほ)(をり)の酒を()み、
また(かき)を作り(めぐ)らし、
その垣に()つの(かど)を作り、
門ごとに()つのさずきを()ひ、
そのさずきごとに酒船(さかぶね)を置きて、
船ごとにその八塩折の酒を盛りて、
待て」
とのらしき。

さあ、ここからがスサノヲの知恵の見せ所です。
スサノヲが作戦で準備したことにの番号を振ってみました。
順に書き出してみます。
①クシナダを櫛に変えて、みずらに刺す(斎爪櫛とは爪の形をした神聖な櫛という意味です)
()(しほ)(をり)の酒(何度も醸造した強い酒)を作る
③垣根を作って取り囲む
④垣根に八つの入り口を作る
⑤入り口ごとにさずき(酒を入れる容器を置くための棚)を置く
⑥さずきごとに酒船(酒を入れる容器)を置く
⑦⑥の容器に②で作った強い酒を入れる
⑧あとは待つだけ

は繋がっていて、ひとつのものです。
ヲロチを柵の中に誘い込み、強い酒で酔っ払わせてしまおうという狙いです。
では、は一体どういう意味があるのでしょうか?
実はこれが「スサノヲなりの深いわけ」に関係があるのです。
古事記神話には、いくつかの独特なルールがあります。
そのうちの一つがこの間書いた「泣くと神が現れる」というものです。
そしてこれがもうひとつのルール「大きな物事をなすためには、女と男の両方の力が必要」というものなのです。
「女」と「男」どちらの存在が欠けてもうまくいきません。
古事記神話の始めの方の物語を思い出してみてください。
イザナキとイザナミは二人で国造りをしていました。
しかしイザナミの死がきっかけで、それは頓挫してしまいます。
イザナキが黄泉の国でイザナミに「吾と汝と作れる国、未だ作り終らず。故、還るべし」と言っていることから、イザナキ一人では国造りは出来ないのだということが読み取れますね。
またこの後のオホナムチが主人公となる神話でもスサノヲの試練に相対する前に、スセリビメと結婚しています。
彼女もオホナムチがスサノヲの試練を乗り越えるために重要な役割を果たします。
学者の方々はこのルールに「ヒメヒコ制」という名前をつけています。
スサノヲがクシナダを櫛に変えて身につけたのは、クシナダの「ヒメ(女)」としての力を得るためなのです。
もしクシナダの力が必要なければどこか安全な場所に避難させてもいいはずです。
それをあえて自分のそばにおいているのは、それが必要なことだったからなんです。
クシナダとの結婚も、ヤマタノヲロチを退治するための作戦のひとつだったわけですね。
ちなみに当時の人々にとって「櫛」は毎日髪をくしけずる物なので、「箸」と同じく感染呪術の力を持つ特別な道具でした。
また、「クシ」という音は「奇」の音にも通じます。
これも「ハシ」と同じく、文字文化以前の「同じ音を持つコトバは意味を超えて響きあう」という思想があるので、まさにこれから大きな困難に立ち向かうためには打ってつけのものだったのです。

さあ!これで準備万端整いましたよ。
いざ、ヤマタノヲロチ退治!

(かれ)、(略)かく(まう)け備へて待つ時に、その()(また)のをろち、(まこと)(こと)の如く来て、(すなは)ち船ごとに(おの)(かしら)を垂れ入れ、その酒を飲みき。ここに、飲み酔ひ留まり伏して()ねき。
(しか)くして、速須佐之男命、その御佩(みは)かしせる()(つか)の剣を抜き、その(へみ)を切り散らししかば、肥の河、血に変はりて流れき。

ついにヤマタノヲロチをやっつけました!
太文字のところにご注目。
いままでずっと「ヲロチ(原文では遠呂知(をろち))」と書かれていたものが、ここで初めて「(へみ)」と出てきました。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、ということで、正体不明の化け物ヤマタノヲロチの正体はなんと「蛇」だったのだ!・・・という流れなのです。
これは古事記が狙って書いた工夫です。
始めからヲロチに大蛇という字を当てては、その恐ろしさが半減してしまいます。
あくまでも、退治されるまでは正体不明の不気味な化け物でなくてはならないのです。
そういった意味では、日本書紀は始めから「大蛇」としているので、古事記と比べると読者を惹きつけるよりも内容を正確に記すことに重きを置いた書物といえるかもしれません。
また、空色勾玉をはじめ、現代で「オ(ヲ)ロチ」が出てくる物語では大半が「大蛇」と書いてますが、これは読者のイメージをより具体的に導くための工夫とも取れますし、それに古代においては蛇は長寿の象徴という性格もあったようですが、現代では大抵の人は「蛇=恐い」と感じていますから、古事記時代と違って現代の読者の恐怖心を喚起させるには適した表現といえるかもしれません。
ちなみに私も蛇は大の苦手です。

さて、それではヤマタノヲロチ退治の最後の仕上げです。

故、その中の()を切りし時に、()(はかし)()(こほ)れき。爾くして、(あや)しと思ひ、御刀の(さき)(もち)()()きて見れば、つむ()大刀在(たちあ)り。故、この大刀を取り、()しき物と思ひて、天照大御神に(まを)し上げき。これは草なぎの大刀(たち)ぞ。

草なぎの大刀(たち)
これも漫画や小説ではよくモチーフとして使われていますね!
草なぎの大刀はスサノヲによってアマテラスにもたらされ、次に天孫降臨の際にアマテラスから孫のニニギに授けられ、そして中巻では倭比売からヤマトタケル命に手渡されることになるのですが、これはまた別の機会にでも語りたいと思います。
ちなみに「つむ羽の大刀」は「つむがりの大刀」と書かれることもありますが、結局何かはよく分かりません。
「つむがり」は物を断ち切る様で、この「つむがり」が「ヅカリ」になり「スッカリ」に変化していったと古事記伝(本居宣長)はいっています。
とりあえずここではこの説をご紹介するにとどめさせていただきます。


今回は大変長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら本当にお疲れ様でした。
しかし、実はこれだけ書いてもまだ書けていないことがあるのです。
続きに行く前にまたちょっとだけこの記事の補足を書かせていただきます。
書くことは
・スサノヲの名乗りの不自然な点
・クシナダ姫の別名とそこから運命付けられていたこと
・草なぎの大刀の名前の由来
の三つです。

ヤマタノヲロチ神話!その二~正体不明の化け物「ヲロチ」~

前回の続きです!!
天降ったスサノヲが河上で見つけたのは、泣いている老夫と老女と若い娘でした。

(しか)くして、問ひ(たま)ひしく、
汝等(なむちら)(たれ)ぞ」
ととひたまひき。(かれ)、その老夫(おきな)(こた)へて()ひしく、
(やつかれ)(くに)(かみ)大山津見神(おほやまつみのかみ)の子ぞ。(やつかれ)が名は足名椎(あしなづち)()ひ、()が名は手名椎(てなづち)と謂ひ、(むすめ)が名は櫛名田比売(くしなだひめ)と謂ふ」
といひき。

クシナダ姫の名前がでました!!
知ってる名前が出てくると俄然面白くなってきますね!
三人の素性は大山津見神という山の神様の子の「足名椎」と「手名椎」と、その子どもの「櫛名田比売」と分かりました。
この「足名椎」と「手名椎」という名前は、子どもの手足をいたわり撫でるという意味からきているそうです。(西郷信綱説)
なお余談ですが、「山津見」に対して海の神様は綿津見(わたつみ)といいます。
十二国記の副題の一つにも使われてますね。
山神(やまつみ)海神(わたつみ)は対で覚えると覚えやすいです。
まあ覚えてても何も得なことはないんですが!(禁句)
また、足名椎が自らを「国つ神」と名乗っているところにも注目したいですね。
国つ神とは地上(葦原中国)に住まう神々の総称です。
対して天つ神が高天原に住まう神々の総称です。
スサノヲは天つ神が住まう高天原では秩序の食い違いにより悪神の烙印を押されてしまいました。
しかし、天つ神とは別の秩序の世界に住まう国つ神にはスサノヲの行動は別の作用をもたらす可能性があります。
それでは続きを見てみましょう。
名前が分かったら今度はどうして泣いているのかを聞きます。

また問ひしく、
「汝が()(ゆゑ)(なに)ぞ」
ととひき。答へ(まを)して言ひしく、
()(むすめ)(もと)より()たりの椎女(をとめ)ありしに、これを、高志(こし)八俣(やまた)のをろち、年ごとに来て()ひき。今、そが()べき時ぞ。(かれ)、泣く」
といひき。

須「おまえはどうして泣いているのだ」
足「私の娘はもともと八人いましたが、高志のヤマタノヲロチが毎年やってきてその度に食べていきました。今、そのヲロチが来る時期なのです。だから泣いているのです」


ヤマタノヲロチの名前が出ました!
高志とは様々な説がありますが、一般的には越国(現在の福井・富山・新潟などの北陸地方)のことと解釈されています。
当時の出雲の人にとっては見たこともない遠い土地だったことでしょう。
それゆえ、ここの高志は地域としての越国というよりは、とても遠い場所という意味で使われていると考えられます。
三浦佑之さんはここから、「出雲という概念は古代においては日本海沿岸地域を広く含んでいた」と「古事記をよみなおす」で語っておられたことを以前ここでも書きました。
「概念」という言葉は少々定義が難しいのですが、名前を出すということは、行ったことはなくても名前くらいは知っていた、つまりは存在を認めていたと捉えると何となく分かったような気になります。
当時の出雲の人にとって、越国はどんなイメージだったのでしょうか。
そういえば私が埼玉にいたときに、鳥取といえば砂丘といわれました。
確かに鳥取の代表的なイメージだと思います。
そこで私が「砂丘にはラクダがいるよ」と言ったところ、凄く驚いた顔で「野生!?」と返されました。
埼玉の人にとって鳥取なんて日本ということ以外はホントにさっぱり分からない場所だったのでしょうね。
きっと野生のラクダがいてもおかしくないと思うほどに。
この人を責める権利は誰にもありません。
しかし砂丘のラクダは観光のために連れてきているだけで、野生ではありません。
あとは、砂丘を砂漠と勘違いして、将来鳥取県はその全土が砂丘に飲み込まれると本気で思っている人もいました。
残念ながら砂丘は年々減少傾向にあり(砂丘の緑化問題や海による侵食のため)将来的には逆になくなってしまうかもしれません。
両方とも中々愉快な反応でしたが、古代の出雲の人にとっては越国とはもしかしたら埼玉の人にとっての鳥取のような存在だったのかもしれませんね。
得体の知れないヲロチのような化け物がいるかもしれない、いてもおかしくないと思えるくらい遠い土地。

余計な話が多くてスミマセン。
続きにいきましょう。
足名椎から人を食べてしまう恐ろしい化け物ヲロチの話をされたスサノヲは。

(しか)くして、(スサノヲは)問ひしく、
「其の形は、如何(いか)に」
ととひき。答へて(まを)ししく、
「彼の目は、赤かがちの如くして、身一つに()つの(かしら)・八つの()有り。また、其の身に(ひかげ)()(すぎ)()ひ、其の長さは谿(たに)八谷(やたに)()八尾(やを)(わた)りて、其の腹を見れば、(ことごと)く常に(ちあ)(ただ)れたり」
とまをしき。
(ここ)に赤かがちと謂へるは、今の酸醤(ほほづき)ぞ>

須「その姿はどんなものなのだ」
足「その化け物の目は赤かがち(ほおずき)のような色で、一つの体に八つの頭と八つの尾があるのです。また、その体には蔓とヒノキや杉が生えていて、その長さは谷八つ、山八つに渡っていて、その腹を見ると、どこもみないつも血が流れてただれているのです」


何というとんでもない姿でしょうか!
ちょっともう一度整理してみましょう。
<ヤマタノヲロチの姿>
・目・・・赤かがち(ほおずき)色
・体・・・一つ(蔓とヒノキと杉木が生えている)
・頭・・・八つ
・尾・・・八つ
・腹・・・常に血が流れてただれている
・全長・・・谷八つと山八つ分

とんでもなく大きいですね。
体に木が生えていたり、谷や山をいくつも合わせたほどの長さがあるというのです。
また、体に植物が生えているのはただ大きいというだけでなく、古いということもあらわしています。
古いものにはコケが生えていたりしますね、あの感覚です。
また、民俗学では体に植物を生やしているのは森のヌシの(しるし)であるという説もあります。
ヤマタノヲロチは巨大長命であり、さらには森のヌシという高い地位も持っているのです。
ところで、私たちはすでにヲロチの正体が大蛇であることを知っています。
しかし本文ではそのことがまったく触れられていないことにお気づきでしょうか。
実はこの時点ではヲロチはまだ正体が不明なのです。
スサノヲが倒したときに初めてその正体が大蛇と判明します。
さて、これからスサノヲはこの正体不明の強大な存在に知恵を使って立ち向かうわけですが、実はその前に驚くようなことを足名椎に要求します。
それは一体・・・!?

次回に続きます。

Page

Utility

簡易メニュー

薄紅語り
(過去の日記の薄紅天女の妄想語り一覧)
古代史語り
(過去の日記の古事記とか万葉集とか他)
Web拍手
(お気軽に頂けると嬉しいです)
拍手は別窓、語りは同窓で開きます。

日記内検索

カレンダー

< 2024.11 >
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
- - - - - - -

コメント一覧