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お返事です・その78・・・に代わり「幸魂奇魂!」(完成)

おおおおおお!萩野さま!
[柿ゼリー]ありがとうございます!
助かった!
実は、夏はどうしても食欲が落ちてしまって、毎日ゼリーか素麺ばかり食べてます。
特にこんにゃくゼリーに頼って生きています。
兼倉の半分はこんにゃくゼリーで出来ている!(何情報)

>幸魂奇魂の話自体はおぼろげながら読んだことがあるような気がします。子供心に「幸魂奇魂がそっちなら、オオクニヌシは荒魂のみなの?そんな勇ましいばっかりで国は大丈夫なの?」と突っ込みを入れていた記憶があります。生意気な子供ですね、はい。私は幸魂奇魂合わせて和魂と聞いていたのですが、この四つは並び立つように称されることも多く、いまだによくわかっていません…お恥ずかしい。
>もし兼倉さまがご存知で、気が向いたならご教授いただけると嬉しいです!


おおおおおお!
このネタに食いついていただけるとは!
嬉しすぎるので存分に語らせていただきます!

下で引用している「時に海を照して依り来る神あり~」云々というのは、例のブロンズ像の近くにある石板に書かれている説明から引用しているのですが、これの元ネタは、古事記ではなく「日本書紀」の「一書(あるふみ)」です。
「日本書紀」は本文の他に、それを補ったり、本文とは別の説を記載したりしていて、それを「一書」と書いているのです。
「一書に曰く~」という感じで、ようは付け加えですね。
あの部分を全部引用してみましょう。

(大国主が)はく

「今此の国ををさむるは、ただし吾一身ひとりのみなり。其れ吾と共に天下あめのしたを理むべき者、けだし有りや

とのたまふ。時に、あやしき光海に照して、たちまちに浮び来る者有り。曰はく

し吾在らずは、汝なんく此の国をけましや。吾が在るにりての故に、汝其の大きに造るいたはりを建つこと得たり

といふ。是の時に、大己貴神おほなむちのかみ問ひて曰はく、

しからば汝は是誰ぞ」

とのたまふ。こたへて曰はく、

「吾は是汝が幸魂奇魂さきみたまくしみたまなり」

といふ。大己貴神の曰はく、

唯然しかなり。すなはち知りぬ、汝は是吾が幸魂奇魂なり。今何処いづこにか住まむとおもふ」

とのたまふ。対へて曰はく、

「吾は日本国やまとのくに三諸みもろ山に住まむと欲ふ

といふ。かれ、即ち宮を彼処かしこつくりて、就きてしさしむ。此、大三輪の神なり。

長くなってスミマセン^^;
どこか省略しようかと思ったんですが、いいところが無くて結局全文載せてしまいました。(初めの部分を少し略してますが)
これと、古事記の同じシーンを比べてみます。
また引用になります。

ここに大国主神、うれへてりたまひしく、

「吾ひとりしていかにかく此の国を得作らむ。いづれの神と吾と、能く此の国を相作らむや

とのりたまひき。是の時に海をてらしてり来る神ありき。其の神のりたまひしく、

「能く我が前を治めば、あれ能く共与ともに相作り成さむ。しからずは国成りがたけむ

とのりたまひき。しかくして、大国主神のひしく、

しからば、治めまつかたちは、奈何いかに」

といひしに、答へて言ひしく、

あれをば、やまと青垣あをかきひむかしの山の上にいつき奉れ

といひき。此は、諸山もろやまの上にいます神ぞ。

という感じです。
似ているようで、何となく雰囲気が違いますね。言葉にするのは難しいですが。
しかし、ここで一番の違いは、「古事記には『幸魂奇魂』という表現が使われていない」ということでしょう。
何故なのかはよく分かりません。(ホントスミマセン・・・)

そもそもこの「幸魂奇魂」というもの自体がよく分かっていません。
萩野さまの仰るとおり、「幸魂」と「奇魂」をあわせて「和魂(にぎみたま)」として、「荒魂(あらみたま)」と表裏一体のものとしてみたり、もしくは四つを独立させて、更にそれを操る「直霊(なおひ)」をあわせて「一霊四魂(いちれいしこん)」と呼んだりと、解釈が様々です。
このあたりは実は宗教的な話になってくるので、神話を宗教(神道)とは切り離して見ている私としては、ちょっと手が届かないところになってしまいます。(面目ないです・・・)
下記に大まかに説明を記載させていただきますが、あくまでも私自身がよく理解していないことになりますので、間違いなどがある可能性がいつも以上に高いです。
その旨何卒ご了承下さい。

解釈その一

<「和魂」と「荒魂」の二極対比>

神様は実は二つの「魂(たま)」をもっています。
「和魂」と「荒魂」です。
「和魂」とは、人々を慈しみ、恵を与え、守り安らぐという側面です。
日を照らしたり雨を降らせたりして人々や土地に潤いを与える働きなどがこれに該当します。
また、「和魂」は「幸魂」と「奇魂」に分けられます。
「幸魂(さきみたま)」とは、花が咲く、布を切り裂く、物が割き分かれるという言葉のように、物が分裂し、増加繁殖して栄える力を意味します。
また「奇魂(くしみたま)」とは、櫛・串の言葉のように、櫛で乱れた頭髪を解いて整える、串刺しにして、それぞれの物を統一するというように、統一し調和する力を意味します。
つまり、「幸魂」によって分化繁殖したものを統一し、調和のとれたものとして、一層発展させてゆく力が「奇魂」です。
この「幸魂奇魂」の力によって、お互いの生命は正しい働きをします。
・・・このあたりは結構ネットの引用(受け売り)も含んでます。
一方「荒魂」とは、「和魂」とは逆に、人々に災いをもたらす側面です。
天変地異を引き起こしたり、病などのたたりを引き起こしたりします。
「荒魂」と「和魂」は常に対で存在し、拮抗しています。
つまり、神様の力が強ければ「荒魂」と「和魂」の力も大きな力で対立しているわけです。
恵みも大きければ、災いも甚大ということですね。

以上のことを考えてみると、「荒魂」と「和魂」の対立はそのまま

荒魂:「大国主」が坐す出雲⇒被支配の立場

和魂:「大物主」が坐す大和⇒支配の立場

の対立構造に重なることが何となく分かってきます。
日本書紀はあくまでも大和が政治的意図で作った書物です。
それゆえ、近くで慈しんでくれる大物主(和魂)と、遠くで怖ろしい力を持っている大国主(荒魂)という構図を作ったのでしょう。
・・・私はもちろん大国主の方が身近だし、昔から縁結びの神様として親しんでいたりするので、大国主がたたりを起こす怖ろしい神様というイメージはちょっと結びつきづらいです。
愛すべき出雲の偉大な神様、大国主!っていう感じです。

なお、大物主はもともと大和地方で大国主とは関わりなく、全く別の独立した神様として奉られていたのが、箔をつけるために、大国主の分身ということにしたとか、大国主の存在が当時日本中に広く信仰されていて、大物主信仰に変えさせるのが困難だったので、苦肉の策で大物主を大国主の分身ということにした、とかいう、若干大物主様には不名誉な説も存在します。
もしかしたらそれが真実なのかもしれませんが、中にはちょっと過ぎるくらいに「大物主」をあしざまに書いている本もあって、私自身は何もそこまで言わなくても・・・という気持ちもしています。
昨今出雲贔屓の人が増えて嬉しいのも事実ですが、そういう人の中から結構な割合で、相対的に大和の評価を下げてしまう視点を持った人が出てきているのはどうなのか。
私にとってはどちらも古代から受け継がれてきたものを大事にして今に伝えている素敵な場所です。
昔はいろいろあったでしょうが、今は争いもなく平和に一つの国の中で調和しあって生きている人々の暮らす土地となりました。
どちらかの視点に偏ることなく、同じように楽しく学んでいきたいです。

余計な話が長くなりました。

続きです!

解釈その二

<一霊四魂の考え方>

これは神様ではなく、人間の心のありようです。
人は「荒魂」「和魂」「幸魂」「奇魂」の四つの魂の性質を持っていて、それを「霊」でコントロールしながら生きています。
「霊」には「直霊(なおひ)」と「曲霊(まがひ)」の状態があり、正常な状態が「直霊」で、それが邪悪なものになるのが「曲霊」です。
「直霊」の元では四魂は磨かれ、高められていきます。
しかし「曲霊」の元では悪に染まっていきます。
四魂とは次のような両極端な属性があります。

荒魂(あらみたま)
直:勇
曲:争

和魂(にぎみたま)
直:親
曲:悪

幸魂(さきみたま)
直:愛
曲:逆

奇魂(くしみたま)
直:智
曲:狂

なんだかタロットカードの正位置と逆位置みたいですね。
国は違えど、考えることは似てしまうものなんでしょうか。
なお、「霊」は天と繋がっていると考えられています。

以上です。
どうでしたでしょうか。
分かったような分からないような・・・。
無宗教の私にはちょっとこれ以上の深入りは出来そうにありません。
さらに学びを深めることは決して悪いことではないのですが、宗教的な世界に行ってしまうと、どうしてもその世界観を越えることが出来なくなりそうで、しり込みしてしまうのです。
古事記の神話は宗教と密接に関わっていることは重々承知の上ですが、暫くはその外側でこそこそしていようかな、と思っています。


あ、9時台と21時台に拍手を下さった方ありがとうございました!!
ご反応いただけるともう有頂天で調子に乗ってしまう単純な人間なので、本当に本当に嬉しいです!!
少しでもお気持ちにお応えできる物があるといいのですが・・・。
これからも気持ちの赴くままに突っ走る予定ですので、何卒よろしくお願いします!!
拍手ありがとうございました!!

出雲大社のアレ

さわ様がブログで不審疑問に思っておられた、出雲大社の参道脇にある無駄に大きい目立つ割には意味不明なブロンズ像についてご説明いたします!

ホントは拍手でこっそりお知らせしようかなぁと思ったんですが、知らない方も多いかもしれないと思ったのでこちらで書いてみます。
さわ様、勝手に乗っかってスミマセン(汗)

大国主が大きく手を広げて、向かい側には波に乗った黄金の球体がある、という、想像しただけでもなかなか「絵になる」場面です。
(※見たことない方はさわ様がブログに写真を載せていらっしゃるのでご参照下さいませ!)
…ですが「絵になる」割には、知名度は著しく低いというのがまさに玉に瑕なわけですね(^_^;)
出雲大社に行くと毎回他の参拝者の方の多くが、あれだけ目立つのにまったく意味が分からないと言っているのをよく聞きます。
私も正直初めてあれを見た時はまだ神話にはハマっていなかったので当然意味が分からず、一緒に行った友達と

「ちょwあれwゴールデンボール!ゴールデンボール!

と下ネタで爆笑していました。(サイテー)
近くに寄って石板に説明が書かれているのを読んだんですが、それでもまったく知らない神話で、意味もよく分かりませんでした。

「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」って??

ちなみにこの時一緒に行った友達は、今NG部屋で使っている写真素材のサイトを運営しているカズヨシさんです。
二人とも下ネタもオタクネタもシリアスネタもいける腐れ縁の関係です。
趣味が一度も被ったことないのによく続くものだと感心します。

さて、あのブロンズの正体ですが、実は古事記にも載っている大国主神話のワンシーンです。
あのシーンは大国主神話の中でもかなり最後の方に出てくるシーンです。
大国主は、実は一人で国造りをしたわけではありません。
始めはスクナヒコナという、手のひらサイズの神様を相棒として国造りを行っていました。
この二人の名前は万葉集の歌にも出てくるので、おそらく当時は誰でも知っている神話世界の名コンビだったのだろうと思います。
しかし、この名コンビに突然の別れが訪れます。
スクナヒコナが粟の穂にはじかれて、海の向こうの常世の国に行ってしまい、そのまま戻ってこなくなってしまったのです。
突然の相棒の喪失に大国主は大変ショックを受けます。
一人では国造りはできません。
肩を落とした大国主の前に、しかし、救いの手が差し伸べられます。
それが、あのブロンズのシーンです。

大国主が悩んでいると、海から光を照らしてやってきた神様がいました。

時に海を照して依り来る神あり
吾在るに由りての故に汝その国造りの大業を建つるを得たり
吾は汝が幸魂奇魂なり
大国主神かれ吾が幸魂奇魂なりけりと知りぬ

いきなりやってきて「俺はお前の幸魂奇魂だぞ」とか言われてもよく分かりません。
解釈はいろいろあるのですが、一般的には大国主の別の姿と言われています。
このいきなり現れたドッペルゲンガー(?)は、自分を大和の三輪山に祭れば、国造りは上手くいくと予言します。
これが大和の三輪山の大物主(おおものぬし)です。
大物主と大国主の関わりはこれだけしか語られていないのですが、大物主自体はその後の古事記中巻以降にもしばしば名前が登場します。
また、大物主は大国主と同じ神だという主張もあります。
さらには、始めは別の神だったけれど、大国主と同じ神ということにしてしまったという主張もあります。
ホントにいろんな解釈がありますねぇ。

と、いうわけで、あれは幸魂奇魂のシーンを表現していたのでした!
みんな知らないですよねこの神話!
あんなに目立つブロンズなのに、どうしてこんなにマイナーなシーンを採用してしまったのかとかなりツッコミ入れたい気持ちにもなりますが、まぁ、あれを見て疑問に思った人の何割かが神話を調べるきっかけになれば、それはそれで意味があるのかなぁとも思います。

因みにこれを書いた後日「幸魂奇魂」についての話題を拍手で振っていただけたので、ノリに乗って書いた記事がコチラです。

スサノヲとアマテラス~天の岩屋戸神話(後編)~

3.和解と決別の続きです!
前回から大分間が空いてしまいました。スミマセン^^;

前回は遂にスサノヲにキレたアマテラスが「あめ岩屋いはや」(洞窟)に籠ってしまい、高天原たかあまのはら(天の神様が住む世界)と葦原中国あしはらのなかつくに(地上世界)が真っ暗になって災いが満ちて大変なことになったというところまででした。
では早速続きの本文を見てみます!

ここをもちて、八百万やほよろづの神、天の安の河原に神集かむつどひ集ひて、高御産巣日神たかみむすひのかみの子、思金神おもひかねのかみに思はしめて、常世とこよ長鳴鳥ながなきどりを集め、鳴かしめて、(略)伊斯許理度売命いしこりどめのみことおほせ、を作らしめ、玉祖命たまのおやのみことに科せ、八尺やくさの勾玉五百津いほつ御統みすまるの玉を取りけ、中つ枝に八尺の鏡を取りけ、下つ枝に白丹寸手しらにきて青丹寸手あおにきてを取りでて、(略)天宇受売命あめのうずめのみこと、(自分の身を様々に飾り立てて)、天の岩屋の戸にうけを伏せて、踏みとどろこし、神懸りして、胸乳を掛き出だし、をほとにれき。しかくして、高天原とよみて、八百万の神、共にわらひき。

楽しそうだな八百万の神さまたち(笑)
「咲」の字で「わらう」という状況を表現をするのもまた素敵ですよね。
私も是非混ざってみたいです!(無理)
古事記では八百万の神さまたちはいつも、高天原がピンチになると全員集合します。
この八百万という数はもちろん実際の数ではなく、たくさんという意味で使われています。
また、一般的にも「八百万の神々」という表現をしますが、古事記に限ってはこの「八百万の神」は全員集合した時にしか使われていません。
つまり、全員集合の比喩表現とも取ることができます。
で。
全員集合して話し合った結果「思金神」に意見を求めることに決まりました。
何とも考え深そうな名前の神様です(笑)
この「思金神おもひかねのかみ」が指示したことを下にまとめてみます。

①.常世国(=永遠不変の国)のニワトリを集めて鳴かせる
②.鏡を作らせる
③.勾玉を長く連ねた玉飾り(=御統みすまる)を作らせる
④.さかきの枝を取ってきて、上に御統を取り付け、中ほどに鏡を取り付け、下に白と青の布を取り付ける
⑤.身を様々に飾り立てたアメノウズメが、天の岩屋戸の前で激しく踊る
⑥.激しい踊りで衣が肌蹴るなどしたアメノウズメを見て、八百万の神々が大笑いして盛り上がる

という感じです。
山田永先生の説明を引用させていただきます。

まず鶏を鳴かせる。
夜なのに鶏を鳴かせて、「夜が明けた」と勘違いさせるのではありません。
おそらく、鶏鳴が朝をもたらすとみなされていたのでしょう。
しかも永久不変で不老不死の国といわれている常世国とこよのくにから連れてきた鶏なので、いかにも長鳴きしそうです。
「常世」と「常夜」、音が近い(当時は発音が少し異なる)のも面白い。
「常夜」には「常世」で対抗するつもりなのでしょうか。

次に、鏡と玉を作らせ、榊を準備させ、飾り付けをさせ・・・と続きます。
その一つ一つに、誰に鏡を作らせ、どんな玉で、どこの榊か云々の詳しい説明が付いています。(※上では場所の説明は省略してます@兼倉)
アメノウズメが身につける植物の描写も、一見するとわずらわしいほどです。(※これも省略してます@兼倉)

でも、こういう表現が、神話の神話たる「装い」なのです。
何しろアマテラスを石屋から誘い出すという大事な祭りですから、そこらあたりの榊ではまずい。
「装い」を加えて、由緒正しさを現しているのです。


長々と説明することで、由緒正しいことを証明するというのが、古事記神話の常套手段ということだそうです。
確かに今でも例えば「なんでも鑑定団」で鑑定品を紹介する時、ただその物だけを紹介するのではなく、それを作った人物の生い立ちやその物が作られた経緯、果てはそれが依頼者の元にたどり着いたエピソードまで語られて、視聴者にいかにも価値のあるものだと思わせますよね。
その物自体の価値は、一部の人を除いて、物を見ただけでは分からないのですから当然です。
この手法は何と神話が書かれた時代から引き継がれてきた由緒正しい●●●●●方法だったというわけですね。

話がずれました。
戻します。
さて、こんなドンチャン騒ぎを岩屋の中で聞いていたアマテラスはどうしたのかというと。

ここに天照大御神、あやしとおもひ、あめ石屋いはやの戸を細く開きて、内にらししく、
こもすによりて、あまの原おのづかくらく、また、葦原中国も皆闇けむと思ふに、何のゆゑにか天宇受売はあそびをし、また、八百万の神はもろもろわらふ」
とのらしき。

アマテラス
「私がこもってるから高天原も葦原中国も暗いはずなのに、どうしてみんな楽しそうにしているのかしら・・・?」

アマテラスといえでも、当然気にならないはずがない(笑)
「戸を細く開きて」という表現が妙にかわいいですね。
気になるけど、まだ警戒している感じです。
さあ!ここからが大事ですよ!
続きを見てみます!

天宇受売がまをしてはく、
が命にして貴き神のすが故に、歓喜よろこわらあそぶ」
と、かく言ふあひだに、天児屋命あめのこやのみこと布刀玉命ふとたまのみこと、そのし出だし、天照大御神にしめたてまつる時に、天照大御神、いよよあやしと思ひて、やをやく戸より出でて、臨みす時に、そのかくり立てる天手力男神あめのたぢからをのかみ、その御手みてを取り引き出だすに、すなは布刀玉命ふとたまのみことしりくめ縄をもちて、その御後方みしりへわたして、まをして言ひしく、
「これより以内うちかへり入ること得じ」
といひき。かれ、天照大御神の出でしし時に、高天原たかあまのはら葦原中国あしはらのなかつくにと、おのづから照りあかること、得たり。

アメノウズメ
「アマテラス様よりも貴い神様がいらっしゃるので、皆は喜んでいるんですよ!」
アマテラス
「え!?」
アメノコヤ・フトタマ
「(アマテラスの前にを差し出す)」
アマテラス
「(身を乗り出して覗き込む。にはアマテラスの姿が映る)」
アメノタヂカラヲ(←隠れてた)
「捕まえた!!」
アマテラス
「あ!」
フトタマ
「(岩屋にしめ縄を張って)もうこの中に入っちゃ駄目です」

アマテラス捕獲作戦は大成功しました!
それにしてもアメノウズメの受け答えからフトタマのしめ縄を張って宣言をするまでの流れがあまりにも完璧というか、絶妙のタイミングで皆が動いていますね。
これも全て「思金神おもひかねのかみ」の作戦通りということでしょうか。
頭脳派な神様です!(ドキドキ)(←頭脳派に弱い兼倉)
因みに天津神の頭脳派担当がこの「思金神おもひかねのかみ」なら、国津神の頭脳派担当は何と言っても「久延毘古くえびこ」というカカシの神様です。
カカシなのでその土地から動けないのですが、この世のことなら何でも知っている博識な神様なのです!
・・・おっと、また話がずれてしまいました。
久延毘古についてはまたいつか機会があったら語りたいです。
あ、あと余談ですが(またか)、この時、アマテラスの姿を映したは後の天皇家の三種の神器の一つとなります。
ご存知、「八咫鏡(やたのかがみ)」ですね。

さて、長々とやってきました「スサノヲとアマテラス」はこれで終了です。
このあとスサノヲは八百万の神たちに「ひげ」と「手足の爪」を切られて追放(=かむやらひ)されます。
追放された先は・・・そう、出雲国の斐伊川のほとりです。(※本当は追放された直後に別の神話がちょっとだけ挟まってますが)
ここからスサノヲはクシナダ姫と出会って夫婦となり、オロチを倒して出雲国に安寧をもたらすのです。
スサノヲとクシナダが新居を構えた土地「須賀(すが)」で詠んだという歌は大変有名なあの歌ですね。

八雲やくも立つ 出雲八重垣やへがき
 つまみに 八重垣作る その八重垣を

平安時代に書かれた古今和歌集の序文で紀貫之は、この歌を「日本最初の三十みそひと文字もじだ」と言っているそうです。
まぁこれはあくまでも神話なので、それが真実ということではないのですが。

何はともあれ、ここまで付き合ってくださった方(もし奇跡的にいらしたら)本当にありがとうございました!
こんなに長々とするつもりではなかったのですが、気付いたらこんなことに・・・。
次にやる時はもう少し簡潔にできるように頑張りたいです。

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