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欠史八代

初代神武天皇から後の二代目~九代目までの天皇は、やったことが書かれていない(名前しか分からない)天皇で、あわせて「欠史八代(けっしはちだい)」と呼ばれている人たちなんですが、この人たちの扱いがちょっとだけ気になっている今日この頃。
やはりオタク的に事実が分からないものは妄想しがいがあるわけなので、気にしないわけにはいかない。
しかし、読む本読む本かならずこの「欠史八代」は「天皇家の歴史を出来るだけ長くするために挿入されただけのでっち上げ(かなり要約)」といわれることが殆どです。
確かに初代神武天皇からして神話的要素が強いお方なので創作された臭はかなりするわけですが、だからといって、適当に(というと語弊がありますが)名前をでっち上げただけの天皇、というのはあまりにも残念な気持ちになるわけです。・・・もちろん気持ちだけではどうすることもできないものですが。
出来ればですね、「事績がない」=「事績を残すことが出来ない理由があった」みたいな視点からの論を張ってくれる人が出てきてくれないかとちょっと思っています。(超・他力本願!)
それに、天皇という存在を安易に(かどうかは定かではないですが)でっち上げるなんて事が感情的に出来たのかどうか。
ただ歴史を長くするためだけに人数合わせのでっち上げをする相手にしては、天皇というのはちょっと気持ち的に憚りがあったりはしないのか。
神話のように、長く多くの人々に語り継がれてきたフィクションと、自分たちの都合によって作られたフィクションを同じ歴史書の中にいれるというのは本当に簡単に出来ることなのか。
おそらく誇りを持って編纂したと思われる歴史書へ、もしかすると冒涜になるかもしれないようなことが本当に出来たのか。
大体創作するなら事績を載せないなんて事をせずに、事績も創作してしまったほうが自然だし、そのほうがより強固で説得力のある系譜になるはずではないかと思います。
・・・ホントに何の根拠もないんですが、出来れば「欠史八代」にも何かしらの裏づけとか根拠みたいなものがあって欲しいなぁと思っています。

天の御巣の如くして

古事記の国譲り神話の最後に、二人の子が国を譲ると言ったことで、ようやく大国主が承諾の意を伝えるわけですが、その際の記述で最近気になっている点があります。

「僕やつかれが住所すみかのみは、(略)天の御巣みすの如くして、(略)僕は、(略)隠りて侍らむ」

「私の住処を高天原の神が住まうような立派なものにしてくれれば、私はそこに隠居してますよ」

となっている箇所です。
言うまでもなく出雲大社の起源説話なわけですが、当然事実じゃないことです。
そして、出雲大社の起源や建立時期については、講演などでよく話題にはなっていますが、その際に必ず出てくるのは上記の古事記神話。
私はこれについて最近ちょっと考えていることがあります。
「古事記を読みなおす」にも触れられていましたが、そもそも遡れば縄文時代辺りから、巨大建築物への信仰のようなものが日本列島には確かに存在していたと思います(古事記を読みなおすP.88「巨木を建てるという文化的な特徴」)。
青森の三内丸山遺跡の6本柱建物などはその好例かもしれません。(因みにこの復元を実際に見に行きましたが、本当に大きくて迫力があります!興奮しました!!)
「古事記を読みなおす」ではこれは日本海文化圏の特徴と書いてあります。
三内丸山遺跡も集落が繁栄していた当時は港が近くにあったらしいので、海上交通の列島最北端であり文化の終着点および発信源でもあったのではと個人的には思っています。
話がずれました。
で、出雲大社ですが。
私の個人的意見として、そもそも出雲大社はヤマトが出雲を征服する以前からあったものであり(巨大建築物は縄文の時代から受け継がれていた)、それを古事記では「天の御巣みすの如くして」と書くことによって、あたかも「高天原には出雲大社のような大きくて立派な建物がある」とか「天津神にはこのような大きな建物を建てる技術がある」と読者に思わせるために利用しているのではないかと。
・・・ちょっと出雲贔屓な視点の論になっている自覚はあるのですが、何となく最近思うようになってきてしまって、どうにも自分の中でふつふつと煮え立っている状態です。
学者先生方と違って、これを証明するための材料もノウハウもないのですが、何となくこうだったらいいなぁ・・・みたいな気持ちです。
どうなんですかねぇ。
まぁ、これも一つの案(たわごと)ということで!

タケミナカタについて

今まで出雲神話や古事記神話に関する色々な本を読んできて(といっても大した量でもないですが)、タケミナカタに関する見解は「元は諏訪の辺りで祭られていた土着の神」ということで一致しているようなのですが、では何故タケミナカタが出雲神話に関わることになったのかという問いに対しては色々な意見があるようです。

1 出雲の神(=大国主)を直接負かすことは出雲の民が納得しないので無関係の遠くの神を持ってきた
2 古代の出雲の概念には諏訪の辺りまで含まれていた
3 当時の出雲と交流があった古志(越)国の近隣である諏訪が関わることは自然なことだった(ex.越国のヌナカワヒメは大国主の妻の一人でタケミナカタの母説あり←「古事記を読みなおす」より)
4 タケミナカタの話は後世に挿入されたもので、元は出雲の神だけの話だった

などなど。
うーん…色んな考え方がありますな。
私としては2の説が大変ロマンを掻き立てられるので一押しなわけですが、もちろんそんな理由では決定できないことです。
また、今後新説が出てくる可能性もあるのでそこも期待してます!

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