語りの前にお返事いたします!
ななこさん
>兼倉さま、大変ご無沙汰しております!ななこです。覚えていらっしゃるとよいのですが…。長らく創作の更新をしていなかった当サイトに彗星のごとく現れて素晴らしき薄紅創作の数々をご披露いただいた僥倖は今も胸に深く刻まれております!
>新年から更新されていて本当に嬉しく思いました!!もう一月も末ですが、今年も宜しくお願いします。
>また無理のない程度で色んなお話聞かせて下さいね。とても楽しみにしています!そしてまたあたそのも語りあいましょう〜!約一年の充電期間を経て、あんまり変わらないくだらなさを再発揮したいと思います!
好きなことを堂々と好きというために、このサイトを立ち上げました。
初心貫徹し、全力で走り切りたいと思っておりますのでぜひよろしくお願いします。
あたそのもまたいろいろ語る予定です。
お付き合いいただけたらとてもうれしいです!
24日と本日多量連パチを送ってくださった方々ありがとうございます!
特に24日のお方は何と驚きの18連パチ…!
10パチ制限になっているのにそれを大幅に上回る情熱に驚きつつ感謝申し上げます!
お二人のご期待にお応えできるのかどうなのか!?
萌えの限りに叫び続けてまいりますので今後ともどうぞよろしくお願いします!
さて、それではまず初めの歌からいきます!
山吹の 立ちよそひたる 山清水
汲みに行かめど 道の知らなく (高市皇子)
この歌は万葉歌全4516首の中でもかなり人気の高い歌です。
訳は
黄色い山吹が咲き匂っている山の清水、その清水を汲みに行きたいと思うけれど、どう行ってよいのか道がわからない。(訳:伊藤博)
となります。
おや、迷子の歌かな?と思いますよね。
この歌は空色勾玉の第三章「稚羽矢」の冒頭のページに出てきます。
この章のあらすじは、
・狭也がいなくなった鳥彦を探していて宮の中を走り回る
・偶然巫女姿の稚羽矢に出会う
・最終的に狭也は稚羽矢と共に宮から脱出する
・鳥彦が烏になって狭也のもとへ戻ってくる
という内容です。
それを踏まえてこの歌を読み返してみると、ほほう、確かにこの章の導入としてはなんとなく合っているような気がしますね。
でも、待ってください。
実はこの歌は単なる迷子の歌ではないのです。
この歌にはとても悲しい想いが込められています。
万葉集のこの歌につけられた左注をそのまま引用してみます。
紀には「七年戊寅の夏の四月丁亥の朔の癸巳に、十市皇女、にはかに病発りて宮の中に薨ず」といふ。
こういう説明がこの歌についているということはつまり、この歌は十市皇女へ向けた挽歌ということです。
十市皇女は大海人皇子(のちの天武天皇)の長女です。
そしてこの歌を詠んだ高市皇子は大海人皇子の長男です。
二人は母親が別々の異母姉弟です。
それだけではありません。
この時代、古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」が起こっています。
大海人皇子と大友皇子が天皇位を争い、都はたった一月で焼け野原になったといわれる大戦乱でした。
最終的に大友皇子が自害して、大海人皇子が天武天皇として即位するわけですが、この戦乱において、十市皇女は大友皇子の正妃であり、高市皇子は父の軍の総指揮官を務めました。
この歌が詠まれたのは、この戦乱が終わってから6年後です。
その日、十市皇女は父が倉橋河の河上に立てた斎宮へ向かう予定でしたが、当日「にはかに病発りて」亡くなってしまうのです。
突然病になって死ぬという、あまりにも唐突(不自然?)な死は後世さまざまな憶測を呼びます(自殺したとか暗殺されたとか)が、確かなことは何もわかりません。
ただ、壬申の乱後おそらくは父親のもとに身を寄せていたであろう十市皇女は、乱の勝者にして時の最高権力者の娘であるのと同時にその敵方の正妃であったという非常に複雑な立場は、彼女にどれほどの重圧を強いていたかと思うと簡単に文字にすることははばかられる思いです。
歴史から読み取れることはこのくらいなのですが、それを踏まえてあの歌を考えてみてください。
ある日突然に黄泉へ旅立った異母姉へ、その夫を窮地へ追いやった最大の責任者である高市皇子が、その死を悼んで詠んだ歌です。
山吹の 立ちよそひたる 山清水
汲みに行かめど 道の知らなく (高市皇子)
黄色い山吹が咲き匂っている山の清水、
その清水を汲みに行きたいと思うけれど、どう行ってよいのか道がわからない。(訳:伊藤博)
「黄色い山吹が咲き匂っている山の清水」
分かりますか?
黄色い清水・・・つまり黄泉ですね。
この歌は確かに迷子の歌なんです。
でも、行きたいと願っている場所はどこかの山の清水ではなく、異母姉が逝ってしまった場所なんです。
以上がこの歌の概要です。
次の記事で、少し補足を書きます。