※閑話休題※思い返せば薄紅天女
- 2014/02/08 01:53
- Category: 薄紅天女>その他
お返事です!
りんこさん
>そうそう、そしてもう一回読もうっと思って来たらなくなっていたので、あれ~?何かあったのかなーーって思いました。
見てくださってましたか!
やっぱりあったんですよね!
確かに一度は投稿していましたよね!!
私の妄想なのかと半ば本気で心療内科を考えていました。
本当によかった。
りんこさんにだけでも見ていただけていたのならあの記事は成仏できました。
>逆境に負けないで!!!
ありがとうございます!
高市皇子から「せめてもう少しましなことを書きなさい」という時を超えたご命令と思って書き直したら結構楽しかったのでよかったです(マゾか)
今後も精力的に語っていこうと思います!
阿苑項目へのチェックもありがたいです!
そういえば最近日記でまともに阿苑について触れてないですね。
もしかしたら年単位で触れてないかもしれない事実に寒気がするので調べないことにします。
昨年はほとんど死んでいたみたいな状態だったのもありますが、そもそも万葉集に興味を持ったのは薄紅天女の時代をもっと知りたいと思ったことがきっかけだったのに本末転倒もいいところです。
そういうわけで、完全に話題をぶった切って阿苑について。
約一年間薄紅天女の創作を続けたことによって、書きたい気持ちは結構落ち着いてくれたわけですが、萌えに関しては全然治まってくれないんですよ。
仕事中ぼんやりトイレの床を拭いていると脳内で鈴さんが「阿高大好き」とか発言するんですよ私大丈夫かな?
どうしたらまともな人間になれるのかだれか教えてください。
腐った私の日常などどうでもいいですね。
せっかく万葉集を調べているので阿苑変換とか書いてみたらよりいっそう親しみがわくかもしれないですよね。
そういう企画も楽しそうですね。
「山吹の~」の歌の前にある二首もとても良い歌なんですよ。
それぞれ
「せめて夢の中で逢おうと思うのに、夜眠ることが出来ない」
「こんなに短いちぎりだったのに、私は末永くとばかり願っていた」
という内容なんですよ。
なんという切なさ!
一首目は以前書いた「万葉集の読めない歌」のように、定訓のない歌で、訓み方によっては別の意味になるんですが、とりあえずおおむね上記のような悩ましい想いが込められているんです。
これ阿苑変換したら切ないどころじゃないですね。
すでに原作で幸せな人生を送ったことが書かれているので完全なるパラレルですが。
伊藤博さんの推測では、もし高市皇子と十市皇女が結婚したとすれば二、三年のちぎりだったのではないか、と書いておられるので、鈴さんが竹芝に来て二、三年たったある日突然死んでしまったとかそういうシチュエーションになるわけですよ。
冗談じゃないですね。
鈴さんが死んでしまって嘆く阿高が、せめて夢の中で逢いたいと願うのに眠るときに鈴さんのぬくもりがなくて全然寝られなくて、夢で逢うことすらできないとかもう私ダメだこれは。
やめます。
もっと幸せそうな歌で変換します。
たらちねの 母が手離れ
かくばかり すべなきことは 未だせなくに
(※訳:母の手を離れて以来、こんなにもどうしていいのか分からなくなったことは無かったわ←初めて恋を知る感じの歌)
これいいですよね!
でも阿苑よりも千種っぽい気がするので今回は見送ることにします。
何かいい阿苑変換の歌はないかなと家持さんの歌を眺めていたんですが、家持さんの恋歌は全体的にイラッとくる感じです。
このイラッと系イケメンめ!(新種の萌)
格好つけすぎなんですよ全体的にでもそこが格好いい!
全部の歌の最後に(※ただし家持に限る)ってつけるべきですねこれは。
そのくらいイラッと格好いい。
何を言っているのかわからないと思うんですが、もう本当に終始こういう歌ばっかりで私は狂い気味です(知ってます)
どうしてこう自然にイラッと格好いいのか。まったく。
おっと、阿苑から話が逸れました、戻します。
とりあえず、万葉集にほんの少し入ってみて分かったことは、言葉は今とは違っているけれど、感性まで隔絶されているわけではないということですね。
当たり前なのかもしれませんが、でもやっぱり実際触れてみてそれをまざまざと感じさせられました。
文字の上の存在だった阿高も苑上も、日本の確かな一つの時代を背景として質量と熱を託す存在のように思えてきています。
とかそんなちょっと格好つけてみてその実よく意味が分からないことを書いている自覚はあるんですが、今後なにかの形でもう少し深く書いてみたい話題です。
阿苑についてとかいいながらたいして阿苑に触れていない不条理な記事となりましたが、今日はこの辺で。