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ヤマタノヲロチ神話!最終回~その後の二人~

ヤマタノヲロチ神話最終回です!

故、ここを(もち)て、その(はや)須佐之男命(すさのをのみこと)(みや)造作(つく)るべき(ところ)を出雲国に求めき。(しか)くして、須賀(すが)といふ(ところ)(いた)()して、(のりたま)はく、
(あれ)、ここに来て、()()(こころ)すがすがし」
とのりたまひて、そこに宮を作りて(いま)しき。(かれ)、そこは今に須賀と()ふ。

スサノヲはヤマタノヲロチを退治した後、クシナダと住む新居の地を探し求めて出雲国中をめぐります。
ある時とても気分が清々しくなる場所を見つけました。
「ここは何て清々しい気持ちになるのだろう」
きっとクシナダも気に入ってくれたに違いありません。
宮を建てる場所に決めました。
そして、この地を須賀と命名したのです。
典型的な地名起源譚ですね。
しかも出雲国中をめぐりめぐった中で一番素晴らしい場所というのです。
地名起源譚の中にはあまりいい意味ではない由来が語られているものもあることを考えると、須賀という土地は古事記が書かれた当時とても大事な場所だったのでしょう。
スサノヲはこの場所にさっそく宮殿を建てます。

この大神(=スサノヲ)、初め須賀の宮を作りし時に、そこより(くも)()(のぼ)りき。(しか)くして、()(うた)を作りき。その歌に()はく、

()(くも)()つ 出雲八重垣(やへがき)
(つま)()みに 八重垣作る
その八重垣を

有名な歌ですね。
ここの語りでも何度か取り上げましたし、結構古い漫画ですが樹なつみさんの「八雲立つ」でも出雲の象徴的につかわれていたので、ご存知のお方も多いことでしょう。
この歌は古今和歌集では日本最古の三十一文字とも書かれています。
なお、私たちは通常短歌を読むときは5・75-77のように三句切れで読むことが多いのですが、古い歌ほど二句切れで読んだ方が意味が取りやすいものが多いです。
万葉集は特にそういう歌がたくさんあります。(三句切れのもありますが)
この歌も57-57・7のように読んでみてください。
「八雲立つ」が「出雲」という言葉を引き出します。
そして「妻」を籠める「八重垣」を作る。
そう、「八重垣」を作ったんだ!というような気分になりませんか?
出雲国中を探し回ってやっと見つけた一番いい場所に、つい最近めおとになったばかりの初々しい妻との新居の垣根を、垣根を立派に作ったのさぁ!というスサノヲのうっきうきの気持ちを想像しながら読むと、大変萌えます。(私は)
もちろん垣根だけが立派なはずはありません。
垣根が立派なら、宮殿もそれに見合う立派なもののはずです。
また、歌に「妻」を読み込んでいるのも、ニヤリとしてしまいます。
なんせこの間までは独り身だったスサノヲです。
「妻」と呼べる存在が初めて出来て、浮き立たないはずがない。(邪推)
周りに「妻」って言いふらしたくってたまらないんじゃないのか、とか考えてまたニヤニヤするわけです。
あの歌を読んだときのスサノヲは、「妻」の部分を心持強調して歌ったかもしれない・・・。

妄想激しくてスミマセン・・・。
勉強のテンションは妄想によって維持されています。(ぶっちゃけた)
ちなみにこの宮殿跡地は現在では「須我神社」という神社になったと伝えられています。
この宮殿は日本最初の宮殿だったので、須我神社は「日本初之宮」と呼ばれ、またこの時にスサノヲが詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」ともされています。

それでは、いよいよ最後になりました。
続きを見ましょう。

ここに、その足名椎神を()して、()らして言ひしく、
「汝は、()が宮の(おびと)()けむ」
といひき。また、名を()ほせて稲田宮主須賀之八耳(いなだみやぬしすがのやつみみ)神と(なづ)けき。

スサノヲはせっかく作った宮殿の首長に足名椎を指名しました。
どうしてスサノヲ本人が首長にならなかったのでしょうか?
理由は分かりません。
古事記には書かれていないのです。
スサノヲが足名椎に与えた名前の「八耳」の部分は「山津見(ヤマツミ)」の子だから「ヤツミミ」(似たような音の名)としたという説(西郷信綱)と、古来「耳」という名を持つ存在は神の声を聞く「耳」を持っていた人たち(シャーマン)だったという説(三浦佑之)の二つが大まかなところのようです。
でも名前はこの説である程度は納得できるとしても、やっぱりスサノヲが首長にならない理由は分かりません。
とりあえず、私が知っている説をあげておきます。
1.スサノヲは入り婿だったから、足名椎をたてて首長とした(古事記が書かれた当時は通い婚が一般的だった)
2.スサノヲは黄泉国を目指していたので、ここに留まるつもりがなかった
3.スサノヲはあくまでも出雲国の国造りの下準備をする役目であり、そこに君臨するのはアマテラスの意志に反することだったから
4.スサノヲを首長にすると、出雲の土地がその子孫である大国主の土地ということになってしまい、国譲りに支障をきたすから

始め二つは物語的な解釈、後の二つは古事記全体を見た解釈です。
正直どれも微妙な気がしています。
数学的にいうなら1.2.は十分条件的(理由としては弱い)で、3.4.は必要条件的(あくまでも結果論でしかない)という印象です。
必要十分条件としてはどれも欠陥がありそうです。
もしかしたら理由は複合的なものなのかもしれません。
もしくは、ここは考える必要もなく流せばいい箇所なのかもしれません。
あと、もう一つの説として
5.この神話を語り継いできたのは当時この須賀の土地に力を持っていた豪族で、彼らは自分たちをスサノヲの由来とすると高天原(=大和)と敵対してしまうことになるので、それを回避するために足名椎を由来に選んだ
というものもあります。
一番ありがちで、あるとしたらこれかなぁという気もするのですが、この説は古事記の記述を大きく逸脱した話になってしまうので、結論とすることは出来ません。
最後の最後でモヤッとさせてしまってスミマセン^^;
この後スサノヲはクシナダとの間に子ども「八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ)」をもうけます。
この神をあわせて六世後に生まれるのが、現在出雲大社に祭られている国つ神の最高神「大国主」です。

以上、これにてヤマタノヲロチ神話語り終了です!
楽しかった!
古事記はやっぱり楽しいな!
何か面白そうな説をみつけたらまた追加で語りたいと思います!
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!!

ヤマタノヲロチ神話!その三半(古事記のちょっとイイ話再び)

前の記事の補足です。

<スサノヲの名乗りの不自然な点>

スサノヲがクシナダに妻問いをする場面を思い出してみてください。
足名椎に名前を尋ねられて答えているのですが、ちょっとおかしいということに気付いた方はいらっしゃったでしょうか?

須「娘を嫁にくれ」
足「あなたの名前を知りませんが」
須「アマテラスの弟だ」
足「分かりました、娘を差し上げます」


もうお気付きになりましたね。
そうです。
スサノヲは名前を尋ねられたのに、自分を「スサノヲだ」とは名乗っていません。
スサノヲは自らを「アマテラスの弟」と名乗り、足名椎と手名椎は「アマテラスの弟」に娘を差し出したのです。
これは実はとても重要なことです。
なぜなら、この後スサノヲが行うことはすべて「アマテラスの弟」として行うことになるからです。
つまり、ヤマタノヲロチを退治するのも、須賀の地で宮を作るのも、すべてアマテラスの弟としての行動です。
アマテラスの弟、つまりはアマテラスの意思を体現する者としての役割を、あのときの名乗りは宣言しているといえるのです。
そもそも葦原中国は、アマテラスの領分です。
なぜなら、アマテラスが天の岩屋戸に篭ってしまった時に、高天原とともに葦原中国も光が届かなくなってしまったと書かれているからです。(天の岩屋戸神話を語ったときに詳細を書いていますので、よろしければご参照ください)
葦原中国の光はアマテラスによってもたらされているのです。
そしてアマテラスの意志を体現するスサノヲが、出雲国を整えています。
だからアマテラスは自分の子孫が葦原中国を治めるのが正当だ、と主張して、有名な出雲神話最後の物語である「国譲り神話」、そして日向神話の幕開けとなる「天孫降臨神話」へと繋がっていくわけです。


<クシナダヒメの別名とそこから運命付けられていたこと>

クシナダヒメという名前はスサノヲに「櫛」に変えられたことに由来しているという説が一般的ですが、実は彼女には「クシナダヒメ」の他にもう一つの名前があるのをご存知でしょうか。
その名前は「イナダヒメ」といいます。
稲田比売とも奇稲田媛とも書きますが、つまりは水田の神様ということです。
実は出雲においては、クシナダヒメはこの「稲田比売」の名前で祭られているところが多いのです。(実は私は神話にハマり始めた当初、「クシナダ」と「イナダ」が同じとは気付かず別の神様かと思っていました。恥ずかしい・・・)
クシナダヒメが水田を守護する神様というのは大変重要です。
この事実からスサノヲとの運命的なつながりを見ることが出来るのです。
私はこのヤマタノヲロチ神話を書くにあたって、前の神話は高天原でスサノヲが追放された話ですと書いていますが、実はその間に小さな挿入神話があります。
その神話の概要を書きます。

高天原を追放された直後、出雲国に降り立つ前の話。
スサノヲはオホゲツヒメに食べ物を求めました。
オホゲツヒメは自分の鼻や口や尻からさまざまな食材を取り出し、それらを調理してスサノヲに奉りました。
スサノヲはオホゲツヒメが食材を取り出すところを覗き見て、オホゲツヒメが汚いものを差し出したと思って、オホゲツヒメを殺してしまいました。
するとオホゲツヒメの死体から以下のものが生まれました。
頭からは蚕。
両目からは稲種
両耳からは粟。
鼻からは小豆。
女陰からは麦。
尻からは大豆。
神産巣日御祖命(かむむすひのみおやのみこと)はこれらをスサノヲに与えました


カムムスヒに関してはここでは深くは触れません。
とてもエライ神様だと思っておいてください。
大事なのは太文字の部分。
スサノヲは出雲に降る前に稲種を与えられています。
それゆえ、水田を司るイナダヒメとそれに植えられる種を与えられたスサノヲが結ばれるのはとても理にかなっていると思いませんか?
下ネタじゃないですよ。
この説明は山田永さんの『「作品」としてよむ古事記講義』に詳しく出ていますので、気になる方はぜひご参照ください。
いわゆる「五穀の起源」といわれるこの神話は、前後の文章との脈絡が非常に乏しいため、後になって挿入された神話だろうとよくいわれています。
しかし、ではなぜここにわざわざ挿入されたのかというところまで言及している人はそう多くないようです。
そんな中で山田永さんのこの説明はとても分かりやすく、また面白いと思いましたのでご紹介させていただきました。
水田を司るという性格もあわせ持つクシナダヒメ、それに植える稲種を与えられたスサノヲ。
二人の架けハシとなるのは河上から流れてきた「箸」。
古事記はスサノヲとクシナダの運命的出会いを演出する伏線をこれでもかというほど仕掛けています!
作者は全力でスサノヲとクシナダをくっつけようとしているわけです!
ここまで取り揃えられていたらもう結婚する以外の運命は考えられないですね!(萌ッ)


<草なぎの大刀の名前の由来>

草なぎの大刀という名前はそのまま「草を薙ぐ刀」という意味です。
ご存知のお方も多いことでしょう。
ヤマトタケル命が草原で火に囲まれたとき、自分の周りの草をこの刀で薙いで難を凌いだことが名前の由来です。
しかしその神話は古事記中巻に載っています。
この古事記上巻よりもずっと後の話なのです。
それゆえ、ここではまだ「草なぎ」という名前にはなっていないはずなのです。
日本書紀では、この刀は本は「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」という名前であったことと、ヤマトタケル命によって改めて「草薙剣」と名づけられたことが書かれています。
では、古事記ではどうして、後の名前である「草なぎの大刀」が出てきているのでしょうか。
これについてもいろいろな説がありますが、西郷信綱さんは以下のように述べています。

クサナギとは後の名をまえに回したもので、いうなればこれはクサナギノツルギの縁起譚である。(略)いわゆる三種の神器の一つに、ここに語られているごとき由来をもつ剣が加えられているのには意味があるはずだ。呪物が呪物でありうるのは、その由緒によってである。この剣の独自な意味も、その出自がかくして他でもない「出雲」に、つまり葦原中国にあるのによるのではなかろうか。

つまり、ヤマタノヲロチ神話は単なるスサノヲとクシナダの馴れ初めの話ではなく、三種の神器の一つ「草なぎの大刀」はこんなに特別な由来がある、だからそれを代々継承している天皇は特別なのだ、という結論を言いたいのです。
私は天皇賛美者でも右翼的思想の人間でもありませんが、こんなことを何度も書くのは、実はこれが古事記を読む上でとても大事な視点だからです。
古事記は単なる物語を書いているのではありません。
それを読んだ人に「天皇が日本を治めるのは正しいんだ」と思ってもらうために書いているのです。
ただ、古事記はとても昔の書物で、今の私たちにはどうしてもそのままでは読み取れなかったりつじつまが合わないように見えてしまう箇所がたくさんあります。
そういう時に、それを正しく解釈するためには、古事記の大前提を頭に置いておくことがとても大事なのです。
なお、もちろん私たちが実際にそれに同調する必要はありません。
いうなれば国語の授業でよく出てきた「作者の意見」というやつです。
問題を解く場合にはとても重要なものでした。


さて、余計な話を長々と書いてしまいました。
ようやく次が最終回。
ヤマタノヲロチ退治の後日談です。

ヤマタノヲロチ神話!その三~スサノヲとクシナダの結婚とヲロチ退治~

続きです!
スサノヲのトンデモ発言にご注目!
恐ろしい化け物ヤマタノヲロチの話を聞いたスサノヲの反応は・・・。

(しか)くして、(はや)須佐之男命(すさのをのみこと)、その老夫(おきな)(のりたま)ひしく、
「この、汝が(むすめ)は、(あれ)(たてまつ)らむや」
とのりたまひき。

須「娘を嫁にくれ(突然)」
足「!?」


ちょwww
この場面でいきなり妻問いて!
ちょっと今の感覚では驚きますよね。
普通のヒーローは化け物を倒した後にお姫様と結ばれるのが定石。
百歩譲って「退治したら、娘をくれ」という約束をするのならまだわかりますが、ここでは「今嫁にくれ」と言っています。
退治する前に嫁に求めるなんて、もしやスサノヲはクシナダにいきなり一目惚れでもしたのでしょうか?
それはそれで個人的には大変萌えるのですが、残念ながらそうではありません。
これにはスサノヲなりの深いわけがあるのです。
とりあえず、続きを見てみましょう。
いきなり娘を嫁にくれと言われた父足名椎の反応は?

答へて(まを)ししく、
(かしこ)し。また、御名(みな)(さと)らず
とまをしき。

足「恐れ多いお申し出ですが、私はまだあなたの名前も知りません

足名椎はとても丁寧に返していますが、要は「名前も知らない男に娘はやれん」と言っているわけです。
まあ当然の反応ですよね。
それに対してスサノヲは?

爾くして、答へて詔ひしく、
「吾は、天照大御神のいろせぞ。(かれ)、今(あめ)より(くだ)()しぬ」
とのりたまひき。爾くして、足名椎・手名椎の神の白ししく、
(しか)(いま)さば、恐し。()(まつ)らむ
とまをしき。

須「私は天照大御神の弟だ。今高天原から降ってきたところなのだ」
足・手「それならば何と恐れ多いことでしょう!(娘のクシナダを)差し上げます」


スサノヲの身分がはっきりしたことで両親は納得して娘を嫁に差し出しました。
クシナダの気持ちが語られていませんが、基本的にこの時代は両親の許可=結婚の許可ですので、ご了承くださいませ。
でも、古事記神話の中にはこれとは対照的に、自ら夫を選んでいる女性もいます。
それは因幡の素兎神話に出てくる「()(かみ)比売」です。
彼女はオホナムチと他のたくさんの彼の兄たちがいる前で、毅然と言い放ちます。
(あれ)は、(いまし)()(こと)()かじ。大穴牟遅神(おほあなむちのかみ)()はむ
痺れるほど格好いいですね!
ここから彼女はただのお姫様ではなく、因幡の民を率いる立場にある人だったのではないかという推測をしている人もいました。
なかなか面白い解釈です。

また余計な話をしてしまいました。
続きをみてみましょう。

(しか)くして、(はや)須佐之男命(すさのをのみこと)(すなは)ち、
()爪櫛(つまぐし)にその童女(をとめ)を取り()して、()(みづら)に刺して、
その足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)の神に()らししく、
汝等(なむちら)
()(しほ)(をり)の酒を()み、
また(かき)を作り(めぐ)らし、
その垣に()つの(かど)を作り、
門ごとに()つのさずきを()ひ、
そのさずきごとに酒船(さかぶね)を置きて、
船ごとにその八塩折の酒を盛りて、
待て」
とのらしき。

さあ、ここからがスサノヲの知恵の見せ所です。
スサノヲが作戦で準備したことにの番号を振ってみました。
順に書き出してみます。
①クシナダを櫛に変えて、みずらに刺す(斎爪櫛とは爪の形をした神聖な櫛という意味です)
()(しほ)(をり)の酒(何度も醸造した強い酒)を作る
③垣根を作って取り囲む
④垣根に八つの入り口を作る
⑤入り口ごとにさずき(酒を入れる容器を置くための棚)を置く
⑥さずきごとに酒船(酒を入れる容器)を置く
⑦⑥の容器に②で作った強い酒を入れる
⑧あとは待つだけ

は繋がっていて、ひとつのものです。
ヲロチを柵の中に誘い込み、強い酒で酔っ払わせてしまおうという狙いです。
では、は一体どういう意味があるのでしょうか?
実はこれが「スサノヲなりの深いわけ」に関係があるのです。
古事記神話には、いくつかの独特なルールがあります。
そのうちの一つがこの間書いた「泣くと神が現れる」というものです。
そしてこれがもうひとつのルール「大きな物事をなすためには、女と男の両方の力が必要」というものなのです。
「女」と「男」どちらの存在が欠けてもうまくいきません。
古事記神話の始めの方の物語を思い出してみてください。
イザナキとイザナミは二人で国造りをしていました。
しかしイザナミの死がきっかけで、それは頓挫してしまいます。
イザナキが黄泉の国でイザナミに「吾と汝と作れる国、未だ作り終らず。故、還るべし」と言っていることから、イザナキ一人では国造りは出来ないのだということが読み取れますね。
またこの後のオホナムチが主人公となる神話でもスサノヲの試練に相対する前に、スセリビメと結婚しています。
彼女もオホナムチがスサノヲの試練を乗り越えるために重要な役割を果たします。
学者の方々はこのルールに「ヒメヒコ制」という名前をつけています。
スサノヲがクシナダを櫛に変えて身につけたのは、クシナダの「ヒメ(女)」としての力を得るためなのです。
もしクシナダの力が必要なければどこか安全な場所に避難させてもいいはずです。
それをあえて自分のそばにおいているのは、それが必要なことだったからなんです。
クシナダとの結婚も、ヤマタノヲロチを退治するための作戦のひとつだったわけですね。
ちなみに当時の人々にとって「櫛」は毎日髪をくしけずる物なので、「箸」と同じく感染呪術の力を持つ特別な道具でした。
また、「クシ」という音は「奇」の音にも通じます。
これも「ハシ」と同じく、文字文化以前の「同じ音を持つコトバは意味を超えて響きあう」という思想があるので、まさにこれから大きな困難に立ち向かうためには打ってつけのものだったのです。

さあ!これで準備万端整いましたよ。
いざ、ヤマタノヲロチ退治!

(かれ)、(略)かく(まう)け備へて待つ時に、その()(また)のをろち、(まこと)(こと)の如く来て、(すなは)ち船ごとに(おの)(かしら)を垂れ入れ、その酒を飲みき。ここに、飲み酔ひ留まり伏して()ねき。
(しか)くして、速須佐之男命、その御佩(みは)かしせる()(つか)の剣を抜き、その(へみ)を切り散らししかば、肥の河、血に変はりて流れき。

ついにヤマタノヲロチをやっつけました!
太文字のところにご注目。
いままでずっと「ヲロチ(原文では遠呂知(をろち))」と書かれていたものが、ここで初めて「(へみ)」と出てきました。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、ということで、正体不明の化け物ヤマタノヲロチの正体はなんと「蛇」だったのだ!・・・という流れなのです。
これは古事記が狙って書いた工夫です。
始めからヲロチに大蛇という字を当てては、その恐ろしさが半減してしまいます。
あくまでも、退治されるまでは正体不明の不気味な化け物でなくてはならないのです。
そういった意味では、日本書紀は始めから「大蛇」としているので、古事記と比べると読者を惹きつけるよりも内容を正確に記すことに重きを置いた書物といえるかもしれません。
また、空色勾玉をはじめ、現代で「オ(ヲ)ロチ」が出てくる物語では大半が「大蛇」と書いてますが、これは読者のイメージをより具体的に導くための工夫とも取れますし、それに古代においては蛇は長寿の象徴という性格もあったようですが、現代では大抵の人は「蛇=恐い」と感じていますから、古事記時代と違って現代の読者の恐怖心を喚起させるには適した表現といえるかもしれません。
ちなみに私も蛇は大の苦手です。

さて、それではヤマタノヲロチ退治の最後の仕上げです。

故、その中の()を切りし時に、()(はかし)()(こほ)れき。爾くして、(あや)しと思ひ、御刀の(さき)(もち)()()きて見れば、つむ()大刀在(たちあ)り。故、この大刀を取り、()しき物と思ひて、天照大御神に(まを)し上げき。これは草なぎの大刀(たち)ぞ。

草なぎの大刀(たち)
これも漫画や小説ではよくモチーフとして使われていますね!
草なぎの大刀はスサノヲによってアマテラスにもたらされ、次に天孫降臨の際にアマテラスから孫のニニギに授けられ、そして中巻では倭比売からヤマトタケル命に手渡されることになるのですが、これはまた別の機会にでも語りたいと思います。
ちなみに「つむ羽の大刀」は「つむがりの大刀」と書かれることもありますが、結局何かはよく分かりません。
「つむがり」は物を断ち切る様で、この「つむがり」が「ヅカリ」になり「スッカリ」に変化していったと古事記伝(本居宣長)はいっています。
とりあえずここではこの説をご紹介するにとどめさせていただきます。


今回は大変長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら本当にお疲れ様でした。
しかし、実はこれだけ書いてもまだ書けていないことがあるのです。
続きに行く前にまたちょっとだけこの記事の補足を書かせていただきます。
書くことは
・スサノヲの名乗りの不自然な点
・クシナダ姫の別名とそこから運命付けられていたこと
・草なぎの大刀の名前の由来
の三つです。

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