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古事記語りやってきました

万葉サークルで空気を読まずに古事記について熱く語るという、単なる一般人の私には荷の重すぎた役目を無事果たしてまいりました!!!
結果からいえば、内容説明および質疑応答は何とか予定の範囲内で行うことが出来たので、最低限は果たせたかなというところです。
内容はかなり急ぎ足になってしまいましたが、周りの人の助けもあって、話すべきことは全部話せたと思います。
質問もいただいたものは全部私がその場で答えられる範囲のものだったので(もしかして気を使っていただいたのかも)、これも及第点というところでしょうか。
ほんとにまったくよかったですよ!
しかし。
しかしです。
私は事前に「1回で終わらせなくていいよ」と言われていたので、今回磐姫の話をして、もう一回で木梨軽王+オロチとヤマトタケルに触れる、というのを予定していたのですが、大人の都合で今回だけとなってしまいました。
磐姫のことしかしゃべれなかった!!!
木梨軽王についてはすでに資料を半分作っているので、次回しゃべりませんが、資料だけ持っていってほしい方にだけお渡ししようと思います。
なんだかちょっと消化不慮ですが、まあ、あとは聞くだけの出席と思えば大変気が楽ですよ。
ほんとによかった!!!ほんとによかったあああああ!!!

と、いうわけで、オロチとヤマトタケルはここでまとめる必要がなくなってしまったわけですが、それでもこの二つは私の好きな話なので、機会を見て勝手に語りたいと思います。
そのときはまたお付き合いいただけたらうれしいです。

あ!今確認したら拍手が・・・!!!!
ありがとうございます!!!!
21時台(さ、3連続!)と22時台に拍手を下さった方ありがとうございます!!!!
お疲れ様拍手でしょうか?
ううう、優しい(感涙)
本当にもうここしばらく精神的に張り詰めていたものがあったので、拍手に癒していただきまくりでした。
心配してくださった方や応援してくださった方には感謝してもしきれません。
拍手本当に本当にありがとうございました!

磐姫の嫉妬(追加)@八田若郎女・その4(最終回)

続きです!
仁徳天皇と磐姫の仲直りと八田若郎女のその後。
まずは珍しい虫を見に行くという理由でヌリノミの屋形にやってきた仁徳天皇が、磐姫に歌をおくります。

しかくして天皇、其の大后の坐せる殿とのたして、歌曰うたひたまひしく、

 つぎねふ 山代やましろ
 くはち 打ちしおほ
 さわさわに なんじへせこそ
 打ちわたす やがはえなす
 まゐ

とうたひたまひき。

山また山のそびえ立つ、山城の国の百姓女が、
木のくわ手に持ち、掘っておこした大根の、その掘りおこす音はざわざわ。
嫉み深いお前も、ざわざわとかしましく言い立てるから、見渡す限りの、青く茂った樹々のように、
伴人ともびとおおぜい引き連れて、こうして私がやってきたのだ。


この訳はこれまで使っていた「中村啓信」さんのものではなく、今回新たに購入した「福永武彦」さんのものです。(また買ったのか兼倉…)
福永さんは作家さんなので、研究者の方が訳すよりもさらに臨場感あふれる文章になってます。
まあそれはいいとして。

仁徳天皇はホントに仲直りをする気があるのかと聞きたい。

なんだこの超上から目線!(天皇だけど)
言い方も凄く押し付けがましいですよ!
福永さんの訳だと仁徳天皇のいやみっぷりが際立ちます。
離れている時はあんなに愛情たっぷりの歌を詠んでいたというのに、この差はいったいなんですか!?
仁徳天皇はツンデレなんですか!?
この歌を謡う時に、実は照れて顔を真っ赤にしてたっていうなら逆に萌えますが。(危険)

お前がうるさいから来てやったんだよ!寂しかったわけじゃないからな!誤解するなよ!(真っ赤)>オホサザキ

いや、さすがにこれはないか…。
まあしかし面と向かってこんな歌を謡ってしまうなんて、もしかして今までの情感たっぷりの歌は口子臣の代作だったんですかとまで疑ってしまいますね。

ちょ!おれがあんなにがんばってラブラブな歌を謡ってあげたのに!ぶち壊しだよ!>口子臣

ちなみにせっかくなので中村さんの訳も比較材料として載せてみます。

(花筏の生える山)山城の女が
木の鍬を持って 畑打ち起こした大根
その葉が擦れ合うようにざわざわと あなたが 言立てるから
見渡すと 桑の木がたくさんの枝を立てているように
大勢でやって来たのだ


若干ソフトな感じになりました。
※「つぎねふ」の訳が福永さんでは「山また山のそびえ立つ」となっていて、中村さんでは「花筏の生える」となっているのは、この二つの説があるからです。
「つぎねふ」を「次嶺経(次々に続く嶺を経る)」とするか、「つぎね(花筏の古語)ふ」とするかで違いがあるようです。

「あなたが 言立てる」というのは、何を言立てたのかは云ってませんが、福永さんはそれを「嫉妬」と解釈しているようですね。
他の本でもそういうニュアンスで訳されていました。(私が持っているものしか確認していませんが)
しかし私は言ってやりたい。
あなたが来たのは珍しい虫を見るためだったのではなかったのか、と。
やっぱり珍しい虫を見るというのは、磐姫に会うための口実だったのでしょうか。
しかしそれなら果たしてこんなにあからさまにホントのことを歌うのか。
それとも、磐姫には良い顔しといて(良いとは思えないけど)、本心では「虫が見たい!」と思っているのか。
いまいちこの歌と仁徳天皇の本心が分かりません。
この当時は当然一夫多妻が公然と認められていたわけで(そしてより多くの后とたくさんの子どもを作ることが為政者のトップたる天皇の重要な使命でもあったはず)、磐姫の嫉妬に駆られる行動はやはり褒められたものではないのかもしれないのですが、そのあたりを解釈の前提として入れるべきか否か。
それなら、「おまえがうるさいから会いにきてやった」的な歌も良き夫として正しいといえるのか。
しかしそれでも口子臣が伝えた歌とのギャップが大きすぎるような気がしてなかなかうまく納得できません。
まぁ、前にも書きましたが、古事記の歌謡は本人たちが謡った歌というよりは、その当時よく謡われていた歌を各場面に勝手に当てはめただけなので、つじつまが合わないこともあるという説明で納得することもできるのですが。
しかし、せっかく会いにきたときの歌を載せるなら、もっと選びようがあったんじゃないかと稗田阿礼さんと太安万侶さんに問いたいような気もします。
どなたか良案・珍案ございましたら是非拍手かコメント欄よりお知らせくださいませ!全力で募集中です!

一方、日本書紀の磐姫はこのとき仁徳天皇を許さず、五年後に死ぬまで山城国を離れることはありませんでした。
会いにきて歌を謡う仁徳天皇に、磐姫は顔も見せず「八田皇女を娶ったのは、皇女を后にしたかったからなのでしょう!?」と怒りをぶつけています。
日本書紀の磐姫は古事記の磐姫以上に「身分の違い」に苦しんだ人生だったようです。
本当の磐姫はどんな人だったのでしょうか。

さて、古事記に話を戻します。
すったもんだの磐姫との逢瀬が終わって、本文には記載はありませんが、次の女鳥王の話で磐姫が皇后として振舞っているのを見ると、どうやら仲直りは成功したと考えて良いようです。
しかし、仁徳天皇は八田若郎女に未練たらたら。
こっそりこんなやり取りをしています。

天皇八田やたのわか郎女いらつめひたまひて、うたを賜ひつかはしき。の歌にひしく、

 八田やたの 一本ひともとすげ
 たず 立ちかれなむ
 あたら菅原すがはら
 ことをこそ 菅原と言はめ
 あたらすが

八田の野原に生える、一本菅は、
子を持たず哀れに立ち枯れるのか?
なんと惜しい菅だろう。
言葉では菅原と言っても、
実は清しなのだ、
心ばえののすがすがしい美しい乙女なのに、なんと惜しいことだろう。


惜しい惜しいと言いながら、結局たいしたことも出来ないので、この後その妹に手を出そうとしたときにつかへ奉らじと思ふ。」とか言われて振られるわけですね。

しかくして八田若郎女、答へて歌曰うたひしく、

 八田やたの 一本ひともとすげ
 ひとりとも
 大君おほきみし よしとこさば
 ひとりとも

とうたひき。故、八田若郎女のしろて、田部たべを定めたまひき。

八田の野原に生える、一本菅は、
子もなく、ひとりでおりましても、
大君がそれでもよいと仰せられますなら、寂しいことはございません、
たとえひとりでおりましても


潔いのか恨み節か。
内容は非常に分かりやすい歌ですが、だからこそ判断に迷う歌ですね。
仁徳天皇は八田若郎女が「あなたがそれで良いって言うなら、ひとりでいてもいいの」と言ったことへどう返事をしたのか書いてはありませんが、御名代「八田部」を与えたと書かれています。
「名代」というものがいったい何なのかよく分かりませんが、調べたところによると、どうも「人の集団」のようです。
土地を与えるというのは褒賞としてよく聞くことですが、土地だけでなく人も与えられるものの選択肢の中のひとつだったようですね。
そういうものを与えたというのは八田若郎女の歌の「独り」という言葉への返事の代わりだったのだろうかとも思いますが、彼女の言った「独り」というのは「独り身」という意味なので、いくらたくさんの人を与えられても、「独り身」であることは変わりありません。
こういう対応も女鳥王は見ていたんでしょうね。
そして自分は名ばかりの王の妻よりも、臣下でもちゃんと自分の夫として振舞ってくれる速総別王を夫に欲したわけです。

人間関係のどろどろ具合が上巻とは比べものにならないくらい近く感じられます。
これが良くも悪くも下巻の特徴といえるでしょう。

これにて下巻の語りは終了です!
次回はヤマタノオロチとヤマトタケルのどちらかになりますが、さてどちらにしようか・・・。
若干の休憩を挟みつつまた折を見てはじめようと思います。

磐姫の嫉妬(追加)@八田若郎女・その3

拍手いつもありがとうございます!
ホントにホントに嬉しいです!
続きを書くための多大なパワーを頂いております!
勢いのまま続きです!

予告どおり、口子臣の受難シーンから。

かれ口子臣くちこのおみ、此の御歌をまをす時、いたあめふりき。しかくして其の雨をけず、まへ殿とのまゐせば(口子臣が)正面の戸の前に伏せばたがひてしりでたまひ(皇后は)反対に裏の戸の前にお出になって、後つ殿戸にまゐせば、違ひて前つ戸に出でたまひき。
しかくして匍匐すすおもぶきて、にわなかひざまづきし時、水潦にはたづみ(雨で)溜まった水が腰に至りき。其のおみくれなゐひもけたるあをずりきぬ紅い紐をつけた青い衣(官人の制服?)たり。かれ水潦にはたづみくれなゐの紐にれて、あをみな紅の色にりぬ。

口子臣が正面の戸の前に伏せば、皇后は反対に裏の戸にお出になって、口子臣が裏の戸の前に伏せば、皇后は反対に正面の戸にお出になった。

磐姫さまなんというイヤガラセww
雨の降りしきる中、口子臣は上司の痴話喧嘩の仲裁のためにずぶ濡れになりながら頑張っています。(イイ迷惑)
しかしそんな懸命な口子臣を嘲笑うかのように大降りの雨がたたきつけ、中庭に溜まった水は、伏している口子臣の腰にまでいたるほど。
紅に染めた紐が水に浸かって色が染み出し、臣の青い衣を紅く染めてしまったのでした。
ああ、これは他人事じゃない。
私も昔ワインレッドの皮の手袋を間違って洗濯機の中に入れてしまって、洗濯物全部くすんだワインレッドに染め上げたことがありました。
あれ、もう一度洗っても落ちないんだよ!!(辛い思い出)
口子臣可哀相に・・・!(同情の涙を流しつつ)
と勝手に感情移入していたら、本文でも泣いている人が。

爾して口子臣のいもくち日売ひめ大后おほきさきつかまつれり。かれ、是の口日売歌曰うたひしく、

 山代の 筒木つつきの宮皇后がいるので宮と称すか?に 物申ものまを
 きみは 涙ぐましも

とうたひき。爾して大后其の所由ゆゑを問ひたまひし時、答へてまをししく、

やつこ口子くちこのおみなり」

とまをしき。

妹「お兄ちゃあああああああん!!(号泣)」

洗濯物の心配をしたわけではありませんよ。(知ってるよ)
兄を思う妹の涙に磐姫様も(さすがに可哀相かしら・・・)と思ってくれたらしく、口子臣を屋敷に入れてくれたようです。
磐姫「でもまだ許したわけじゃないのよ!」
(注・兼倉の趣味により若干ツンデレ気味にお送りしております)
なかなか解けない磐姫の怒り。
そこで口子臣・口比売・奴理能美ぬりのみの三人は知恵を出し合います。

是に口子臣、また其のいも口比売、また奴理能美ぬりのみ三人みたりはかりて天皇すめらみことまをさしめてひしく、

「大后の幸行でましし所以ゆゑは、奴理能美がへる虫、一度ひとたびふむしにり、一度はかひごに為り、一度は飛ぶ鳥に為りて、三色みくさはるあやしき虫有り。此の虫そこなはしにししにこそ。さらしきこころ無し」

といひき。

~古代会議想像~
奴「このままじゃマジでヤバい。どうしよう・・・」
兄「どうすんの?どうすんの?」
奴「とにかく二人を会わせないことには・・・」
妹「わたくしにいい考えがあります」
二人「マジで!?」
妹「オオサザキ様を『ヌリノミの屋形に類稀な美女がおります』と言って誘き寄せるのです。完璧な作戦です」
兄「・・・うん、多分大君はそれむっちゃ引っかかると思うけどね」
奴「皇后様に殺されるよ、俺」
妹「それもそうですね・・・残念」
兄「・・・あ、でも大君を誘き寄せる作戦は結構イイ線いってるかも。大君が直接お出でになれば、皇后様も俺の時みたいに避けるわけにはいかないし」
奴「問題は何をエサに誘き寄せるかだな」
妹「宮には珍かなものは大抵あるし・・・」
奴「虫は?」
兄「虫?君の飼ってる虫ってカイコじゃん。珍しくもなんともないよ」
奴「ここで問題です。はじめは這ってて、次につづみになって、最後に鳥になる虫なーんだ」
兄「なにそれ!?そんな虫もってるの!?」
妹「見せて見せて!」
奴「答えはカイコでしたー」
妹「・・・・・・(ギリッ)」
兄「・・・うん、まぁ、そんなオチだとは思ったけど。でも大君もそれなら興味もってくれるかもね。皇后様もまさかカイコにまではやきもち焼かないだろうし」
奴「じゃあ皇后様はこの珍しい虫を見にウチにいらっしゃったってことで」
兄妹「そうしよう」

勝手な捏造でスミマセン。
この三人の作戦会議にもぜひ参加してみたい!
因みに豆知識。
古代において「なんかうねうねしてるもの」は全部「コ」と呼ばれていたらしいと聞きました。
家で飼うから「飼いコ」、生で食べるから「生コ」などの名前で今でも残っているそうです。

かくまをす時に、天皇りたまひしく、

しからばあれ奇異あやしと思ふ。かれ、見に行かむとおもふ」

とのりたまひて、大宮よりのぼでまして、奴理能美の家に入り坐しし時、其の奴理能美、おのが養へる三種みくさの虫を大后にたてまつりき。

三種の虫キター!!!
作戦の第一段階成功です!
第一段階というか、来てもらったらもう後は二人の問題なので、ほとんど成功のようなものといってもいいかもしれませんが。

因みに、私これを始めて読んだ時は別の解釈だったんですよ。
奴理能美たちが考えた言い訳は、あくまでも磐姫が奴理能美の屋敷にいることに他意がないこと(そしてそれを匿っている奴理能美にも他意がないこと)を示すためであって、仁徳天皇がそれに興味を示すのは想定外で、また、仁徳天皇も騙されたのではなく、カイコのことと分かっていた上で(なんせ私にもカイコのことだとすぐ分かったし)、あえてそれを利用して、磐姫のいる奴理能美の屋敷に向かう口実にしたんだ(なので奴理能美の屋敷に向かったのはあくまでも磐姫に会うのが目的)と思い込んでました。
そんなのどこにも書いてないのにね!
私は昔からこういう文章に書いていないことを自分で勝手に捏造して思い込んでしまうという非常におバカな癖を持っておりまして、しかもそれをみんながそう思っていると信じ込んでいるので本当にタチが悪いです(苦笑)
話が逸れました!戻します!
養蚕はそもそも稲作と同時期くらいに日本に伝わったといわれているので、大体縄文晩期から弥生初期あたりと考えていいでしょう。
仁徳天皇の時代は古墳時代なので、養蚕は日本の国家にはすでに根付いていて、重要な産業の一つになっていたことと思います。
奴理能美の家業が養蚕だったかどうかは分かりませんが、天皇と皇后の痴話喧嘩の仲裁に持ち出してきたくらいなので、恐らくは日ごろから気に掛けている存在だったのではないでしょうか。

今日はここまで!
次回が最後です。
「仁徳天皇と磐姫の和解と、八田若郎女のその後」
次回もよろしくお願いします!!

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