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コマ大数学科

「たけしのコマ大数学科」という番組が大好きで大好きで、DVDは全部予約開始から購入しているほどです。
数学!数学!
以下、数学への思いを語っているのですが、大変つまらない上に長くなりすぎたので畳みました。

数学に関しては楽しいとか好きとかそういう単純な言葉だけでは表すことができないくらい色々と思いを抱いています。
小学生の時の算数からずっとずっとのめりこんでいて、もはや自分の中の最も核になる部分というか、根底で一番土台となる部分というか、そういう存在になっている気がします。
何をやるにも多分根底には数学やそれをやる時の思考回路を通して物事を見ている感じです。
そういう自分が一時期すごく嫌だったこともあったんですが、なんだか周りはそれ程気にしていないというか、私のそういう部分も含めて楽しんでくれていて、たまに私と同じように(数学じゃないけど)のめり込んでるものがある友達とお互いの好きなものについて語り合ったりして、私は別に相手の話しているもの自体が好きなわけではないのに、その熱い感情はすごく共感できて(多分相手も同じように思っている)、それが本当に楽しくて、また、相手も楽しそうで、ああこんな感じでもいいのかなあと思って今に至ります。
・・・ものすごく分かりにくい文章でスミマセン。
数学以外でも過去に色々ハマったものはあって、それらは全部今でも好きですが、今は古代史と薄紅天女ということになっています。
ただ色々ハマっているものがあっても、必ずいつも平衡して数学も心の中にあるという感じです。
いつも「何か」と「数学」に熱い、みたいな。
まあ語りだすのはだいたい新しくハマっているものばかりですが。
数学は何というか、常に寄り添っているもの、とか、ふと振り向けばいつもそこにあるもの、という感覚です。
普段は熱く追いかけている古代史と薄紅天女ばかり見てるけども!
しかしまあ少しでも他分野の知識を持っていると、その分野の新たな魅力というか、視点というか、そういうものが見えてとても新鮮でとても楽しいです。
古代史を古代史として、薄紅天女を小説としてそれはそれで大変楽しいことですが、薄紅天女に古代史や数学や生物学なんかの視点をいれて見てみると、小説として読んでいたのとは全く違った魅力が発見できてさらに好きになっていくのです。
・・・まあそれが他の人にどう映るかはいろいろとあるとは思いますが。
それにどうしたって私が根底に数学をもっているので、どうしてもそれに偏りがちになってしまうのも自覚はあります。
以前書いた原作について色々語っている文章もかなり言い換えを多用したり(A=B、B=CなのでA=Cみたいな)、相似やら対称やらの観点から見ていたり(苑上と阿高の立場の比較。お互い当時の自分を否定している←相似。苑上は性別を変わることで立ち向かおうとしたが阿高は自分のままで立ち向かった←対称)しているんですよね。
この相似性や対象性がとても美しく思えてしまうんですが、数学嫌いの友達の前でうかつに「美しい」というとドン引きされてしまうので普段は控えるようにしています。
※誤解のないように追記します。この「美しい」というのは殊更神聖視などをしているわけではなく、ただの率直な感想なのであって、そしてなにより阿高と苑上の人間的な魅力に共感したり驚嘆したりしているんです。
そういう自分の限界部分というか、思い込み部分というか、癖というか、そういうものを出来る限り他の視点(知識)を入れていくことで少しでも緩和していくことが出来たらいいなと思います。
私にとっては偏るのが一番残念な状態です。
しかしバランスを取るのは物凄く至難の業という・・・。
360°色々な方向に揺れながら、一生理想のバランスを目指して生きていけたら本望です。

ああああ、それにしても私文章下手くそすぎる。おおおおう。
もっとうまく起承転結書ける人間になりたい・・・好きだという気持ちだけではダメなんですよねぇ・・・。
すごく面白い番組です!
数学が得意な人も得意じゃない人も楽しめるつくりになってます!
たけし軍団扮するコマ大数学科のメンバー(みんな数学が不得意)の頑張りが凄すぎる!毎度毎度感動します!大好きです!
今までの数学番組は数学が出来る人の視点か、出来ない人の視点か、どちらかに合わせて作られていることが多かったのですが、この番組はどちらの視点で見てもすごくすごく楽しめるつくりになっています!
もともとこの番組の存在を教えてくれた友達は中学時代から大の数学嫌いの人だったので、間違いないと思います。
地域によって放映時間や曜日が違うようですが、ご興味がおありの方は是非一度ご覧下さい!
放映時間はコチラでご確認頂けます。

大神神社

去年の9月に奈良旅行に行ってきたときに参拝した「大神神社」。
この「大神神社」は古代史関連の本を読んでいるとかなり頻繁に出くわすわけですが(そして古代史関連のサイト様のブログを読んでいてもかなりの人がよく参拝していらっしゃるようですが)、これがナチュラルに「おおみわじんじゃ」と読めるようになったころからたぶん引き返せないあたりまで来てしまったような気がします。(古代史関連の本や旅行に費やしたお金的な意味で)
知らない人・・・というか、古代史にはまる前の私は確実に「おおかみじんじゃ」もしくは「おおがみじんじゃ」と読んでいたでしょうからね(^_^;)
逆にこの神社を正しく読める人は地元の人以外ならかなりの高確率で古代史好きにひっかかる気がします。
また行きたい!
奈良旅行は定期的に行いたいです。
今度は長岡京巡りもしたいなぁ・・・(お金も暇もないのに夢だけは捨てきれない往生際の悪さ)

四隅突出型墳丘墓のナゾを解く!

日記ログをUPしました。
ログ化を望んでもらえたのがもの凄く嬉しかったです!
これからも滾るたびに更新すると思いますので、見守ってやっていただけるとありがたいです。


さて、実は昨日の土曜日は出雲に行ってました!(またか!)
今回は「出雲弥生の森博物館」です。
ここの館長さんが3回講演で「四隅突出型墳丘墓のナゾを解く」という講座を開講なさっていて、それを聴講に行ってまいりました。
今回は第二回でした。
第一回には都合がつかなくて行けなかったんです。(凄く残念!この講座は凄く面白い!)
四隅突出型墳丘墓といえば岡山に行く前日にもここの日記に書きましたが、私の中で大変熱いトピックスです!
※四隅突出型墳丘墓は弥生時代中期~後期に作られた方形(四角い形の四隅がみょーんと長くなっているという特徴的な形)のお墓です。古墳が作られ始めるとともに姿を消します。
※古墳は大きなものほど大きな権力を持っていた集団(もしくは人物)がいたと考えられます。おおざっぱにいえば古墳の出現=権力集団(=王、もしくはそれに準ずるもの)の出現とも考えられます。この四隅突出型墳丘墓はそのはしりの時期にあたると思っていますが、これを作っていた集団は古墳を作る集団(おそらくヤマト)とは別の集団であったと思います。
今回の講座では大変興味深い内容がたくさん語られました。
学術的な内容はここでは簡単に書きますが(←簡単にしか書けない^^;)、私的に目からうろこな内容が多かったです!大興奮でした!
以下、箇条書きに書き出してみます。

・四隅突出型墳丘墓は四隅の突出部分は実は重要ではない。(突出部分は墓道で、ただ稜線を伸ばした結果というだけ)
・大事なのは稜線上もしくはその延長上(=突出部分)に意図的に真っ直ぐ石を並べていること。(=ステッピングストーン)
・↑は四隅突出型墳丘墓の特徴だが、それが無いものもある
・広範囲にわたって四隅突出型墳丘墓が作られているが、それぞれの地域で形に特徴(違い)がある。
・よって、四隅突出型墳丘墓を作っていた地域が同一の国家ないし集合体であった可能性は低い。(影響を受け合うくらいの交流があった程度だろう)
・何故広範囲で四隅突出型墳丘墓を作っていたのか、各地の人々の関係はどのようなものだったのかは不明(同一神話を持っていたから?同一の祖先を持つと信じていたから?同一の宗教を信仰していたから?)
・備後や三次(みよし)で見つかっている四隅突出型墳丘墓は大変初期の素朴な形をしている。(ステッピングストーンが無いどころか、周りに石を張っていない。突出部分もあまり突出していない)
・よってこれらの地域が発祥の地である可能性が高い。(←前の日記でも書いてました!やっぱりね!)
・備後や三次で発生したものが山陰(出雲や伯耆)へ伝播した経緯は不明だが、山陰で作られだしてからは備後や三次では見られなくなるので(発掘されてないだけかもしれないけど)おそらく、四隅突出型墳丘墓を作る文化を持った人々が山陰へ移り住んだのではないかという可能性がある。(←そうなんだ!そこまで考えてなかった!さすが考古学の先生は読みが深い!凄い!楽しい!)
・四隅突出型墳丘墓は主に山陰(出雲・伯耆)と北陸(越前・越中)で見つかっているが、福島の猪苗代湖の近くでも、四隅突出型墳丘墓に影響を受けたのではないかと思われる形の墓のようなものが発見されている。
・福島は日本海沿岸ではないが、越後(新潟)とは阿賀野川を使って大変頻繁な交流があり、四隅突出型墳丘墓は越中までは確かに着ているわけだから、この福島の例も考えられないことではない。
・因みに阿賀野川を使った交流は縄文時代から行われていた。(←そんなに昔から使われてた交通路だったんだ!縄文時代も大好きです!新潟地域と福島地域の人たちは縄文時代から仲良しだったわけですねおおおお!仲良かっただけじゃなくていろいろあったんだろうなぁ悲喜交々ああああああ!)←曲解
・四隅突出型墳丘墓は西谷9号墓(出雲)という最大級のもの(=王墓と呼んでも過言ではない)を作ったのを最後に、終焉に向かってゆく。
・西谷9号墳はその大きさ(=国力)を周辺に見せ付けるための意味があったに違いない!絶対です!(←ホントにこんな風に言っておられました)
・西谷9号墓はそれ以降の四隅突出型墳丘墓の手本になった。
・西谷9号墓などの上に大量の土器片が見つかったが、他地域(吉備・越など)の特徴を持つ土器が多数発見されている。
・これはこの墳丘墓の上で飲食儀礼の祭祀が行われた時に使ったものであると考えると、おそらくこの祭祀に吉備や越の地域の使者が多数訪れて(もしくは招かれて)いたのではないかと思う。(王の葬式は一大祭祀であり、他国にとっても重要な意味があったことが伺える)

西谷9号墳については「まるで断末魔のような壮大な墳丘墓」という表現が大変胸に響きました・・・!ロマン・・・!歴史はロマンだよやはり・・・!はぁぁぁぁ(陶酔)←もう帰ってこれないところまで行ってしまっている
他にも大変面白い内容を語っていただきました。
凄く楽しかったです!(隣のおばちゃん寝てたけども)←なんでこんな面白い講座で寝られるのか分からないね!ホントに面白かった!
もう今から次回(2月26日)が楽しみでしょうがない!
早く来い2月26日!

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