某ダさんへのコメントで名乗忘れてあわてて次の拍手で名乗ったわけですが、お返事をいただいた際、コメントの冒頭部分だけで私と分かったという心強いお言葉に、私というやつは人様の拍手に冒頭からいったいどんな変態コメントを放ってしまったのだろうかという恐怖に打ち震えている、そんな夜。
コメントは基本的にその場の勢いで書くので、あとから自分が何を書いたのかまったく思い出せないことが多々あるわけですが、確か断面図にくいついていたような記憶が微かに・・・あっ(何かに気づいた)
琴さん
>兼倉さんの日記を読んでいて感じることは、
>「ああ、好きということはいいことだな」
>ということです。おっ・・・!
ダダ漏れ・・・ってやつですね私、恥しい!(え)
たぶんただ破滅的に楽天的なだけなんだと思います。
普通の人なら、冷静な判断ができるはずのことが、私の場合は後先考えずそのまま走ってしまうんです。
立ち止まるべき理由は労せずいくらでも見つかるはずなのに、全部見ないふりで駆け抜けます。
たぶん好きの種類は、琴さんが「映画好き」とか「旅行好き」とか思っておられるのと大差ないと思います。
私は琴さんのように頻繁に映画館に行きたくなったりはしてませんが(5年に1本見るか見ないかで満足するレベルなので、琴さんの映画への情熱にいつもひっそりと圧倒させられています)、琴さんが映画を見て楽しんでおられるのを見ると、やっぱり好きなものがあったり趣味があったりする人は良いものだと思います。
同じものが好きではなくても、「好きなものがある」という気持ちはすごくよく分かるんですよね。
だから、琴さんが「好きなものがあるのはいいことだ」と思われるのと同じことを、私も琴さんの呟きを見ながら思ってますよ!
>私はちょっと空虚な日々を送っていたので、
>しばらく何かにのめりこんだり夢中になったりすることがほとんどありませんでしたが、
>そういうことに憧れのようなものはいつもあります。私も以前はかなり空虚というか、抜け殻というか、うつ病みたいになっていた時期もありましたが、今はこんな感じです。
この状況に対して、まったく後悔はありませんが、一つだけ琴さんが羨ましいと思うのは、琴さんの趣味が「映画鑑賞」ということです。
「映画鑑賞」ってすごく見栄えがする気がします。
あと、人に言っても広く受け入れられる気がします。
私が今の職場に変わった当初に趣味を聞かれて正直に「万葉集好きです」と言ってしまった時の、先輩のドン引きした表情が今も胸に突き刺さっています。
その後も思い出したみたいに「兼倉さん、そういえばマンヨウシュウ好きなんですよね」と半笑いで蒸し返されることも、ちょっと嫌な感じです。
まあそんな時も堂々と「万葉集だけでなく古事記も好きです。あと、好きが高じてサークルも主宰してます」とか言ってしまっている時点で私は何も学んでないなって思いますがね!
>またいつか、気持ちに余裕ができたら、
>何かに夢中になれたらいいなと思いました。もう琴さんは夢中になっておられると思います!
私の表現方法とは違うかもしれませんが、私は琴さんの好きがとても伝わってきています。
気持ちの余裕は、たぶん待ってても生まれません。
実際今の私もまったく余裕がありませんが、余裕もないのにこんな感じになってます。
余裕もないのに欲求が生まれてしまうものが、たぶん好きというものなんだと思います。
・・・いや、好きではなくこれは逃避というのかもしれません。
逃避で結構!逃げ道いっぱい作るぜイェア!
>そんなことを再確認できたので、お礼を申し上げたいと思いお邪魔しました。
>どうもありがとうございました。琴さん、ありがとうございます!
自分では自分のことが分かっているつもりでも、思いがけず誰かから言葉を頂くことで、別の自分が見えてくることもあります。
嫌なこともいっぱいありますが、明日が来るのが嫌ではないのは、好きがあるからかもしれません。
好きは勇気かもしれません。
好きに必要なのは、余裕ではなく勇気かも・・・!とか。
隼人を調べていて、「天平年間前後くらいにはすでに宮門を守るということは無く、武勇の部分は形骸化(儀礼化)していたのではないか」という説を見つけて、武勇の隼人を妄想していた身としては若干しょんぼりしつつ、まあ文系または芸術系イケメンも悪くないかもね、とか思っていたところ『肥前国風土記』に「隼人に似て騎射がうまい(人びとがいる)」の記事を見つけて狂喜乱舞しているような生活です。
肥前国では「隼人は騎射がうまい」というのは例示するくらい有名なことなのですね!
騎射がうまいってことは、馬の扱いもうまいってことですね!
大和は内陸だから、河川を遡って船が入ってくるわけで、大きい船は牛や馬が引っ張って川を遡るので、周辺には牛や馬がたくさんいたはず!(重要な知識)
夢が広がりますね!